小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

No4 宇治橋の詩 竹内浩三

2009-10-09 22:34:14 | 宇治橋の謎

渡り初めか、渡り始めか、過去の一般人はどちらを使っていたかはいうまでもない。 有名な橋の、新橋完成の折には、同じような儀式が行なわれる。

明治から内宮宇治橋でも、三世代夫婦が渡る儀式をするようになった。

その儀式は、隅田川に明暦の大火のあと、1659年(万治2)に新しくできた、両国橋の竣工を祝う「渡り初め」で行われたのが発端らしい。

親子三世代夫婦を実現するには長生きをしなければならない。地元の詩人 竹内浩三の詩 宇治橋に、「わたりぞめ」がつかわれてる のは言うまでもないが 彼の、長生きをしたいという、素直な気持ちが心に伝わってくる。

われわれは、一方で、昔の人は、男は太く短く、お国の為に・・・が良しとしたと決め付けてしまっているが、この自然な気持ちは、今も昔も同じなんだろうね。

 浩三は学徒出陣でルソン島で24歳で戦死した戦没詩人である。東シナ海で戦死した野球の沢村栄治の4歳年下で同じ明倫小学校出身、墓も同じ小田の橋の近くにある一誉坊(いちょぼ)

 彼の詩碑は、内宮の裏側の山 朝熊山のちょうど宇治橋奉行をした九鬼嘉隆の五輪塔の近くにある。上記の写真は石碑に刻まれた彼の 骨のうたの最後の節で、彼の書いた字を写している。