小田の橋の下流に、商人で栄えた町、河崎があり、そこには橋が4本あり、
↓の写真は、その中でも一番北側の北新橋(安政4年に河崎の大火により防災のため5年に架橋された)です。
最近(10年以上前だけど)、新しく架け替えた橋の真ん中へんが 南向きに(上流に向かって)せり出している。
橋のデザインのためか、京都、宇治橋を視察に行ったという。
そうですね。これは、
おそらく、この京都宇治橋の三の間をまねたのでしょう。
(三の間とは、もとは橋姫が祭ってあったところ で 秀吉はここから茶の湯の水を汲み上げさせたとか)
でも わざわざ河崎の小さな橋で、デザインのため、することかな?
さてはて?
その場所に立って ぼけー と景色を見ていたら
ハタと思いうかんで 少し上流の中橋に行きました。
そうかぁ