茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

もう1月も終わり・・・

2008年01月31日 | 気まぐれ日記
風邪のため心配していた今朝の目覚めですが、幾分か熱は下がったとはいうものの喉の痛みと咳がひどく
大事をとって今日も一日職場をお休みしました。
昨日と比べて幾分か熱が下がっただけ少しは楽になりましたが・・・

こういう時こそ“元気が一番だ!”との思いを新たにします。
明日からは出勤できるのでは?と思うのだが、当分の間はマスクが必需品となるでしょう。
幸いにもインフルエンザではなさそうなので早く治したいものだ。

風邪

2008年01月30日 | 気まぐれ日記
いや~~とうとうやっちゃいました!昨日から背中のあたりにゾクゾク感が・・・今朝は喉も痛くなった。
ここ数年間は風邪とはあまり仲良しではなかったのに、今回は久しぶりに仲良しとなった。
昨夜は薬を飲んで(写真)10時頃に就寝するも夜中に2~3回くらい目が覚めた。

朝を迎えたが頭が重くて熱っぽい感じだ、7時に起床したがベッドの上でうつらうつらと・・・
ハッ!と気づいたら時計は8時に少し前、これはいかん!残り僅かとはいうもののまだ現役だ!?
“すまん!風邪のためお休みします”と職場に連絡した。

今日は昼食のとき以外は全て布団の中で過ごした。
果たして明日の朝は爽やかな目覚めとなるであろうか?

案内状

2008年01月29日 | 気まぐれ日記
昨日の午後に東京より帰宅、35周年記念の発表会も大盛況のうちに終了しました。
多くの友人知人にも逢うことができ、ゆっくりと話をする機会に恵まれました。
今回は私が遠く隠岐からの参加ということで、司会の方が隠岐の島や私のことを大いにPRしてくれました。
たった一人での参加でしたがそれなりの効果はあったかな?と思っています。

帰宅すると案内状(写真)が届いておりました。
以前より大変親しくお付き合いを頂いている大阪の大きな会の会主が、この度(財)日本民謡協会より協会
の運営・発展に多大な貢献をされた功により「民謡功労章」を授与されましので、その受章を祝う会開催の
案内状でした。ときは3月26日ですが出席するつもりです。

○○を励ます会や○○を偲ぶ会その他諸々ありますが、○○を祝う会が華やかでいいですよね。
賞と名のつくものには生まれて此の方縁のない自分だが、お目出度い席に会の幹部の方をはじめ皆さんと
一緒になってお祝いしたいものと思っています。

藤本流「秀三根会」

2008年01月27日 | 気まぐれ日記
大寒とはいうものの今日の東京は快晴です。大田区民センターでの「秀三根会35周年記念民謡発表会」午前10時の開会に合わせ、同時刻に楽屋入りしました。
先ずは受付におられた奥様にお祝いのご挨拶、まだ秀三根会主にはお逢いしておりません。まだまだ自分の出番はず~~と先なので、会場内をブラブラしながら待つことにします。

ミスター「安来節」

2008年01月26日 | 気まぐれ日記
写真はミスター安来節こと出雲正之助さんです。
安来節演芸館での公演を終え打ち上げ会場の夢ランド「しらさぎ」のロビーにてのツーショットです。
ほぼ同年代ですが・・・さてどちらが年上でしょうか?
実は私が一つだけ先輩ですが、今や安来節の第一人者でもある正之助さんが圧倒的に貫禄があります。
(体では私が圧倒していますが?・・・)
時折、舞台で一緒になりますが彼の唄は超一級品!なかでも見事な節回しの安来節のアンコ入りは彼の
独壇場でもあり、いつ聞いてもほろりとさせられます。

いつ果てるともなく?延々と続いた打ち上げが終了したのが12時前だった。
部屋に帰ってからも舞台の反省会と称し?あれこれと民謡談義が続いて結局終わったのが2時半でした。
安来節にかける彼の情熱と隠岐民謡にかける私の思いのガチンコ勝負?はいつも引き分けに終わる。
両方が手を携えていけば怖いものなし!お互いに頑張りましょう!・・・これがいつもの結論?です。
しかしそこに到達するまでの過程が毎回面白い?横道に反れるだけ反れるのですが・・・
ともに団塊の世代でもあり今後も良き友達でありたいと思う。

藤本秀三根さん率いるところの「秀三根会35周年記念民謡発表会」参加のため、今日の午後便で東京
に向け出発します。
またまたどんな新しい出逢いがあるのか大いに楽しみでもある。
それでは行ってきます

謝恩まつり

2008年01月25日 | 気まぐれ日記
ブログを3日間お休みしましたが、22日~24日にかけて安来市に行ってきました。
毎年のようにお邪魔している夢ランド「しらさぎ」の謝恩まつり、開館10周年を迎えた今回は安来節演芸館に
場所を移しての開催でした。
さぎの湯温泉地内・足立美術館となりにオープンした安来節の殿堂とも呼ばれている演芸館の舞台には今回
初めて立たせて頂きましたが、全館木造で桟敷席等を備えたいかにも芝居小屋といった雰囲気の会場だった。
写真は安来節演芸館の初代座長の田淵清弥さんです。
神奈川県は鎌倉の出身だそうですが、当日は私達の世話や舞台進行など八面六臂の大活躍でした。
因みに田淵座長はミス鎌倉の経歴を持つ日本的な美人です。
そして何かとおせわになりました一座の皆様方どうもお疲れさまでした。

3部構成(第一部が安来節・二部が隠岐民謡・三部が今いくよ・くるよの漫才ライブ)の昼夜2回公演でした。
320席延べ640席のチケットも完売とのことで会場は超満員!音響もバリバリでお客もノリノリ状態・・・
舞台での演奏も気持ちよく大変やり易い会場でした。

我々隠岐民謡一行8名は夢ランドしらさぎに2泊してお世話になりましたが、公演終了後ここでの打ち上げは
田淵座長はじめ劇団員の方々の参加もありいつ果てるともなく?延々と続いた。
おかげで?少々寝不足ではあるが明日は一人で東京に向け出発・・・秀三根会35周年記念民謡発表会に
隠岐の歌姫こと国村千鳥さんの伴奏で参加します。

我ながら?よくやるなーとは思っていますが、もしかしたらまたまたブログはお休みになるかも?・・・
できれば携帯で投稿するかも知れませんが?期待されないでお待ち下さいませ。

湯かけ祭り

2008年01月21日 | 気まぐれ日記
“所変われば品変わる”とか言いますが、全国各地の祭りには変わった祭りもあるものだと思った。
群馬県長野原町の川原湯温泉で20日、ふんどし姿の男たちが湯をかけ合う「湯かけ祭り」が行わ
れたそうだ。
それも氷点下7度の寒さの中で、しかも時間は午前5時半過ぎだというから半端じゃない・・・
祭りの起源は約400年前、湯が止まって困った住民が鶏を神前に供えたところ再び噴出し、喜んで
湯をかけ合ったのが始まりと伝えられている。

以前にテレビで7年に一度行われるという、長野県諏訪大社の「御柱(おんばしら)祭」を見た。
大木とともに急斜面を一気に滑り降りる「木落とし」は祭りと呼ぶのにはあまりにも危険で激しいもの
であったように記憶している。
ネットで調べたところ、先日紹介した秋田の「なまはげ」や山梨の「火祭り」と並びこの「御柱祭」を日本
三大奇祭と呼んでいるそうだ。

全国各地の祭りも少子高齢化や後継者不足等で、廃止や縮小傾向にあるとのこと・・・
隠岐にも各地区それぞれに大小様々な祭りがあるが、先人から受け継ぎそして古き良き時代に思いを
馳せる祭りは、未来永劫に続いていって欲しいものだと思う。

新年会

2008年01月20日 | 気まぐれ日記
昨夜は自分の所属する会「西郷民謡振興会」の新年会だった。
我が会の歴史は古く発足から50年近くにならんとする会で、先輩方から今日まで引き継いでいる。
会場は西郷より車で約30分、風光明媚な場所に建つ「羽衣荘」にて開催、毎年恒例の歌い初め・弾き初め
そして踊り初めを賑やかに行った。
それぞれの席順はくじ引きで決めるので上席下席の区分は一切無し、写真はたまたま隣に座った我が会の
アイドル達???(かなり無理があるが?取り敢えず平成のキャンディーズ?とでもしておく)です。

会の発足以来の目的は一貫して“隠岐民謡の保存と普及”である。
不思議なもので民謡のブームは何年かの周期で波がある、ピーク時と比べたら会員数は減ってはいるが
最近では小学生や中学生の入会もあり、毎週水曜日の練習日は老若男女和気藹々と行っている。
唄・三味線・踊りと3部あるが、指導体制は基本的には先輩が後輩の指導育成をする、いわば学校における
クラブ活動みたいなものである。
全員が会費を払い会の運営を行う、一応三味線の部の部長でもある私も勿論同じように会費を払っている。

会主と生徒という関係は存在しないので、指導には厳しさが欠ける面も多少はあるが、会員相互の仲間意識
は強く良好な関係を維持しているように思う。
会の発足50周年を目の前にして何か記念行事をと思ってはいるものの、資金面で問題あり?どうしたものか
と思案をしている今日この頃でもあります。

高橋竹山語録

2008年01月18日 | 気まぐれ日記
芸事に限らず何でもその道を極めた人の話(語録)は面白く、為になることそしてなるほど!と頷ける
ことが多いものだが、ここでは高橋竹山師の語録を紹介したいと思います。

“おらの三味線 食うための三味線だ!”

三味線で苦労するのは音色だ。音色にもいいわるいがある。どうすればいい音がでるかということは
やはり勉強だ。これだけは習ったってできるものでない。
手は習うことができてもいい音をだすのはその人の力と、考えと仕事で研究しなければならないことだ。

三味線の音色は自分の気持ちと指でつくっていくものだ。気持ちと指と一致させるのがたいへんだ。
音はおなじ師匠からならっておなじ手でも人によってちがう。そこが面白いところだ。
師匠から習ったことばかりで、いいというものではない。師匠のいい音色を頭にいれるということは、これは
音だから眼でみてわかるものでない。

おらの師匠は三味線は下手だったが、曲の筋道ははっきりしていた。師匠はいくら上手でも筋道しか教え
られないし、また、上手は習われるものでない。それは自分でやることだ。
師匠というものはまちがいのない基本を正しく教えれば、いい師匠だ。

学校の先生も同じだと思う。先生のように生徒にやれ!といってもできるものでない。基本をしっかり覚え
れば、あとはその生徒に頭があれば、先生以上にやりたければやればいい。その筋を忘れないで勉強させ
れば教わったものは生きた力を出していく。

芸もその通り、師匠の教えた筋、規則を守らないで、早くうまくなろうと思って基本からはずれたり、自分の
やりやすいものをやるのではろくなものにならない。そういうのはいつまでたっても同じで、なるほどという
ところがなにもなくて終わってしまう。

才能のある人は、同じに習ってもたいへんうまく師匠から習った型を生かしてやる。
才能のない人は師匠から型を習っても、型を忘れてしまって手前勝手にやる。
こうした人はうんと努力しているのに何年やっても上達しない。どうでも努力すればいいというものではない。


            ~(「自伝 高橋竹山 津軽三味線ひとり旅」より)~

年賀状

2008年01月17日 | 気まぐれ日記
昨年末に年賀状を約300枚出した。北は北海道から南は九州長崎まで友人知人宛に出した。
毎年のことだが各地に元日の朝に届くよう、日にちを逆算して間に合うようにしている。
やっぱり年賀状は元日の朝に受け取ったほうが、より年賀状らしく嬉しいものだと自分でも思う。
だから忙しくても出来るだけ元日の配達に間に合うよう頑張って書くようにはしている。

自分でもよくわからないが年賀状の習慣は、日本だけの文化であろうか?
今どき年賀状なんて間尺にあわない!などという年賀状廃止論者の友達がいるのだが・・・
確かに電話やFAXそしてメールのほうが簡単で手っ取り早いのだが、果たして何でも簡単で
早ければいいのか?といえば決してそうは思わない。

日頃ご無沙汰して何年も逢う機会がなかったが、年に一度の年賀状で気持ちがつながっていて
何年か後に逢って、より絆が深まったという場合が多々ある。
このことが自分が年に一度の年賀状を大切にしている最も大きな理由かも知れない。

余談だが、これだけ枚数があるのに今までお年玉抽選では、切手シート以外に当ったことが無い。
果たして今年はどうであろうか?・・・