小田の橋の謎

近所の身近な歴史だけど、それなりに深いのです。本音は、お伊勢参りのついでに小田の橋や古市街道や河崎に寄ってほしい。

橋姫

2009-10-20 23:47:21 | 宇治橋の謎

   -遠野郷の母神、岩手の早池峰山頂のセオリ津姫↑。
京都の橋姫のセオリ津姫は、祇園祭の 山鉾「鈴鹿山」では、鈴鹿権現「瀬織津姫命」→
瀬織津姫は伊勢神宮では、荒祭宮の神 大祓にでてくる。滝や川の神。桜の神。
本居宣長によれば悪神。平田篤胤(あつざね)によれば善神。

違う解釈もある。

ある本では、イセ、いすゞ、いそべ、はIとSからなる。 Iは、接頭語で、SはソウルのSで都の意味だという。

ソウルは、新羅の都《金城》ソボルが変化したもので、都を意味するそうだ。ニニギの尊が降臨させたのは高千穂の添(ソホリ)の山峯で、これも、ソウルと同義語であり、任那の初代長官の塩乗津彦(シホリ津彦)の「シホリ」もおなじである。同じように、セオリ津姫のセオリもセホリ→シホリ といえる、から。
セオリ津姫は、接頭のイをつけるとイセオリ津姫。つまりイセ津姫になる。

鈴鹿の山から逃げ去ったのが伊勢津彦(伊勢風土記)。残った伊勢姫こと瀬織津姫が鈴鹿権現。
京都宇治橋の、橋姫伝説の話に花を添えるか。


 

宇治の地名

2009-10-20 15:01:28 | 宇治橋の謎
宇治橋といえば、京都。源氏物語や古今和歌集にでてきそうで
歴史も大化の改新のころの日本最古の巨大橋。
伊勢の宇治橋も歴史は古いが、有名な京都の橋にはかなわない。
1434年、足利義教の寄進により、下流の岡田郷から岩井田山に架けられていた(競技場の北?)のを、今の位置に移したとある。

伊勢の宇治は、鈴鹿の猿田彦を祭る椿大社で代々奉仕する宇治土公氏から?とおもったりもするが。おそらく 京都の「宇治」が、愛知や岡山などあちこちにあるから、全国に銀座があるように、そのブランド名あやかったのでしょう。

ただし、京都の宇治の語源は兎道(みかえり兎が道案内した道)で「うぢ」という。その語源からすると伊勢のウジも、 書記の、敏達天皇の皇女の
菟道貝蛸皇女(うじの かいたこ のひめみこ)からきているのかもしれない。{斎王として伊勢神宮に仕えていたが、池辺皇子に犯され、事が露見して任を解かれた。後に聖徳太子の妃になる}


京都の宇治橋の橋姫神社の祭神が、あの 秘女神 セオリツ姫という。
から、なんか伊勢との距離が近づきます。。
(つづく)