小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

尾崎行雄(5) 浜田国松

2010-01-30 15:12:37 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 


伊勢市(宇治山田)出身の政治家といえば、なんといっても浜田国松です。

浜田国松は有名でないかもしれないが、大戦を語る上では 欠かせない人物です。

尾崎行雄の門下であり、気概のある政治家です。

著書(共著)「議会主義か・フアツシヨか」。

昭和12年。衆議院本会議で、伯爵の寺内陸相に対し腹切り問答の演説し広田内閣を総辞職においこんだ政治家として有名です。 

(「速記録を調べて、自分が軍を侮辱してたなら切腹して誤る、そうでなかったら 君が切腹せよと」と 寺内陸相に詰め寄った。)

年代背景としては、前年には2.26事件があり、天皇により鎮圧はされたが、次の広田内閣では、軍部の政治介入はますます加速され、軍の圧力により当時のレートとしては破格の36億4千万円という膨大な軍拡予算が編成され 日本が、軍国主義の戦時体制国家に変貌しようとしていた ハイテンションの時期であった。

「腹きり問答」の半年後に日中戦争に突入する。

1937年 。1月21日, 「腹きり問答」

7月7日盧溝橋事件、第二次上海事変と中国大陸で戦端を開いた

 

尾崎行雄が咢堂(がくどう)というように  浜田国松は、孤松。

ただし 尾崎咢堂とはいっても、浜田孤松とはいわない。

おそらく、森の石松 じゃないけど 子分の名前みたいだからだろう。

でも 咢堂の子分(門下)であるのは確かです。

孤松は、咢堂の反対にもかかわらず

明治35年国会議員に立候補した。が落選。(自分と選挙区が同じだから咢堂は反対したようだ) 

浜田は、その次の総選挙も惨敗。したが

明治37年(1904)に三度目の正直で雪辱を果たし 当選。

・・・・

昭和9年から11年(1936年 )まで衆議院議長

1937年 腹きり問答 衆議院解散とともに 退任。

 岡本にある 浜田国松 の碑。

さて、

 われらが伊勢市の誉れ  戦前 同時代に活躍した この3人  

 尾崎行雄 浜田国松 尾崎一雄 は なんと!

3人とも、 同じ 同じ家 に住んでいた ようだ 

え?? 同じ屋根の下?? ほんとかいな?

 

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