小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

蟄居 2

2010-01-16 14:01:06 | その他 伊勢周辺 日記 ニュース 

朝熊山へ配流を命じられた武将のなかで 

なんといっても 忠輝 は 有名です。

徳川家康の六男 松平忠輝 。

改易させられた理由は

忠輝と五郎八(いろは)姫をイスパニアへのミッション派遣し イスパニア勢力を後ろ盾にし 幕府転覆を試みる伊達正宗の陰謀に巻き込まれたとか (ただし、すでに スペインは1588に無敵艦隊がエリザベス軍に負け その海軍勢力は減退していた)  なおイロハ姫は正宗の娘でキリシタン。

幕府内の二大勢力の一つ 本多派が、ライバル 大久保派失脚の謀略を実行し その連座処分が忠輝の追放だったとか  いろいろ逸話がある。

蟄居といっても、山頂付近の寺では、食べ物に制約がありすぎるとし、山麓の妙高庵というところに移住したそうです。数年後に飛騨高山に移り 91歳まで生き天寿を全うしました。

また忠輝といえば 野風の笛 、

 家康が忠輝に渡したエピソードのある笛です。

これは、信長→秀吉→家康と 天下を取った者が持つ笛です。

だのに、二代将軍秀忠にわたさず 家康は忠輝に渡したのでした。

youtubeに 宝塚の「野風の笛」があり、

夏の陣のに 戦乱最中に大阪城に忍び入り 秀頼に 会う忠輝の場面です。

宝塚って こういう時代劇もやる、 なんか奥が深いというか すごいわ。

男の歌舞伎は もともと 出雲阿国団の女歌舞伎が最初です。

 

忠輝の兄の秀康も出雲阿国について 「天下に幾千万の女あれども、一人の女を天下に呼ばれ候はこの女なり。・・・・」と述べていました。

秀康も、家康の後継者としての 有力候補でした。

 

 蟄居1←

←前                        次→

 



最新の画像もっと見る