1678年の色道大鏡によると当時は 遊郭は、全国には25カ所あったそうです。当然
古市は幕府に公認されておらず、遊郭とはいえなかったのですが、歓楽街の遊里として有名でした
。おそらく 古市が、遊郭と言われるようになったのは、明治以降のことでしょう。
幕末には、幕府公認として、遊郭は、20ヶ所でしたが その後 私娼も政府に公認され、 昭和2年には、全国の遊郭の数は、539ヶ所にもなったそうです。でも それは 戦後も630ヶ所あった赤線と重なるもので
、本来意味する 遊郭とは、いえないものがほとんどだと思います。参考 日本遊郭一覧
さて 下は、 江戸時代の 遊里 遊郭 の番付表です。
二段目の右端に古市の字が見えます↑
また
↓ 諸国遊所競の番付表では ↓
真ん中の筆頭の横綱 新吉原 大関 島原 新町 それに 小結 祇園新地 深川仲町 と続き
前頭の三枚目に 古市の名がありました。
上記の番付表にも 上位に載っているし
伊勢の古市は、 三大とか五大遊郭ではないけれども
江戸時代に 伊勢の古市として 諸国に 名をはせる 遊び処 だったのは
間違いなさそうです。