ビッグカメラで100時間を越えるサービス残業を行わせていたことが明らかになり、労働基準法違反の疑いで本社などが家宅捜索を受けた。
企業にとって労働基準法違反というのは、労働者との雇用関係において重大な違法行為であり、経営者はもちろん労働者もよくこれを認識する必要がある。
最近、「コンプライアンス」ということばをよく耳にする。法律などを遵守するという意味の"compliance"からきているが、法や倫理規定を遵守するため、会社を上げてコンプライアンスについて取り組む企業も少なくない。しかしながら、企業や官庁の不祥事は後を絶たない。
重要なことは「コンプライアンス」を唱えている企業にその精神を十分理解しているか、ということである。企業はコンプライアンスを対外的、つまり宣伝の一環としか捉えていないのではないだろうか。それでは単なるお題目に過ぎない。いったい「コンプライアンスは売り上げや利益よりも重い」と考えている企業はあるのだろうか。
企業活動は内に外に数々の規則や倫理規定の縛りを受ける。2つ以上の法的規制が二律背反的に企業活動を制限するということも少なくない。コンプライアンスを厳守することは決してやさしいことではなく、社員一人一人が高い倫理意識と法律に関する知識を持つことが必要である。
一方、法的規制の中には労働基準法のように企業内部に関するものもある。むしろ、こういった内なるものを遵守することが難しく、こういった規則が守られなければ、社員にコンプライアンスの意識が芽生えてこないのではないだろうか。
例えば「○○法を遵守するために、△△日中に届を作成して役所に提出しなければならない。資料は膨大になるが絶対に期日までに届を完成させるんだ、今日から出来るまで徹夜してでもやれ。」と上司が命令したら、これは労働基準法に抵触する可能性が発生する。
長時間にわたってサービス残業をさせ、労働の対価を支払わない会社が社員に対して「コンプライアンスを厳守せよ」と命じても、全く重みはない。
つまりコンプライアンスを企業で徹底させるためには労働基準法のような「内なる規制」を厳重に遵守し、社員の利益が不法に侵害されないよう最大の注意を払う、つまり「隗より始める」ことがその近道だと思う。そうした上で法の不遵守を行った社員に対してその程度に応じた処分を厳正に行うなど信賞必罰主義で臨むことにより、コンプライアンスの重要性が全社的に浸透するのではないだろうか。また法的知識が不足したがためのコンプライアンス違反も少なくないだろう、従って教育も企業としての重要な責任である。
こうして見ていると企業がコンプライアンスを厳守するためには、構造的な改革が必要と思われる。そこまでしてコンプライアンスを企業ポリシーとしているところがあるのだろうか。
ビックカメラ、サービス残業月100時間超 (読売新聞) - goo ニュース
企業にとって労働基準法違反というのは、労働者との雇用関係において重大な違法行為であり、経営者はもちろん労働者もよくこれを認識する必要がある。
最近、「コンプライアンス」ということばをよく耳にする。法律などを遵守するという意味の"compliance"からきているが、法や倫理規定を遵守するため、会社を上げてコンプライアンスについて取り組む企業も少なくない。しかしながら、企業や官庁の不祥事は後を絶たない。
重要なことは「コンプライアンス」を唱えている企業にその精神を十分理解しているか、ということである。企業はコンプライアンスを対外的、つまり宣伝の一環としか捉えていないのではないだろうか。それでは単なるお題目に過ぎない。いったい「コンプライアンスは売り上げや利益よりも重い」と考えている企業はあるのだろうか。
企業活動は内に外に数々の規則や倫理規定の縛りを受ける。2つ以上の法的規制が二律背反的に企業活動を制限するということも少なくない。コンプライアンスを厳守することは決してやさしいことではなく、社員一人一人が高い倫理意識と法律に関する知識を持つことが必要である。
一方、法的規制の中には労働基準法のように企業内部に関するものもある。むしろ、こういった内なるものを遵守することが難しく、こういった規則が守られなければ、社員にコンプライアンスの意識が芽生えてこないのではないだろうか。
例えば「○○法を遵守するために、△△日中に届を作成して役所に提出しなければならない。資料は膨大になるが絶対に期日までに届を完成させるんだ、今日から出来るまで徹夜してでもやれ。」と上司が命令したら、これは労働基準法に抵触する可能性が発生する。
長時間にわたってサービス残業をさせ、労働の対価を支払わない会社が社員に対して「コンプライアンスを厳守せよ」と命じても、全く重みはない。
つまりコンプライアンスを企業で徹底させるためには労働基準法のような「内なる規制」を厳重に遵守し、社員の利益が不法に侵害されないよう最大の注意を払う、つまり「隗より始める」ことがその近道だと思う。そうした上で法の不遵守を行った社員に対してその程度に応じた処分を厳正に行うなど信賞必罰主義で臨むことにより、コンプライアンスの重要性が全社的に浸透するのではないだろうか。また法的知識が不足したがためのコンプライアンス違反も少なくないだろう、従って教育も企業としての重要な責任である。
こうして見ていると企業がコンプライアンスを厳守するためには、構造的な改革が必要と思われる。そこまでしてコンプライアンスを企業ポリシーとしているところがあるのだろうか。
ビックカメラ、サービス残業月100時間超 (読売新聞) - goo ニュース
サラリーマンだけではなく、日本人全体が飼い慣らされてしまった感じがします。していた行動の良し悪しは別にして、60年安保時には存在した”反骨心”が、結局は体制側に押し込まれる形で潰えて以降、”流れに逆らわないのがベスト”という風潮を生み出してしまったのでしょうね。
組合活動の一端を任された時期が有りましたが(順繰りに任されたのですが。)、何か形だけの進行に過ぎず、意見を言うも「過去に例がないので不可」の一言で却下される状況に、失望感しか残りませんでした。正に御用組合そのものでした。別に右でも左でもない自分ですが、組合の存在意義だけとってみても、”熱さ”を感じさせないのが、この国の現状なんでしょうね。チリ辺りで、今の日本の様な状況になったら、大暴動が起こると思います(笑)。
それと、日本国民一人一人がもっと政治的にも社会的にも成熟しないといけないと思います。良く言われる言葉ですが、「この程度の国民だから、この程度の政治・経済&社会なのだ。」というのは、あながち間違っていない気がします。
「流れに逆らわないのがベスト」という風になった背景の一つに丁度高度経済成長の頃で自分達の生活水準が上がり、社会的な不安もなくなったということがあると思います。
翻って現在では、経済状況、雇用不安、医療・老後の社会保障など、将来に対して様々な不安要因があります。今後黙っている層にこのしわ寄せがくるのではないでしょうか。当時はそれでよかったのかもしれませんが今後はそういうわけには行かず、そのことに気付く必要があると思います。
ご指摘の通り、日本の国民一人一人がもっと政治的かつ社会的な成熟は必要なことだと思います。上の記事はコンプライアンスに関する企業側の姿勢について言及しましたが、その構成員たる個人が高い倫理観、社会観に基づき自立した思考を行うことも車の両輪のように必要です。
私も、「日本の国民一人一人がもっと政治的かつ社会的な成熟は必要」だと思います。いたく同感です。
「その構成員たる個人が高い倫理観、社会観に基づき自立した思考を行うことも車の両輪のように必要です。」 ←身に沁みて、そう
思いますよ!本当に!!なにせ、
「第二組合」やってるのけっこういますから。組合のフリして、立派なこと叫んでは、裏で足引っ張るんですよね。
高い倫理観、社会観を持つためにはどうすればよいか、ということになるのですが、欧米人ではよくも悪くもキリスト教的倫理観が、反社会的な行動の抑止力になるのですが、日本人の場合は、行動の抑止力は「他人の目」になっているのではないかと思います。だから誰も見ていなければ何をやってもよいということになっていろいろな不祥事が起きるのではないかと思います。
そういった背景から、日本人が倫理観を身に着けるためには、社会に対して幅広くバランスのとれた関与を行うことではないかと思います。つまりいろいろな立場の人と知り合い、意見の交換を行うことではないかと思います。
個人の力で組織や権力に立ち向かうことが極めて難しいということは、内部告発者が社会的に厳しい立場に立たされていることも明らかです。
しかし、最近のネット社会では、誰もがこのように情報や意見を交換することができます。こういったツールを利用した新時代の「世直し」ができるのではないかと希望を持っています。