そもそも 遊郭は 城郭のように 四辺を溝や塀に囲まれ 大門があり 外部と遮断される場所でした。。
それと比べ、古市は、門前町で、女、子供 が通る 参道沿いにあり 隔離できるような場所ではありませんでした。
つまり、本当は、古市は遊郭とはいえないはずです。
どちらかといえば、茶屋町。
それと なにより 遊郭とは、幕府公認であったということです。だから江戸に遊郭といえる処は 吉原 だけだった。でも
公認でないのは多くあり 江戸の深川など、岡場所とかいわれる私娼街がそうでした。 公認ではなくとも、ある程度 認可はされていた。
岡場所でも、品川の品川宿の旅籠(はたご 休憩所)には、飯盛旅籠というのが あり、 最初は 2人まで飯盛女(遊女)を置けると定められていたが、明和元年(1764)には、品川宿に500人の飯盛女が許され、後代には3600人以上にまで 飯盛女の数は増えたそうです。。
ちょうど門前町の古市も、道路沿いにある 宿場町の品川宿と似ているかもしれません。 江戸初期には、もともと間の山六軒屋とよばれる さびしい所に、茶屋が建ち始めた。 各 茶屋(娼家)に茶汲女(飯盛女と同じ、艶女や遊女)は2名と定められていたそうです。それが江戸最盛期には1000人になったという。
同 古市はこのような、公ではなかったのです。