茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

年齢差は92歳!!

2008年01月02日 | 気まぐれ日記
私の父(94歳)と孫(2歳)です。
その年齢差はなんと!92歳・・・父は大正2年1月12日生まれで、もうすぐ95歳になります。
職業は大工で我々兄弟3人を育ててくれました。
趣味は仕事?と三味線であり、今でも時折ディーサービスセンターで三味線を弾き楽しんでいる。
私の二人の兄達は三味線(民謡)にはとんと興味がなく、どうやら末っ子の私だけが父の影響を受けたようだ。

西郷町(現在は隠岐の島町)の中心に位置する、都万目(つばめ)というところが私の生まれ育ったところです。
家が30軒足らずの四方を山に囲まれた小さな集落ですが、元祖そば打ち踊り・なべ蓋踊りの名人や島一番の
歌い手を輩出した地として知られている。
いわば人が3人寄れば唄・踊り・三味線がでるといった土地柄であった。

隠岐の島のなかでも特に雪深い地であり、当時は冬場の夜ともなれば毎日のように歌声が聞こえていた。
鮭は将来「必ず自分の生まれたふるさとの川に戻ってくる」習性があるという。

鮭と比較する訳ではないが?・・・

今でも私がふるさと隠岐の民謡にこだわり続けることと満更無縁ではないのかも知れない。

2008年01月02日 | 気まぐれ日記
午前11時30分過ぎ約10分遅れで、満員の乗客と大量の荷物を乗せ三日ぶりに西郷の港に船が着きました。
暮れの30日に帰省予定であった孫達は、海上シケの中2時間半の船旅を終えやっとの思いで帰省しました。
聞くところによると娘婿と孫は平気であったが、船に弱い娘がダウン寸前であったとか・・・

待ちに待った孫達の帰省に、我が家は一時パニック状態に陥った。
この3日には横浜に住む息子も帰省する予定だ。
今年の正月は雪の無い正月であろうとの予想は見事に外れ、暮れも押し迫ってからの雪で積雪となった。
息子は羽田~伊丹~隠岐と飛行機を乗り継いで帰る予定だが、予報によれば明日からは幾分回復するだろう
とのことなのでおそらく大丈夫であると思う。

息子の話では6日から仕事に備え5日には帰るとのこと、いわば二晩のみの帰省となるのだがどうしても自分は
帰りたいから帰るということだ。
(こちらはたった二晩だけのことだから次の機会にしたら?と伝えたのだが・・・)

゛自分がふるさとを離れてみて初めてふるさとの良さがわかる”・・・これは私にも経験がある。
いつまでも自分のふるさとを大切にする気持ちを持ち続けて欲しいものだ。