私の父(94歳)と孫(2歳)です。
その年齢差はなんと!92歳・・・父は大正2年1月12日生まれで、もうすぐ95歳になります。
職業は大工で我々兄弟3人を育ててくれました。
趣味は仕事?と三味線であり、今でも時折ディーサービスセンターで三味線を弾き楽しんでいる。
私の二人の兄達は三味線(民謡)にはとんと興味がなく、どうやら末っ子の私だけが父の影響を受けたようだ。
西郷町(現在は隠岐の島町)の中心に位置する、都万目(つばめ)というところが私の生まれ育ったところです。
家が30軒足らずの四方を山に囲まれた小さな集落ですが、元祖そば打ち踊り・なべ蓋踊りの名人や島一番の
歌い手を輩出した地として知られている。
いわば人が3人寄れば唄・踊り・三味線がでるといった土地柄であった。
隠岐の島のなかでも特に雪深い地であり、当時は冬場の夜ともなれば毎日のように歌声が聞こえていた。
鮭は将来「必ず自分の生まれたふるさとの川に戻ってくる」習性があるという。
鮭と比較する訳ではないが?・・・
今でも私がふるさと隠岐の民謡にこだわり続けることと満更無縁ではないのかも知れない。
その年齢差はなんと!92歳・・・父は大正2年1月12日生まれで、もうすぐ95歳になります。
職業は大工で我々兄弟3人を育ててくれました。
趣味は仕事?と三味線であり、今でも時折ディーサービスセンターで三味線を弾き楽しんでいる。
私の二人の兄達は三味線(民謡)にはとんと興味がなく、どうやら末っ子の私だけが父の影響を受けたようだ。
西郷町(現在は隠岐の島町)の中心に位置する、都万目(つばめ)というところが私の生まれ育ったところです。
家が30軒足らずの四方を山に囲まれた小さな集落ですが、元祖そば打ち踊り・なべ蓋踊りの名人や島一番の
歌い手を輩出した地として知られている。
いわば人が3人寄れば唄・踊り・三味線がでるといった土地柄であった。
隠岐の島のなかでも特に雪深い地であり、当時は冬場の夜ともなれば毎日のように歌声が聞こえていた。
鮭は将来「必ず自分の生まれたふるさとの川に戻ってくる」習性があるという。
鮭と比較する訳ではないが?・・・
今でも私がふるさと隠岐の民謡にこだわり続けることと満更無縁ではないのかも知れない。