問題の道標(みちしるべ)だけど
古地図からすると(原図ではないので字が読み取れないが)道標らしきものが
登り口にある。
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宇治橋の方から登っていくと 宇治岳道 の道標が、正面に見えてくる。
現在は右側に移されているようです。
宇治岳道 の道標が、日本最古というのは、あくまで、記年(年月が記名されている)書かれていて、町石(目的地までの距離を表す)ではないもの の中で最古だということらしい。 参考
伊勢市の道標の資料としては、伊勢高校歴史部の「参宮街道の道しるべ」というのがある。残念ながら、すく近くの分岐地点の道標である文政13年(1830年)の 神宮司庁横の道標は載せられているのに、肝心の、日本最古の道標が記載されてない。
ただ 高校生らが、自分達の足で歴史のデータを作成しようというのは、 評価できる。(後代のために、データー資料を 作ることに興味を示さず、資料つまり人の褌で、歴史を語る御仁よりずっとましです。
さて、高校生の資料中で興味がわくのは、 長嶺神社前の家の庭にある道標です。
「岳」しか 読み取れない 自然石の道標で、もともと宇治の朝熊山ふもとにあったものだと注釈がある。
もしそうだとすると 日本最古の道標が、1626年に朝熊山麓に立てられる以前に 同じ場所にあった 元の道標で それこそ日本最古の道標である可能性がある、 かも。
さて、庭に道標というと、耳にした話しがある。10 数年前のことだけど、
古市の郵便局の前の三叉路に交番があり、それが閉鎖された途端、もう一方の角にあった 立派な道標を、持ち去った者がいる。
河崎の大工の虎さん(仮名)の息子、通称、河崎の大虎 は、その道標を引っこ抜いて、トラックに積んで持ち去り、自分の庭に飾っていたという。
結局、仕事がうまくいかず、 庭地を売り、その道標も、タダ同然で庭師に売ってしまい、後に、本人も亡くなり、今では、どこにあるかわからないそうです。