小田の橋の橋詰公園にある案内図と同じものが
牛谷坂を下ったところにある。
小田の橋 ↑ 牛谷坂 ↑
この古地図を、しばらく眺めていると またいくつか疑問点が沸いてきた。
まず、この地図には伊勢古市参宮街道 と書いてあるが、小田の橋付近の地図である。
どうしてこの地図が、 2.5キロも離れた牛谷坂の案内板に書かれているのか?
古地図のなのに
岩淵町とか吹上町など ↓ 印刷文字が使われている。
地図は 文化12年(1815年)の伊勢山田の絵図となっているが
地図の右上には↓
文政は 文化の後にくる年号だから あきらかな矛盾が生じる。
文政5年は、1822年です。 矛盾! つまり1815年の地図に1822年に寄贈された鳥居の絵があるというのがおかしい。
それと
勾玉池は明治22年に神苑会によって造られた人口池のはずなんです。
この地図からすると、神苑会は、改修をしただけ になる。