小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

伊勢 古市 日本三大遊郭の妄想(9) 完

2009-11-30 17:37:24 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

古市の遊女では、油屋のおこんの他に お久の話など興味深いものです。

 また ちょうど 牛谷坂を上って900mほどに

寂照寺という千姫の菩提寺があります。この寺の6世住職の月僊(月仙)は、江戸や明治時代は全国的に有名で、月僊と遊女との逸話として 文部省の小学生教科書にも載るくらいでした。 読むと、びっくり、とても  小学生の読み物とは信じがたい話です。

確かに 古市の遊女も 前借金で年期奉公しているし、芸も体も売る世界にいるわけですけど 普通思う遊女より、ある程度、自由もあった と思います。

 古市を、日本三大遊郭とか五大遊郭いう考えは根強いけど、そこは、子供から女性 まで通る参道です、

遊戯場もあれば、芝居小屋もあり、妓楼で、遊女と遊べる、つまりなんでもありの 歓楽街の 遊ぶ里として、やはり遊郭より、遊里のほうがいいのじゃないかな と思う。

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伊勢 古市 日本三大遊郭の妄想(8)

2009-11-29 15:07:30 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

 

古市は妓楼ばかりでなく 古市三座といって、芝居小屋が3つもあったそうだ。

古市参宮資料館↓

古市には 芝居小屋が幾つかあり、「古市歌舞伎」として全国に知られていた。若い役者の江戸や上方の舞台への登竜門でもありました。 また逆に、古市で起こった事件が参拝者により、全国に広がり、江戸の歌舞伎の演目にもなりました。「伊勢音頭恋寝刀」は今日でも上演されています。

・・・・・

歌舞伎の話ですが、、私の知人の女性は、女なのに、歌舞伎に出ていました。。歌舞伎に憧れていた本屋の娘は、どうしても自分も歌舞伎の舞台にあがりたく、上京しました。そして、いつのまにか、彼女は歌舞伎座の舞台にたっていたのです。もちろん、その いで立ちは、決して女とは、わからないような黒頭巾の格好です。そう彼女は、黒子として 念願の歌舞伎の舞台に出ていた。

・・・・・・

 歌舞伎は、。阿国は出雲大社の巫女 阿国が元祖で、遊女らによる女歌舞伎が最初だそうです。が 1629年に禁止されました。また前髪のある若者による若衆歌舞伎も1652年に禁止されました。 さて、1700年代の後半に、この禁止された女歌舞伎の再現を夢見た人がいます。

 

古市屈指の妓楼、千束屋のリトです。

 千束亭として「東海道中膝栗毛」にもでてくる

当時有名な茶屋です。

遊女らが能衣装を着て舞う舞台を客に披露していました。が山田奉行から 古市町茶汲女能狂言禁止令を受けました。その後の 伊勢音頭の元になる河崎踊りの披露なども拍車をかけ、事業はうまくいっていたのですが、突然、彼女は妓楼をたたみ、社会事業として 牛谷坂の改修工事に着手し、それを成し遂げました。、リトはその事業の功績により 山田という苗字をつけることを許るされた。その後、歌舞伎の役者のための衣装や台本、小道具などの歌舞伎用品の貸し出し、古市歌舞伎を支えていきました。

 千束屋りと墳墓地」とあるから、 ここ久世戸の墓地に リトの墓があるはずだが さがす時間もなく、再度トライしてみます。

伊勢には 墓以外に 山田りと の痕跡は 殆ど残っていないが。

東京 国立劇場の資料展示室などで、昔の千束屋の衣装が展示されるようだ。 

 

      

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伊勢 古市 日本三大遊郭の妄想(7)

2009-11-28 23:06:46 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

click

古市の妓楼の絵↑です。

 

(油屋)click

古市の各妓楼の売り物で どうなってるのかわかりませんが、最初は備前屋が演出した せり上げ式舞台だそうです。。

踊りは、伊勢音頭です。

ただ踊りを見ているだけではないかもしれませんが、小人数で、せり舞台での大勢の遊女の伊勢音頭を満喫する それはそれで、贅沢で豪勢なもには違いありません。御師が 大切な客をもてなし、喜んでもらうために利用したかもしれません。 

 

庶民はといえば、

 遊女らと 酒の宴席で、遊び たわむれる のが一番楽しい。

もちろん 後で、お気に入りと、閨房に入るのも ありでしょう。

 click

やはり 遊郭とか女郎屋とは ちょっと 違うんじゃないかと 思いますね。でも、どうも これ 温泉芸者と遊ぶようでもあります。

 

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伊勢 古市 日本三大遊郭の妄想(6)

2009-11-27 14:14:27 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

1678年の色道大鏡によると当時は 遊郭は、全国には25カ所あったそうです。当然

 古市は幕府に公認されておらず、遊郭とはいえなかったのですが、歓楽街の遊里として有名でした

。おそらく 古市が、遊郭と言われるようになったのは、明治以降のことでしょう。

幕末には、幕府公認として、遊郭は、20ヶ所でしたが その後 私娼も政府に公認され、 昭和2年には、全国の遊郭の数は、539ヶ所にもなったそうです。でも それは 戦後も630ヶ所あった赤線と重なるもので

、本来意味する 遊郭とは、いえないものがほとんどだと思います。参考 日本遊郭一覧 

 

さて 下は、 江戸時代の 遊里 遊郭 の番付表です。

      二段目の右端に古市の字が見えます↑

また

↓ 諸国遊所競の番付表では               ↓

真ん中の筆頭の横綱 新吉原   大関 島原 新町  それに 小結 祇園新地 深川仲町 と続き  

前頭の三枚目に 古市の名がありました。 

 

上記の番付表にも 上位に載っているし 

伊勢の古市は、 三大とか五大遊郭ではないけれども 

江戸時代に 伊勢の古市として 諸国に 名をはせる  遊び処 だったのは

間違いなさそうです。

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伊勢 古市 日本三大遊郭の妄想(5)

2009-11-26 20:06:56 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

いきなり 油屋跡です。

油を売ってた店でなく。古市の巨大な茶屋(妓楼)でした。

戦前まであったけど、空襲で焼けました。戦前にすぐ近くに住んでいた人の話では

自分の家が500坪もあったが、

油屋と比べれば、チッポケなもんだったそうです。

 油屋は 3000坪以上で、坂の斜面を利用していたから より広大に見える 巨大な建物だったそうです。 

古市には、油屋などの巨大妓楼の、ミニ板といえる 旅篭の麻吉旅館が現存しています。。

油屋の跡は、近鉄の線路がはしり、

もう 道路は橋になり、古市の面影もなくなりました。 せめてトンネルにしてほしかったです。

ふと 千と千尋の神隠し を 思い浮びました。 油屋と同じ名前が出てきます。ちょうど映画では 油屋の前に、橋があり、横下の所に電車が走ってました。

名前が同じで、建物も似ているし、橋があり、電車が走っている。、ひょっとしたら、

スタジオジブリの高畑勲は伊勢出身だから ヒントを得たかもしれません。

 

さて、本題にもどります。

江戸時代に、歌舞伎にもなった

油屋騒動という事件がありました。

 医師・孫福斎が 座敷で一緒に酒をのんでいた遊女 の おこんが 

途中で呼ばれて他の客の座敷のところへ 行ってしまったので 酔っ払って、怒って 周りの人を切りました。

もう一つ

 ↓これは 千束屋の絵です。

座敷で相手の遊女が 踊りにでていったので 江戸っ子が怒っています。 、古市の妓楼では、遊女が、途中で他のお座敷へいったり、踊りにいったり、するのですね。 当然、遊女の数には限りがあり、忙しい時は、とても マンツーマンは 無理。

 これ クラブとか飲み屋街  とかでありそうです。 

 古市は、遊女といっても、 娼婦や女郎 というより むしろ、 芸者、温泉芸者に近いようです。

 

 少なくとも、遊郭では こういった事は おこりにくい と 思いますね。

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