太宰治(1909~1948)が山崎富栄と玉川上水に入水心
中して果てたのは、昭和23年6月13日のことだが、
毎年一度太宰を偲ぶ会を持とうという相談が友人知己
の間から持ち上がり、翌昭和24年の6月19日に第一回
の桜桃忌が開かれた。
「6月19日」に決まったのは、太宰の遺体がその日に発
見され、奇しくも39歳の誕生日に当たったことにちなむ。
「桜桃忌」の名は、太宰の死の直前の名作「桜桃」にち
なむものだが、
鮮紅色の宝石のような北国を代表するこの果物は鮮烈
な太宰の生涯と珠玉のような短編作家というイメージに
最もふさわしかったからである。
今、「津軽」を読んでいます。
津軽の雪
こな雪
つぶ雪
わた雪
みづ雪
かた雪
ざらめ雪
こほり雪
(東奥年鑑より)
新沼謙治の歌う「津軽恋女」のサビに使われていたのを
知ったのはつい最近のことでした
青森・秋田・岩手には行ったことがないからでしょうか・・・・
とても異質な文化を感じます
イタコとかナマハゲとかも良く理解できないけど、東北
には必要なモノだったんでしょうね
中して果てたのは、昭和23年6月13日のことだが、
毎年一度太宰を偲ぶ会を持とうという相談が友人知己
の間から持ち上がり、翌昭和24年の6月19日に第一回
の桜桃忌が開かれた。
「6月19日」に決まったのは、太宰の遺体がその日に発
見され、奇しくも39歳の誕生日に当たったことにちなむ。
「桜桃忌」の名は、太宰の死の直前の名作「桜桃」にち
なむものだが、
鮮紅色の宝石のような北国を代表するこの果物は鮮烈
な太宰の生涯と珠玉のような短編作家というイメージに
最もふさわしかったからである。
今、「津軽」を読んでいます。
津軽の雪
こな雪
つぶ雪
わた雪
みづ雪
かた雪
ざらめ雪
こほり雪
(東奥年鑑より)
新沼謙治の歌う「津軽恋女」のサビに使われていたのを
知ったのはつい最近のことでした
青森・秋田・岩手には行ったことがないからでしょうか・・・・
とても異質な文化を感じます
イタコとかナマハゲとかも良く理解できないけど、東北
には必要なモノだったんでしょうね
朝、『斜陽』を一気読みしてしまいました。
寝不足の頭に重っ・・・
でも、生死を考えるような重いのを読むと、
あー、がんばろって思えるから不思議ですよね。
今、読んだらこんなに長生きして
いいのかしらと思わせるところが
ありますね
彼に言わせれば、
「大人は裏切られた青年の姿」
「信じるところに現実はあるのであって、
現実は決して人を信じさせることができない」
のであります