小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

伊勢 しめ縄の謎 6 完

2009-12-29 21:36:34 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

天孫と出雲を区別するなら、 アマテラスが天孫系(天津神)なら、スサノウは出雲系(国津神)。 スサノウは、天津神ですが、子孫の大国主から国津神とされる。

 古代は、アマテラス vs スサノウだったのでしょうね。

スサノウの祭は 祇園祭や天王さんがあります。

さしずめ、天皇が天孫系 天王が出雲系  

  たとえば、 神武天皇の皇軍と戦った賊軍の 長髄彦(ながすねひこ)はおそらく大和の天王だった。

かつて、神武天皇が熊野に上陸し大和に進攻しました。

その皇軍の進攻に、防衛隊の多くの豪族たちが くい止めようとしましたが、 次々に討たれました。

総大将の長髄彦(ながすねひこ)が立ち向かい連勝しますが、自分の象徴の金トビが皇軍につき その光で防衛隊は戦意を挫かれ 

とどめは、守り神であるはずの、ニギハヤヒに殺されました。

伊勢地方は 伊勢風土記によれば、神武天皇の命により天日別命(あめのひわけのみこと)が伊勢に進攻してきました、

迎え撃つは、伊勢の国津神の伊勢津彦でしたが、鈴鹿を越えてきた、その皇軍の勢力に驚き、降参し、東方(武蔵の国)に逃げ去った。

伊勢津彦とは「出雲神の子であり、またの名を出雲建子命、天櫛 玉命といい、石で城を造って居住していた」とあります。また↑の武蔵の国(関東)といえるのは、相武国造条というのに、武蔵の造の祖神は伊勢都彦命 と書かれているからです。

また、

伊勢の名は、伊勢風土記に「磐余彦天皇の御時、伊勢津彦命この国を奉ったが、天皇は喜ばれて、国神の名をとって伊勢と名付けた」とあります。

でも、上記を認められないとする諸例はいくつもある。  なるほど、伊勢の語源について諸説あるようだが 「国は国つ神の名を取りて伊勢と号くべし」と詔り給ひて……〉のように、伊勢の国名 は やはり伊勢津彦が当りのようだ。

さて、神武天皇の進攻まで、大和の国はどこも、天孫系でなかったから、当然と言えば当然だが、すくなくとも、伊勢の国も、もともとは出雲系だったのは間違いなさそう。

伊勢のお家の玄関に 出雲系の 蘇民将来子孫家門 の門符のしめ縄が飾ってあるのは自然なことです。。

ps

坂口安吾の青空文庫「安吾・伊勢神宮にゆく」にも この 門符のことが 書かれてました。

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伊勢 しめ縄の謎 5

2009-12-28 19:42:32 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

三重県の三重は、ヤマトタケルの足が三重に折れたことに由来する 

伊勢津彦を回顧して伊勢という国の名前ができたのだが、伊勢県にはならなかった。 時代もかわり、宇治山田市は 昭和30年に  伊勢市と改名した。

伊勢神宮のある町だからという。

もともと伊勢は、令制国 の名前だから 市の名前になると、

いくつもの混乱が生じた。 例えば、津の伊勢もめん、松阪の伊勢商人 伊勢組みひも など 県外の人は、 伊勢市の伊勢と錯覚してしまう。

だいいち、伊勢神宮といっても、正式に、そういう名前の神宮は今も昔もない。

ただの呼び名で、伊勢の国の神宮です。

神宮も、せっかく125社から、スサノウをシャットアウトしているのに、

スサノウ系の伊勢津彦の苗字(伊勢)が 自分の名称では 不本意だろう。

だからか、最近は 正式名は、神宮 と強調している。でも、神宮は125社全部をさすらしい、でもちゃんと、内宮は 皇大神宮 外宮は 豊受大神宮という正式名がある。

それにしてもなぜ スサノウの社が 神宮125社にないのだろう? 

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伊勢 しめ縄の謎 4

2009-12-28 14:20:25 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

外宮の高倉山の山頂(標高117m)には、 墳丘の直径が32m、高さが8mある円墳の高倉山古墳があります。全長18.5m、高さ4.1mの石室があり、その床面積のは日本最大です。

6世紀の古墳ですが、江戸時代は天の岩戸として参拝客がたくさん訪れました。

実際は、誰の古墳かわかりませんが、伊勢津彦の墓だともいわれています。

神話では、伊勢津彦(伊勢都彦)とは この地域(三重県)の支配者で、石の城に住んでいました。

伊勢風土記によれば、伊勢という名前は この伊勢津彦に由来するそうです。

伊勢津彦は、出雲系(スサノウ系)の神です。

                           つづく

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伊勢 しめ縄 の謎 3

2009-12-28 00:11:26 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

スサノウといえば、

伊勢で 125社には属してないですが、スサノウが祭神の神社は、河崎の河辺神社と二見の松下社があります。また 外宮の宮山の近くに、八束山があり、昔、髭を八束にした人がスサノウを拝んでいた山という言い伝えがあります。出雲と直接関係はないと思いますが、出雲町という町もありました。

さて、二見の松下社(ナショナルではない)の、しめ縄飾りについてひとこと

岩出のとちがい

疫病除けの門符 蘇民将来子孫家門の木札の裏に

陰陽師(おんみょうじ)の呪符印が描かれています。

星は、イスラエルの国旗のソロモンの封印とかモロッコやトルコの国旗の

スライマンの星と呼ばれている 五芒星(ごぼうせい)ですね。

セーマンは安部清明の印  ドーマンは清明のライバルの 芦屋道満の印です。 だから 松下社の蘇民の森は清明の森で、安部清明が建てた神社ともいわれています。

なお、セーマンとドーマンの間に書かれている、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)のは、陰陽師や祈祷師ら、が唱える、万能の呪文だそうです。

この印は、伊勢志摩の海の海女(あま)さんたちの鉢巻にも描かれており、お守り印として有名です。 

 

さて、本家、松下社のしめ縄は 岩出と比べ 伊勢では、ぜんぜん 知られてない。

 

お伊勢さんの しめ縄として 市外の人も買うようですが

蘇民将来・・とか門の門符の しめ縄飾りは、神宮に結びつかないのです

 しめ縄は、二見の松下社が 本家です。

でも 松下社のは、 ダイダイがついてない。

 

特許もないから、蘇民のしめ縄つくろうが、売ろうが、それは勝手だけど。業者は、せめて、松下社にお参りくらいは と思いますね。   

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伊勢 しめ縄の謎 2

2009-12-27 13:11:32 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

 

 蘇民将来は名前です。備後風土記に載っているある民話です。

ある旅人が 巨旦将来(きょたんしょうらい)という人の金持ちの家に宿をかりに来たが門前払いをくらいました、でも貧相な家に住む兄の蘇民将来は大切にもてなして泊めてくれた・・という民話です。その旅人は牛頭天王(スサノウ)だったのですね。

(将来は苗字。名前の後にくるから もともとは、外国のお話しだったかもしれない)

クリック 

牛頭天王がスサノウとされるのは、スサノウが高天原を追われ住んでいた朝鮮のソシモリが漢語で「牛頭」の意味だからだそうです。

蘇民の森の二見の松下社は 江戸時代は蘇民社とか天王社とか言われていました。 ↓ 昔は石垣があり、立派な神社でした。今は肝心のしめ縄があまり売れませんし、今は、ちいさな神社です。

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祭神はスサノウです。

しめ縄が、伊勢神宮と関係ないのは、蘇民将来子孫家門と神宮とは 宗教的に繋がりがないということです。、松下社(蘇民社)や京都の八坂神社のようにスサノウを祭る神社は、神宮の配下の神社じゃないからです。

そもそもスサノウを祭る神社は、なぜか神宮の摂社末社の125社にはないのです。

同じ天照の弟でも月読の尊を祭る神社は二つもあるのに、スサノウはない。

でも、その神宮のお膝元で庶民は スサノウの しめ縄を一年を通し玄関に飾っている。

なんか不思議ですね。 なぜ伊勢の家庭の門には 蘇民のしめ縄が飾られているのでしょう?

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