昔は、宇治橋をわたると町があり、いくつもの分かれ道があり、お参りしたあと、夫婦岩や松下社のある二見に行ったり、朝熊山に登ったり、伊雑宮のある磯部にいったりした。
内宮の裏山、朝熊山(あさま山)には、内宮の鬼門を守る寺がある、金剛証寺で、臨済宗の南禅寺派の別格本山。山号は勝峰山です。
朝熊かけねば片参りと詠われた。鬼門とは、丑寅の方位です。関係ないけど、伊勢には牛トラというスーパーがあります。鬼とは、牛の角と トラのパンツをはいたイメージだから鬼門になったのでしょう。
さて、
朝熊を「あさま」と読むけど、
伊勢神宮の摂社の筆頭で、天から最初に桜の木がついた場所にある由緒ある神社である、朝熊神社は「あさくま神社」 だからやはり「あさくま」が正確なのだろう。
近くの山に浅間山があるから、あさま と読み方変わっていった。
例えば、
あの、蚊野神社の西側にも浅間山があり
内宮とそっくりな滝原宮も 東に浅間山があります。
磯部の伊雑宮の東にも浅間山がある。
(伊雑宮は、江戸初期、伊勢神宮にたいし、本家は自分と主張し神官40名が神島に島流しにあった、当時は巨大な神社)
「あさくま」が「あさま」になったのは、浅間の影響
ただ逆に
浅間信仰の富士の浅間神社では、浅間の名の由来には
Wikipediaでは、伊勢神宮の朝熊神社を現地の人々が「アサマノカミノヤシロ」と呼んでいたため、その名を浅間神社にあてたとする説もある。
この朝熊の名は、有名です。西行に歌われた桜の園 として、また、歴史の舞台にたびたび登場する
それは「蟄居」。