江戸時代には寿巌院の隣に清雲院(別名 おなつ寺)がありました。入り口は、現在 ばらやん という 居酒屋のあるところ。
こんな奥に、碑を建てたのか、なぜ そこにしたのか不明。だいたい場所が、狭すぎる。
清雲院とは、家康の側室のお夏の方(お奈津)のことでもあります。
でも 清雲院は お夏を弔うお寺ではありません。
徳川家康の菩提寺です。
お夏(お奈津)は50歳の1630年の時に、家康の菩提を弔うため 妙見山に創建しました。
お夏(1581~1660年)は、春日の局(1579~1643年)と同世代。17歳で家康の側室になっています。また同じく、15歳で側室になった お梅(1586~1647年)も同世代といってよいでしょう(梅香寺)。
お夏は利発で賢く、家康の信任が厚く 大阪冬の陣に、同行したり、夏の陣では伏見城の留守役をまかされ また 静岡の駿府城(家康の隠居城)の400万両の金庫の鍵をあづかるなどの逸話があるように、会計管理にも たずさわったようです。
清雲院は、最初 妙見山に創建されましたが、1670年の伊勢の大火災で消失し、後に 現在の尾上に再建されたのです。(再建の前に吹上町にあったとの説もあります)
明治の廃物希釈で廃寺になるで続きました。が 復活し 現在 伊勢市 神社港にあり お夏の木像もあります。
なお、
神社港といえば、前伊勢市長は セントレア空港との 海上アクセスとして 宇治山田港を強引に造りましたが、運行してくれる船がなく、桟橋は不合格となり、 市長は、事業を続行するため、選挙で市民の判断を問いましたが、負けました。
おそらく 伊勢市の勘定奉行のお粗末さをお夏が 叱咤してくれたのかもしれません。