のこぎり教室もお陰様でにぎわいをみせています。
そうなると、皆で弾こうかということになり、「合奏」と相成ります。
私の両親はあろう事か二人とも「合唱」をやっておりまして、更にはそれぞれの兄弟も声楽だったりハワイアンだったり、だいたい何かしら音楽をやっている人たちでした。
だからこそ、ハモリ(ハーモニー)は大好きだし、そういうものを色々取り入れたくなるのですが、果たしてそれを皆に要求して本当によいものだろうかと、一考。
今でこそカラオケの普及もあり、人前で歌うことも当たり前の世の中になりましたが以前は明らかに違いました。
丁度「音楽からみた日本人」(小島美子著・NHK出版)という本を読んでいまして、その本の冒頭(これも引用なのですが)に「日本人は何かの罰として人に歌わせるおかしな人たちだ、これほど歌いたがらない民族は珍しい」と書かれています。
本当だ。その通りだ。と、いきなり納得してしまいました。
結局、学校教育が問題なんですが、同様にピアノをほとんど使わないお宅に調律に言った際に、もっと弾いてあげてくださいということを申し上げるんですが、必ずと言っていいほど帰ってくる言葉は「下手で恥ずかしいから弾けない」ということです。
最初から上手い人なんているはずないのに。
更にこの本読み進めていくと、「ハーモニーはあったか」という章にあたります。
西洋の音楽などは「合唱」が当たり前ですが、日本の音楽の場合「斉唱」がほとんどだと言われて気がつきます。
そういえば以前読んだ「これでいいのか日本のうた」という本では、明治・大正期に多く作られた唱歌・叙情歌も作曲者によって書かれたのはメロディのみで、コード(伴奏)は他の人が書いたものが多いということが書いてありました。
ちょっと意味合いが変わりますが、沖縄の「ネーネーズ」も斉唱(ユニゾン)であって、合唱(ハーモニー)ではありません。だけど、彼女たちの歌にハモリを要求する人はいないでしょう。
現在私の生徒さんには、結構団塊の世代がいます。
(そうでない世代も含めてだが)小さいときからバリバリクラシックやってましたという人以外、日本人にとって西洋的ハーモニーって(やる身として)どういう風に受け止めるものだろう?
私も別にバリバリやってたわけではないので、それほど得意というわけでもないのですが。
「音楽からみた日本人」には、西洋が音を均一化してハーモニーを重視していくようになった一方、日本は各楽器の音色に特色を持たせること(三味線同士、笛同士、太鼓同士)に力を入れていたというようなことも書かれてました。
音楽への向き合い方がどうやら逆なんですね。
だけどふと思ったのが、「相の手」なんかは盛んですよね。
そういうことを考えながら、楽しい合奏というものを今一度模索しないといけないな~などと思ったのでした。
だけど、各自「楽しい」の線引きは違うだろうから、これは誰々の楽しい。これは誰。という風にバリエーションを増やしたらよいのだろうか?
この辺も難しい。
のこぎりやってる人も、やってない人も是非いろんな意見を聞かせてください。
あ、今回たまたま久しぶりに「カエルの歌」の「輪唱」をやりました。
これは世代に関係なく、抵抗なく面白いんじゃないかなと思いました。
そうなると、皆で弾こうかということになり、「合奏」と相成ります。
私の両親はあろう事か二人とも「合唱」をやっておりまして、更にはそれぞれの兄弟も声楽だったりハワイアンだったり、だいたい何かしら音楽をやっている人たちでした。
だからこそ、ハモリ(ハーモニー)は大好きだし、そういうものを色々取り入れたくなるのですが、果たしてそれを皆に要求して本当によいものだろうかと、一考。
今でこそカラオケの普及もあり、人前で歌うことも当たり前の世の中になりましたが以前は明らかに違いました。
丁度「音楽からみた日本人」(小島美子著・NHK出版)という本を読んでいまして、その本の冒頭(これも引用なのですが)に「日本人は何かの罰として人に歌わせるおかしな人たちだ、これほど歌いたがらない民族は珍しい」と書かれています。
本当だ。その通りだ。と、いきなり納得してしまいました。
結局、学校教育が問題なんですが、同様にピアノをほとんど使わないお宅に調律に言った際に、もっと弾いてあげてくださいということを申し上げるんですが、必ずと言っていいほど帰ってくる言葉は「下手で恥ずかしいから弾けない」ということです。
最初から上手い人なんているはずないのに。
更にこの本読み進めていくと、「ハーモニーはあったか」という章にあたります。
西洋の音楽などは「合唱」が当たり前ですが、日本の音楽の場合「斉唱」がほとんどだと言われて気がつきます。
そういえば以前読んだ「これでいいのか日本のうた」という本では、明治・大正期に多く作られた唱歌・叙情歌も作曲者によって書かれたのはメロディのみで、コード(伴奏)は他の人が書いたものが多いということが書いてありました。
ちょっと意味合いが変わりますが、沖縄の「ネーネーズ」も斉唱(ユニゾン)であって、合唱(ハーモニー)ではありません。だけど、彼女たちの歌にハモリを要求する人はいないでしょう。
現在私の生徒さんには、結構団塊の世代がいます。
(そうでない世代も含めてだが)小さいときからバリバリクラシックやってましたという人以外、日本人にとって西洋的ハーモニーって(やる身として)どういう風に受け止めるものだろう?
私も別にバリバリやってたわけではないので、それほど得意というわけでもないのですが。
「音楽からみた日本人」には、西洋が音を均一化してハーモニーを重視していくようになった一方、日本は各楽器の音色に特色を持たせること(三味線同士、笛同士、太鼓同士)に力を入れていたというようなことも書かれてました。
音楽への向き合い方がどうやら逆なんですね。
だけどふと思ったのが、「相の手」なんかは盛んですよね。
そういうことを考えながら、楽しい合奏というものを今一度模索しないといけないな~などと思ったのでした。
だけど、各自「楽しい」の線引きは違うだろうから、これは誰々の楽しい。これは誰。という風にバリエーションを増やしたらよいのだろうか?
この辺も難しい。
のこぎりやってる人も、やってない人も是非いろんな意見を聞かせてください。
あ、今回たまたま久しぶりに「カエルの歌」の「輪唱」をやりました。
これは世代に関係なく、抵抗なく面白いんじゃないかなと思いました。
そういうのやれたら私も楽しいです。
考え方としては、1曲でそれを再現させるんじゃなく、舞台全体の構成として確立させられれば、決して不可能ではないと思いますよ。
練習は、茅ヶ崎組でカラオケボックスを借りるなんてもありじゃないですか?