小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

尾崎行雄(2)

2010-01-27 22:57:05 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

有名な人の中に、ゆきお さんは おおぜいいますが、

 この方でもこの方でもありません。

憲政の神といわれている尾崎行雄です。

 

、憲政というとむずかしいですね。「議会政治の父」ということです。

 ワシントンに桜を寄付したことでも有名です。

ただの肩書きばかりの、偉いさんではないんです。

年をとってからもスゴかった。尾崎行雄は 1941年 83歳を過ぎてからも、大政翼賛会に反対し、三国同盟に反対し、近衛内閣や東条内閣に質問状を出し。不敬罪で巣鴨の拘置所に入れられたりと、国民の為に 国の行く末を憂い、戦い続けました。 その姿は痛々しいばかりであった。

 伊勢市 川端 の尾崎咢堂記念館は建て替える前は、市の経営する市民のための結婚式場でした。(安く結婚式があげられる 料理は料理屋に注文する し出し 。よくホテルがする出張パーティーのようなもの。)

外見からしても、新しい式場が出来ると期待してたら、資料館が主の建物でした。

 尾崎咢堂記念館は、

尾崎の生まれ故郷の神奈川の津久井にもある。

 

さて、

行雄の父に、つまり度会県の役人になり 一年も過ぎようやく慣れてきたころに、、また熊本県へ転任の通達がきました。

尾崎行雄と弟は、明治7年に、九州へ行く 父や母や妹らを見送り、

 行雄は弟をつれ 鳥羽から東京へ船立ちしました。

父は、明治9年10月に 熊本県庁の同僚4人などが死亡する、敬神党の乱があったころもあり、三重県にもどり

川端にあった、紀州藩の倉庫を買い取り、それを自宅とし、上地など周辺地域に養蚕の普及とその指導をした。

つまり、その倉庫のところが 今の尾崎ガク堂会館です。

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