温泉大好き

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義家パート2

2005年11月10日 06時08分50秒 | 非行・教育
昨日、はるこちゃんが 義家さんの講演を聴いて感想を
コメント頂きましたので、ここで紹介します。

講演会では「親の役割について」というテーマでの話でした。内容的には最新の著書(ヤンキー先生の教育改革~すべては子どもたちのために)に沿ったものでしたが、印象に残ったのは、「育てるとはどういうことか?それは・聞くプロであること・伝えるプロであること・学ぶプロであること、であり教育者とは教師だけでなく子どもを持つ親御さん全てがそうなのです」というお話。
そして私は質問で
深夜徘徊する子どもたちに身体をはってとめてもどうにもできず悩んでいる親、あきらめてしまっている親、教師を含めた周りの大人たちへのアドバイス・メッセージをお願いしました。

先生は、やまあらしの寓話を紹介してくれました。それは、寒さに震える二匹のやまあらしが寒さをしのぐために抱きしめ会い、お互いの針がお互いの身体を突き刺して血だらけになり離れる、でもまた寒さで近寄りまた痛さに離れる、離れたままでは寒さで死んでしまう、また近寄る、それを何度も繰り返していくうちにお互いがほどよい距離を知ることになる。親子の距離も同じである、と。真剣にぶつかり合えばお互い傷つくのは当たり前、だけどそれをしないでいては死んでしまうと。

そして、神奈川青少年保護育成条例で子ども達の深夜徘徊をさせない事を親に努力規定だったものを義務規定にした事について、私はそれで何かが変わるとは思えない、親の問題意識を高めるためというけれど、意識の高い親は余計に悩み、意識の低い親は子どもの心に寄り添うことなく自分の体裁のためにと考えるのではないかと思うが先生はどう思うか?と問いました。
先生は、うわべだけの法を変えたところで良くなるとは正直思わない。けれど問題意識の低い方がいるのは事実ではある。との事でした。

廊下で話しができた時は、受容と甘やかしの事についてどう思いますか?(実はあめあがりの会をどう思いますか?でした)と逆質問されました。私自身、受容について随分と考えた事でしたので、私にとって受容=甘やかしではないしそうあってはいけないとは思うけれど、受容ありきでのスタートだと解釈することに到達した・・云々の話をしました。
義家先生は受け入れる=なんでもよい、ではない。そのままでいい、わけがない前へ進め!という考えのようでした。
悩む子どもの心に土足では入らないがノックはし続ける、内側からかかったカギがはずれるまでしつこい程にノックし声をかけ続ける、自分は暖める熱でありたい、間違ったら謝れる大人であればよい、等々・・・本当に情熱の人だと感じました。
著書にしてくれたサインには“放熱”という言葉が添えられていました。

”放熱”凄く重みのある言葉ですね。
はるこちゃん、有難う!!!

    

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