当たり前のことだが、小田の橋の小田は、岡本の字(あざ)小田のことである。
それが、「実は、そうじゃない」という人がいた。
そこの 大きな庭には 大きな岩があり
ここが古市街道ができる前には、一番の参宮道だという。この岩を横目にみながら 人々が歩いたそうだ。
場所は、内宮と外宮の中間ほどで、勢田の御木本道路から入った昔の道沿いにある。
地元では有名な一刀彫師で大勢の弟子がいる。 元は尾上町にいた。町会長も しており今の虎尾山の団地を青葉台と名づけたという。
当時わたしは、一刀彫の作品の目に真珠核を使う場合があり それを届けに行くという口実で、遊びにいき
いろいろ 昔からつたわる、話を聞かせてもらった。
例えば、妙見山の鍛冶屋の話では、仕事で帰ると 狸が家の前に並んでまっていた とか 尾上の三重県真珠の所で、大名行列は解散したとか どれも面白い話でした。
それが、
「小田の橋は、秀吉の小田の局が造った橋なんや」
え?? びっくり というか 笑わせてくれますわ。
でも、おやじの目が真面目なんです。