茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

なまはげ

2008年01月16日 | 気まぐれ日記
“悪い子はいねぇが~~”と叫びつつ各集落を回る、秋田県男鹿市の伝統的な祭り「なまはげ」がある。
よくマスコミ等に取り上げられるのでご存知の方も多いと思います。
国の重要無形文化財にも指定されているこの祭りに前代未聞の事件が起こった。
なんと!鬼の面をかぶった一人が、行く必要のない?旅館2Fの女湯に入り込んだというではないか!
気持ちはわかるが??絶対にあってはならないことである。

古来より祭りに酒は付き物ではあるが、それも度を過ぎるととんでもないことになる。
因みにこのなまはげに入っていたのは20代の男、行く先々での振る舞い酒によってか、すでにかなり
酔っ払っていたというが、それでも1Fのロビーから2Fの女湯まで間違わずに直行しており本人は意外
と冷静ではなかったか?と周囲では話しているとのことだ。
これに所属する町内会のなまはげは今後3年間、温泉郷への出入り禁止処分になったという。

酒といえば我々が若かりし頃に隠岐では「全隠岐民謡選手権大会」が毎年開催されていた。
今では考えられないことではあるが、各控え室には主催者から酒が配られ出場者や関係者をはじめ
審査員も飲みながらの大会運営をしていた。
のんびりした時代があったものだが、間もなくこの悪しき風習は?廃止の憂き目に・・・

酒をこよなく愛する?方々お気をつけあそばせ・・・

初代 京山幸枝若

2008年01月14日 | 気まぐれ日記
梅の浪花で産声あげて 度胸千両の江戸育ち 何の世間が笑おうとままよ やくざ渡世に五尺の体 

賭けた京都の会津部屋 本名上坂(こうさか)仙吉は・・・・・誰か止めてくださ~い!?

ご存知、初代京山幸枝若の「会津の小鉄」の名調子ですが、何を隠そう?私のもう一つの趣味は浪曲です。
なかでも軽快なテンポと歯切れの良い啖呵でなる、初代京山幸枝若の熱狂的なファンでもあります。
大変残念なことに師は平成3年に亡くなられましたが・・・

会津の小鉄 左甚五郎 寛政力士伝 河内十人斬り等々、師の読み物は数限りなくありますがほとんどの
音源は全て持っており、その都度機をみては聞いて楽しんでおります。
どの読み物も全て素晴らしいものであるが、なんと言っても十八番中の十八番はこの「会津の小鉄」であろう。

師は大正15年生まれで両親はともに浪曲師であった。幼い頃より厳しい修行に耐え満5歳で初舞台を踏み
少年米若と名乗って「紺屋高尾」を口演したという。
浪曲のみならず師の読む軽快なテンポの「河内音頭」は絶品である。

名人芸とは師のためにあるような言葉ではなかろうか・・・

ブログランキング

2008年01月14日 | 気まぐれ日記
目指せ1000位以内!読者の皆さんが聞かれたら一体何のこと?と思われることかも知れませんが・・・
私の場合は数ある中でgooブログを利用させていただいております。
前日のアクセス数・アクセスIP数が毎日表示され、そして日曜日~土曜日までの1週間の集計した数字
が表示される。

最初の頃は数字の変動が激しかったが、最近では表示される数字も落ち着いてきた。
因みに昨日現在でこのブログ利用者総数は935495人です。
そのなかで1000位に入れば○○○位と表示されrますが、今だかってランキング入りしたこたはない。
アクセス数とアクセスIPの向こう3週間の平均は、1580と580です。

どんだけ~~!(どれだけ?)の数字で1000位以内のランキング入りするのかは皆目見当がつかない。
でも一度でいいからランキング入りしたいものだと思っている。

私の拙いブログの読者の方々どうかよろしくお願いします。

オーラ

2008年01月13日 | 気まぐれ日記
写真は津軽三味線の大御所でもある五錦竜二先生とのツーショットです。
今から約3年前に長崎県の「健謡会」(松尾健会主)の発表会に国村千鳥さんとともにお邪魔しました。
そのときのメインゲストとして五錦先生が出演しており、それまでにも面識はありましたがゆっくりと話を
させて頂いたのはこの時が初めてでした。

私は前乗りで前日に長崎に到着、初めての地でありました。
隠岐~伊丹~長崎と飛行機を乗り継いで行きましたが、長崎空港近くになると眼下に広がる無数の島々
の景色は素晴らしく今でも印象に残っています。
また用意されたホテルも坂の街長崎を象徴するかのように、急な坂道を上った高台にあり部屋の窓から
眺める夜景はなんとも美しく、まさに百万ドルの夜景と呼ぶにふさわしいものだった。

本番当日は例によって?楽屋一番乗りである、どこの会場にお邪魔しても楽屋入りは早くほとんど一番
に楽屋入りする、このときも出番は午後3時過ぎ頃であったが午前9時過ぎに入った。
一方の千鳥さんは当日入りで正午過ぎに無事到着した。

本番も無事終了し楽屋に三味線を置き直ぐに舞台袖に直行、いよいよ五錦竜二先生の出番である。
先ずは津軽じょんから節の曲弾きからだったが、物凄い迫力だ!地から湧き出るかのような感じの音色
かと思えば一転して繊細な優しい風を感じさせるかのような澄んだ音色、そして軽快なテンポにピタッと
きまる撥使い、まさに自由自在で聞いていて心地良いリズムはさすが!としか表現できない。
舞台袖から見ると至近距離であるいわば特等席だ、圧巻は十三の砂山の演奏であった。
あまり舞台でそして独り弾きでこの曲の演奏は珍しいのでは?それにしても素晴らしい音色だった。
やっぱり違う・・・何が?と問われたら、これです!と即答できないかも知れないが全てが違う。
ただ漠然とした表現だがものすごい「オーラ」を感じるとともに、世の中は広い凄い人がいるものだ・・・
決っして派手さはなく、若手の奏者がやるような曲芸的なことも一切ないがなぜか心に沁みる音色だ。

初心の心を宝とし 自分の魂の叫びを 三味線の音色にのせ 

       奏でることができるよう 努力と勉強を惜しまずすること        五錦 竜二

料理こそ最強の「脳トレ法」?

2008年01月12日 | 気まぐれ日記
記憶力の低下やうっかりミスなど、現代のストレス社会で「脳」の衰えが気になる人が急増中だとか・・・
自分はどうかと問われたら、確かに若い頃と比較するとあらゆる面で記憶力が低下していることは実感する。

“茶山さんどうもこんにちは!先日はよかったですねぇ~頑張って下さい!”
“あぁーどうも・・・?またよろしくお願いします”・・・とは言ったものの誰だったかなぁ~?確かに顔は見覚えが
あるものの、どうしても名前や何処の人だったのかを思い出せないことがある。
皆さんはこのような経験はありませんか?・・・正直にお答え下さい??

今や脳トレが大流行し「脳トレグッズ」なるものが大量に出回っているそうだが、それよりもまず大切なるものは
日常生活でありそれも一日3度の食事だという。
ある専門家の先生によると、脳を元気に保つ栄養素は糖質・アミノ酸・脂肪だそうです。
キーワードは「ま・ご・わ・や・さ・し・い」だそうな・・・豆類・ごま・わかめ(海藻類)・野菜・魚・しいたけ(きのこ類)
芋類だとか!(語呂合わせも上手く考えたものだね)

さて標題の「料理」だが、日常生活の中で脳トレをするなら料理が最適だとか(カリスマ料理人の朝雲先輩殿!
聞いていますか?)まず、冷蔵庫を開けて家族構成や嗜好、健康状態から何を(献立)どれくらい(食材の分量)
どのように(料理の手順)を考える料理は、脳のあらゆる機能をフル活用することに、ごはんを作るということは
体の健康を管理するだけでなく、自分の能力を鍛えることになるとか。
実際にアルツハイマーの進行を遅らせる治療にも、料理が使われているそうだ。

「男子厨房に入るべからず」は今や死語になりつつある。
料理について講釈ばかり?語っているあなた!早速今日から厨房に入ってみたらどうですか?
えっ!?私は?・・・ず~~と以前より入っていますよ。

ソバ打ち踊り

2008年01月11日 | 気まぐれ日記
皆さんご存知のように隠岐には古くから伝わるユニークな踊りがある。
どっさり節にのせて踊る「ソバ打ち踊り」しげさ節の「鍋蓋踊り」キンニャモニャの「シャモジ踊り」等々
歴史と民謡の島と呼ばれて久しいが、宴会などで興が乗れば誰とはなくそこの家の台所から適当に
何かを持ち出して踊ったという。

皿・鍋蓋・シャモジ・桶・柄杓・ソバ打ちの道具等々、だから隠岐民謡の踊りには何処の家庭にでも
ある簡単な台所用品を使った踊りが多い。
男性陣は座敷でガヤガヤと大騒ぎをしながら酒盛り、一方台所を預かる女性陣は何かと忙しく動き
まわるのみ、腹に据えかねた?女性陣が身近にあった物を手に持って踊りながら飛び入りをした。
だから隠岐民謡の踊りには台所用品が多いと古老から聞いたことがある。

さて、この「ソバ打ち踊り」だが各地の舞台などで披露する機会も多く今では随分メジャーになった。
今や日本一の舞踊団と呼び声高い東京の民族芸能文化連盟(民文連)「若竹」の岸団長が隠岐の
この踊りを取り入れ、少しアレンジを加えてものの見事に踊りを披露される。
隠岐の歌姫こと国村千鳥さんの唄とともに、何度も舞台でご一緒させてもらったことがある。
(今月の27日、大田区民センターでの「秀三根会35周年記念民謡発表会」でも共演する)

昨年11月のしげさ節東京大会の折に民文連の新倉理事長にお逢いし話をする機会があった。
そのとき理事長が“茶山さん!うちのソバ打ち踊りもなんだか少しマンネリ化した感じがするのだが
何か良いアイディアはないものだろうか?”とのことでした。
そのときふと思ったのは、二人で踊るソバ打ち踊り、いわゆる夫婦踊りはどうだろうか?
夫婦役の二人が掛け合いで面白おかしく踊る踊りであり、これを民文連なりにアレンジし振り付けして
踊ればきっと素晴らしいものができるのでは?と思い理事長に進言した。
理事長も乗り気で“何かその踊りの資料でもありますか?”との問いに、おそらくあると思いますので
帰ってから連絡させて頂きますとその場は別れた。

帰宅後に山と積まれた?ビデオテープの中からやっと見つけ出しCDに落とし送ってあげた。
数日後にマネージャーからお礼のメールが入り、それによると今日は皆でそのDVDを見ての勉強会
を開催しますとのことでした。
先日には千鳥さんと電話で話す機会があり、そのことの話をするとソバ打ち踊りも今までとは何か違う
ことを考えているようでしたよと言っていた。

いずれにしてもそのうちに発表されるであろうが、大いに楽しみでもありそして期待をしています。


本年の「初弾き」

2008年01月10日 | 気まぐれ日記
正月三が日のうちにと思っていた初弾きもままならず、結局は昨日の夜が今年の初弾きとなった。
場所は隠岐島文化会館1Fの和室、自分が所属する会の西郷民謡振興会が毎週水曜日に練習を
している場所でもある。

今月の23日(水)安来市の安来節演芸館での隠岐民謡公演に向けての打合せを兼ねた全体稽古
の場での、初弾きが即稽古となった次第です。
暮れから正月にかけて何かと怠けていたので、予想通り?最初は手もつれのオンパレードである。
やっと手先が温もり調子が出かかったら時すでに遅し稽古も終了だ。

踊りの女性軍(昔の娘さん方?)3名はこれまで自分達で稽古を重ねていたらしく動きが軽い。
怠けていたのは私を含む地方連だ、唄の二人も歌詞の間違いや声も本調子ではない。
正月を挟んでいたとはいうものの反省!反省!また反省!もっと本気モードにならなくては・・・

てなわけで今月18日(金)にもう一度全体稽古を、それまでは各自自宅にて稽古をするように!・・・
と我が会以外の唯一の参加者でもある太鼓担当の尾崎氏(隠岐民謡協会会長)の弁だ。
主催者にすれば入場料大人4500円(食事券・記念品付)を徴収しているのだから、いい加減な演技
ではどうしようもないはずである。
本番までには各自が自分の持てる力を最大限に発揮できるようにしなければならない。
入場料を取るからには自分は素人でございます・・・との甘えは許されず通用しない。

ましてや今回は(今回も?)三味線は自分一人だ!今夜から本気モードに突入するぞ!

お見合い1対30

2008年01月10日 | 気まぐれ日記
NYヤンキースの松井秀喜が石川県能美市でお見合いをしたそうだ。
ファンとの交流イベントでの話だが、その数なんと!1対30とはなんとも贅沢な?ことではないか。

なかには、始業式を休んで来たという小学校教諭や、この3月に結婚する予定の人が破談覚悟で参加した
猛者もいたというから驚きだ。
因みに参加者の年齢は、下は中学生から30歳代後半の人までいたそうです。

昔の人の結婚といえば家と家との繋がりによって否応無しに結婚した(させられた?)そうだ。
そしていざ結婚したら離婚は最大の恥であるといった時代背景もあり、離婚率は物凄く低かったらしい。
結婚した明くる日に初めてお互いの顔を見たという笑い話もある。

見合いといえば、実は私も過去に一度だけ見合い(らしきもの?)をした(させられた?)経験がある。
3人兄弟の末っ子なのでお決まりの?婿の話であったのだが・・・結果はそれとなく自然消滅?となったが
小さな町のこと、当初はたまに出逢うとなんだか気まずい思いをした覚えがある。

読者の皆さんは若かりし頃に、このような経験はありませんか?


第6回「紀州路民謡全国大会」

2008年01月09日 | 気まぐれ日記
♪ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ 巡航船

♪潮の岬に 灯台あれど 恋の闇路は 照らしゃせぬ

お馴染みの和歌山県民謡「串本節」ですが、来月2/17(日)に母なる川、清流紀ノ川のほとりの自然豊
かな場所に建つ、紀の川市の粉河ふるさとセンター(写真)にて標記の大会が開催されます。

先日のブログにて1月は安来市の安来節演芸館、そして東京は大田区民センターでの舞台の紹介を
しましたが、来月はこの和歌山での舞台にもおじゃまします。
どうして隠岐から和歌山に?と思われるかも知れませんが、実は話せば長いことながら?実は短くて
ごく簡単な話なのです。

和歌山にこの人あり!昨年の5月NHKホールにて、各地の全国大会の覇者が一堂に会し開催された
「日本民謡フェスティバル2007」は皆さんの記憶に新しいところだと思います。
「安来節」を素晴らしい節回しで唄いきって、見事グランプリに輝いた女性の方を覚えておられますか?
背はスラリと低く?六口(無口?)でいつも必要以上に元気?で底抜けに明るい人!何を隠そう(別に
隠す必要もないが?)この人こそ藤原眞千子(ふじわらまちこ)さんです。

実は何を隠そう(隠すな!!)民謡を通じて知り合った我が親友でもあります。
最近の彼女はまさに破竹の勢い、隠岐での「しげさ節全国大会」安来市での「安来節全国優勝大会」
をものの見事に制し、余勢を駆って「日本民謡フェスティバル2007」へと駒を進めてあれよあれよと
いう間についに日本一になってしまった。
唯一つ親友として気になること・・・あのときの賞金○万円はどうしたの???

彼女と知り合ってからもう何年くらいになるだろうか?
現在は和歌山県民謡連合会の事務局長として大活躍、和歌山から軍団を引き連れて毎年5月には
隠岐での「しげさ節全国大会」に臨んでいるが(通称 和歌山軍団・藤原組)最近ではこれではまだ
まだ不足とばかりに8月の海士町での「キンニャモニャ祭り」にも軍団で参加している。

こんな事情だから彼女が取り仕切る「紀州路民謡全国大会」にはどんなことがあっても顔を出さねば
男がすたるというもんだ。(少々すたり気味ではあるものの?・・・)
元気印の彼女はもともと大阪の出身である(大阪のおばちゃんの象徴!豹ガラシャツは着ないが?)
彼女の良き理解者で絶対服従の?ご主人はタクシーの運転手で私と同い年でもある。
そして幸せなことに母親に似ず?美人で可愛い娘さんも唄・三味線・踊り・鼓と何でもござれです。

今日は随分と彼女を褒め称えて?しまいました。
いつも逢う度にそのパワーに圧倒されながら、こちらもその度にパワーをもらっています。
我が良き友よ!いつまでもパワー全開でいて下さい。

来月は隠岐から応援に行きますよ~!

団塊の世代

2008年01月08日 | 気まぐれ日記
団塊の世代とは・・・第二次世界大戦直後の日本において1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)
にかけての第一次ベビーブームで生まれた世代である。
兵役についた人たちがこの時期に終戦に伴う復員をしたため、おのずと婚姻、出生人口がこの時期に重なった。
1947年生まれの私はバリバリの団塊世代、いうなれば団塊世代のはしり?ではなかろうか?

子供の頃に先生から゛君達は日本で一番同級生の多い世代だ、それだけに将来生きていく上で最も競争率が
高い世代、しっかり勉強しなければ取り残されるぞ!”とよく言われたものだった。
最近では少子化問題が取り沙汰されるなか、高校入試などでは殆どの学校が定員割れを起こしている状態だ。
確かに我々の時代は人数は今とは比較にならないほど多かったが、それだけにクラスや科も増やされたと思う。

高校卒業と同時に民間の会社勤めも経験したが、そんなにも激しい競争をしいられた記憶も無く現在に至っている。
昭和48年に西郷町役場(現在の隠岐の島町役場)に採用となったが、現在では全く考えられないことではあるが
無試験で採用となった。(当時は公務員という職業は人気がなかった)
民謡が盛んな町であった為、私の場合は「三味線で採用となった」???ジョーク!ジョーク!(笑)ウソですよ~。

その団塊世代のはしり?が今春は大量に定年を迎えることとなる。
いわば第二の人生のスタートラインに立つ、ここからが出番?と充実した日々を過ごしたいものだ。