小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

太田小三郎

2009-10-29 12:53:44 | 宇治橋の謎

昔、古市は妓楼(芸者宴会を主にする旅館)が、建ちならび、吉原とか京都島原のような遊郭ではないけど、全国でも名だたる遊びの里でした。明治になってもあり、そのなかでも、三大妓楼のひとつで、牛車楼といわれる妓楼がありました。

   

その名は備前屋(太田家)。

そこに丁稚奉公として福岡から来ていた鷹羽小三郎は、仕事ぶりからみそめられ 太田小三郎(1845~1913)と太田家の養子になりました。

今日のように、私たちが、宇治橋を渡ると、そこは、別世界の神苑が広がります 、これは、太田小三郎の「神苑会」のなしとげた業績です。

明治19年に彼は財団法人「神苑会」を組織し。

翌年 の明治20年 には、

宇治橋を渡り神宮側にあった下、中舘町の民家を買収し、その撤去に成功しました(外宮でも、民家127戸が撤去された)。(当時の撤去された人々のに対する聞き取り調査など モニターがなされなかったのが不思議です。今では殆ど不可能ですが、50年前なら可能だった。地元の歴史家や教師らには興味がなかったのか)

その後整備され、明治27年に、今日のような神苑になったそうです。 「神苑会」の他の業績としては、(おそらく今日、地元(伊勢)の者が聞くと、あまりにもなじみ深いところばかりで、びっくりするのですが)

御幸道路(おなり街道)、外宮勾玉池、二見賓日館、徴古館参宮鉄道(JR参宮線)があります。

なお、小三郎の没後2年の1915年に宇治橋手前の家屋も撤去され、今日のように広いスペースが確保されました。

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