半月の塔→寿巌院
半月の小説では、虎尾山(虎尾嶽)は砲台山。永代山、であり、滝浪山や白子の園に属ます。
寺が一つあります。名前は、隠岡山寿巌院(じゅがん)。隠岡山とか また 違う名前がでてきました。このことは、話が逸れそうなので やめときます。
寿巌院で、お灸治療をやっていたのは知っています。今はどうかわかりません。
寿巌院には三浦ちょらの句碑(おちば塚)があります。墓も 近くの、一誉坊(いちょぼ)墓地 にあります。が、
樗良(ちょら)の名は 地元伊勢市では 残念ながら 誰も知らないと言っていいほど、知られてません。
無為道人は、三浦樗良(ちょら)のことです。岩のところは、油絵みたいなタッチです。でも、樗良(1729年 - 1780)は 俳人。
ちょら は 山田に無為庵を構て、煙草入れに 絵を描くなどの副業をし ていました。(どうも 無為庵は 「がいあん」 とも 読まれるようですが これは、樗良の句集の「我庵」からきているかもしれません)
そのスタンスは、与謝蕪村の蕉風復興運動≪芭蕉にかえれ とする復古主義≫に同調したものだそうです。
『まだら雁』『白頭鵜(しらががらす』 『月の夜』 『花の七日』など 多くの句集を、世に出しており。酒、女好きの一面もあるとか。
黒髪にちらちらかかる夜の雪
水よりもわづかに涼し瓜の色
油断して花に成たる桜かな (暖冬で 咲いてしまった さくら?)
水無月の 朝顔すずし 朝の月 (夏の早朝の月?)
いざよいや闇より出づる木々の影 (月の明かりで )
消えもせむ有明月の浜千鳥
すかし見て星に淋しき柳かな
蕪村らとの連句集の一夜四歌仙