茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

頑張れ!郷土の出身力士!

2007年04月30日 | 気まぐれ日記
 間もなく大相撲五月場所が始まります。(5/13~5/27)
現在は隠岐から2名の力士が大相撲入りしております。
八角部屋の福岡(幕下東24枚目)と竹谷(三段目東72枚目)で、ともに隠岐の
島町港町の出身です。

 若い二人は相撲の名門校でもある隠岐水産高校を卒業(実は私も)後に角界入り
し頑張っております。
二人が一日も早く関取になるよう隠岐の人達は応援しています。

 頑張れ!郷土の力士!

(写真は福岡(手前)と竹谷)

しげさ節大会の資格審査会(テープ審査)

2007年04月29日 | 気まぐれ日記
 昨夜は第22回「しげさ節大会」の資格審査会がありました。
当地の大会は唄・三味線ともに初級・中級・上級に振り分けをし3部門に分かれて
優劣を競います。
大会初出場の方は事前にテープ審査を受け決定したランクでの出場となり、現在の
ランクより上での出場を目指す方も、テープ審査を受けることができます。
本大会にてその級で優勝となればワンランクアップとなりますが、これがなかなか
狭き門でもあり難しいようです。

 三味線の部の資格審査員に任命されてから随分経ちましたが、毎年この時期になると
いよいよ大会が近づいたなぁ~!と実感します。
昨夜は唄・三味線テープ審査の総数は約40名でしたが、上級にランク付けされた
のは三味線の部に出場の1名だけというかなり厳しい現実でした。
是非とも本大会では頑張って欲しいものですが、今回初参加の方も含め遠い地より
お越し頂く皆様方には、大会での健闘は勿論のことながら地元の民謡と人情、風土
文化に触れて頂き、隠岐の島に行って良かったと思うような大会にするよう関係者
一同努力するつもりです。

ござんせ!とって隠岐の宝島!歴史と民謡の島!でもある隠岐の島へ・・・

高速船 「レインボー2」

2007年04月28日 | 気まぐれ日記
 隠岐の島と本土(境港・七類)を約1時間で結ぶ高速船レインボーです。

このレインボー2は平成10年に就航、旅客定員317名、速力38ノットで快適

な船の旅を楽しむことができます。

あまりお急ぎではなく?ゆっくりと旅をされる方は、所要時間2時間20分の大型

フェリーをご利用下さい。

 隠岐への交通アクセスは当然のことながら船か飛行機になりますが、私達が子供

の頃と比べ旅客定員やスピードアップは目を見張るものがあります。

尚、飛行機は伊丹~隠岐間を1時間弱で結びます。

隠岐の島町の花 「石楠花」開花情報

2007年04月26日 | 気まぐれ日記
 今年は石楠花の花の付きが悪いそうです。
原因は不順な天候が考えられます、暖かい日が続いたと思ったら急に寒くなったり
本当に今年の天候は変でしたね。
隠岐の島町五箇地区の石楠花園では、例年ですと5月の連休頃には満開を迎えますが、
関係者の話によると今年は大幅に遅れるらしい。

 写真は2~3日前の様子ですが花はあちらこちらにぱらぱらといった状態です。
樹齢50年から100年の約1万本の古木が、一斉に花を咲かせるさまはまさに圧巻
ですが、ご覧のとおりまだまだといった状況です。
これだと来月12日の「しげさパレード」、翌13日の「しげさ節全国大会」頃にはおそらく
満開を迎えるのでは?機会がありましたら是非ともお立ち寄りを・・・

誕生日のケーキはどんな味?

2007年04月25日 | 気まぐれ日記
もう10日以上過ぎましたが、ブログでも紹介したように今月の13日は私の還暦
の誕生日でした。
娘と孫も境港市から帰り身内だけで、ささやかな祝いをした折の写真です。
いつもは無い?ケーキ付での祝いでした。
家族4人で賑やかに暮らしていましたが娘は嫁ぎ、息子は現在は横浜市に住んでいますので、現在では親子4人が顔をあわせる機会は滅多にありません。
現在は孫は一人ですが独身の息子も早く孫の顔を見せて欲しいものです。



ゴッタンです

2007年04月25日 | 気まぐれ日記
 大阪の梅若会幹部の梅若朝雲さんからゴッタンを貰いました。
宅急便にて本日(あれ!日付が変わりましたので昨夜に訂正)届きました。
嬉しい!!早速弾いてみました、爪弾きで・・・撥は使えないのでピック若しくは
爪弾きでしょうね。
哀愁を帯びた素朴な音色・・・我が稽古部屋に早速仲間入りしました。
発泡スチロールの板に挟み、キチンと丁寧に梱包されて我が家に到着、まさにいつも優しい朝雲先輩の人柄が偲ばれます。
朝雲先輩といえば、先日開催の「大阪梅若会20周年記念大会」にお邪魔した折に
も、なんと!私が今まで持ったことも無い象牙の撥をくれました。

 頂いてばかりの私からは何も差し上げるものが無い・・・格好いいことばですが
もっともっと勉強して人様から認めてもらえる三味線弾きになるのが恩返しかな?
朝雲先輩どうか長い目で見守っていて下さい。

すでに使い古した?親父ギャグにてお礼を・・・どうもごっっあん(ゴッタン)です!これで期待に添えなきゃ罰(撥)あたりだ~!・・・お粗末でした。


民謡評論家

2007年04月23日 | 気まぐれ日記
 現在民謡評論家と呼ばれている方々は多数おられることと思います。
よく民謡誌等でその評論を目にする機会がありますが、なるほど!と頷き興味を持たせるものや、大変失礼ながら???と思わせるもの等色々ですが、最近興味を抱いた記事を発見しました。
みんよう春秋の「民謡時評」に毎号寄稿している岡本一彦さんの私の民謡遍歴「日本の伝統と西洋文化の間に生きる」と題した記事の中に以下のような文章を目にしました。
 以下原文のまま・・・

 私の幼少期における音楽体験は95%以上洋楽だった。
それは昭和初年代に音楽学校でピアノを学び、毎日のようにシューベルト、ショパン、ブラームスのピアノ曲を弾いていた母親とその兄がチェロとギターで玄人はだしの演奏をしていたことに加えて貿易商社にいた父が今でこそテレビCMなどで一般化しているけれど当事はその存在を知られることがなかったブロッホやサテイ、ストラビンスキーのオペラ「結婚」などのレコードを大量に持っていたためである。そんな私が洋楽意外のものにちょっと興味を惹かれたのは遊び場にしていた大森海岸で聴いた海苔採り職人の唄と、広島県三原市の旧家に住む叔父の家に遊びに行った時に出会った老婆の「あいや節・・・三原ヤッサの原型」、門司の祖父が酔うとよく歌った俗曲、大森の神社で奉納された神楽などであった。
こういったものは、私が日常耳にしてきた洋楽とは全く違うものながらどこか素朴で人間くさい響きを持っていて、時がたってもなんとなく記憶に残る不思議な存在となり続けた。
               中略・・・
現代の都市では会社を中心とする縦の関係が強く、「隣は何をする人ぞ」と地域の人間関係が希薄になり、ふるさとを離れた大多数の都市住民の間では家の歴史や祖先に対する認識もほとんど消滅している。
横のつながりも歴史的な縦のつながりも失った都市住民の心が「今」にしかなくなっている現状の中で「民謡」がいかに大事なものかを痛感したことがその後の私の生き方をきめたのである。

以上原文のまま掲載しました。

 私が特に興味を惹かれたのは、幼少時より洋楽一辺倒の家庭環境の中で育ちながらも民謡に興味を持ち惹かれていった点です。
身体の中に脈々と流れている血、それは日本人の血であると・・・

 そして後段の部分です。
私が民謡を始めたきっかけ、それは「ふるさと愛」に目覚めた?からではなかっただろうかと今でも思っています。
大阪で会社勤めをしていた若かりし頃、隠岐の民謡をふと耳にしたときのなんとも形容しがたい気持ち、40年経った今でも鮮明に覚えています。
私達が都会で隠岐民謡を演奏させて頂くとき、必ずといっていいほど郷土の出身者
の方々が応援に駆けつけてくれます。
言ってみればこれもふるさとに想いを馳せる「ふるさと愛」そのものです。
自分の趣味でもある民謡で、そんな人達とふるさとを結ぶ架け橋となれることは
我々にとって大きな喜びでもあります。
私にとって民謡は日常生活の一部であり、ふるさとそのものだと思っています。

木撥

2007年04月22日 | 気まぐれ日記
 木で出来た撥です。
皆さんは見たことがありますか?
私が子供の頃に父が使っていたことを覚えています。
どうして今どき?木の撥を持っているの?と思うでしょうが、実は某先生との話の
なかで”昔は木の撥で弾いていましたねぇ~”と昔話をしていたら、後日その先生が送ってくれました。
詳しいことは分かりませんが、材質は樫の木で撥先の部分はツゲの木では?と思います。
使ってみると手にはピッタリ馴染み、音色もそこそこですが舞台ではねぇ~???
でも珍しいので大切にしております。

 皆さんも各人それぞれが、重さや撥先の堅さの具合等々色々と気を遣っていることと思います。
何かと参考のために各人の「私の撥へのこだわり」を発表?仕合いませんか?
思うに・・・色々なこだわりがあって面白いのでは???

 次の機会には私の「勝負撥!?」を紹介します。

菜の花

2007年04月21日 | 気まぐれ日記
 ♪菜の花畑に 入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし

  春風そよ吹く 空を見れば 夕日かかりて 匂い淡し    「朧月夜」


 菜の花が満開です!場所は昨年7月完成なった新隠岐空港滑走路横の広場です。

広大な地に我先にと咲き誇る黄色い妖精の群れは圧巻ですよ~!

陽が傾きかけた頃、娘と孫を連れ散歩がてらに行きましたが夕日を背にいっぱい

受けながら咲き競う姿は、何とも形容し難い美しさでした。


 菜の花や 月はおぼろに 陽は西に  

春夏秋冬、巡り来る四季がはっきりと肌で感じられる隠岐は最高!!!

しげさ節?隠岐しげさ節?

2007年04月20日 | 気まぐれ日記
 皆さんご存知の「しげさ節」は隠岐の代表民謡であることは、すでに周知の事実であると思います。
私は以前から気になっておりましたが、曲名の頭に「隠岐」がついたりつかなかったりして、一体どちらが
正しい呼び方であるのか迷っている方も多いと思います。
このように申せば”お前がはっきりせよ!”とのお叱りを受けそうですが・・・
私は断然「しげさ節」派?です。
思うに・・・遠く帆船時代に日本海を航行する北前船により、新潟県の柏崎地方の
盆唄である「しゅげさ節」が隠岐に伝わった当初は、頭に隠岐がついていなかった
のではなかろうかと推察しています。
では、いつからそうなったのかと申せばこれも私の想像の範囲ですが、隠岐の島は
昭和38年に大山隠岐国立公園に指定され、名実共に歴史と民謡の島隠岐としての
観光事業に力を入れ始めた頃であったと思います。
全国各地を巡る観光宣伝のために民謡キャラバン隊が結成されたのも丁度この頃で
あったと聞いております。
頭に隠岐をつければ宣伝効果もより上がるとのことであったのでは?それに付け加
えて皆さんご存知の「ハァーヤッショメヤッショメ」の囃子も、しげさ節に踊りがついた場合により賑やかに派手さを
出すために付け加えたのではなかろうか?
元来しげさ節にお囃子はなかったものと思います。
歌詞の最後に・・・おもわず泣き伏す乱れ髪・主さん恋しと泣いている・胸の想いは切れやせぬ等々にヤッショメ
ヤッショメの囃子を掛けるのはどう考えても変だ。
 
 毎年5月の第二日曜日に行政関係が主体となって開催される「しげさ節全国大会」も今までの流れで
頭に隠岐がついております。
私は断固として?しげさ節全国大会と呼んでいますが、何しろ多勢に無勢といった感は否めません。
私の頼みの綱はNHKです?皆さんもよく気をつけて見たり聞いたりされればお分かりだと思いますが、民謡番組
等でNHKは絶対に頭に隠岐をつけません。
なんだか取り留めの無い文章になってしまいましたが、民謡を愛好されておられる皆様方はどのように思われ
ますのでしょうか?