蟄居(ちっきょ)とは、お屋敷や寺などで謹慎する量刑のひとつ、
朝熊山や その山麓は、武士や大名らが蟄居を命ぜられる陸の島流しの場所であるようだ。
そういうと暗いく孤独な場所の感じだけど、
朝熊岳は、山頂の八大竜王や金剛証寺、風向明媚で爽やかなところであり、人の列が絶えぬ山道であり、また麓の朝熊村も桜の名所で、二見や鳥羽へ行く人々が行き交うところでもある。
有名なのは、 家康の六男、の松平忠輝。また、地元では、蟄居中に万金丹をつくり地元に貢献した 秋田実季 (あきた さねすえ)が知られている。
少し時代を遡ると 九州征伐で秀吉の怒りを買い蟄居させられた 稲葉一鉄の孫 稲葉典通(いなば のりみち)
その他
蟄居させられたというより 自らが篭っていたのは
戦術の失態で、秀吉に所領をとりあげられ 朝熊山に潜伏していた 尾藤 知宣(びとう とものぶ)とか 関が原で西側についたため、嫡男と篭っていた田丸 直昌 (たまる なおまさ)(正妻が蒲生氏郷の姉)とか 大垣城から落ち延びて来た福原長堯(ふくはら ながたか)がいた。
朝熊は、他にも配流されたり蟄居したり潜伏したりと、何名もの武将がいたことだろう。
ただ なぜ 朝熊がそういう謹慎する場所となったかわかりません。これも、伊勢参りと、繋がりがあるのだろうか。