先ほどスマステーションを見ていたら、SMAPの稲垣吾郎が太平洋戦争中の戦闘機について熱く語っているのを聞いて、この記事を思いついた。太平洋で活躍した日米の艦上戦闘機について語ってみたい。
日本を代表する艦上戦闘機はいうまでもなく零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦である。零戦は皇紀2600年である昭和15年(1940年)に正式採用されたことによる。太平洋戦争中、日本軍の艦上戦闘機は零戦のみであるが、大戦を通じて改良が施され、11型、21型、32型、52型などの種類がある。この戦闘機の特徴は軽量で旋回性能が高く航続距離が長いことである。パイロットの技能とも相まってデビューから太平洋戦争の初期までは文句なく世界最強の戦闘機であった。
当時世界最強を誇った零戦だが、運動性や航続距離を重視する余り徹底した軽量化を施したため、防御力が犠牲となっていた。つまり敵の弾丸を受けるとすぐに炎上してしまう。このため、太平洋戦争が進むにつれ、熟練のパイロットが戦死し、日本軍パイロットの技能は低下していった。更に、米軍が強力なエンジンと排気タービン、レーダーなど新技術を取り入れた新戦闘機を投入したため、零戦はその優位を失っていった。そして大戦末期の用途は専ら爆弾を抱えて敵艦に体当たりする「特攻」であった。
米軍の艦上戦闘機は、グラマンF4Fワイルドキャット、グラマンF6Fヘルキャット及びチャンスボートF4Uコルセアの3機種、零戦を徹底的に研究して開発されたF8Fベアキャットは太平洋戦争末期に出現したため、その活躍の場はほとんどなかった。F4Fは太平洋戦争前半の主力戦闘機であるが、性能は劣り、1対1のドッグファイトはしない、時速480km以下では零戦を誘い込まない、低速で上昇中の零戦には近づかない、という3つのネバーが通達されていた。
F4Fの性能が零戦に劣るため、米海軍は新たに艦上戦闘機を開発した。いずれもエンジンは零戦の倍の2000馬力、排気タービンを搭載するため、零戦には出せないスピード飛べない高度で飛行できるものだった。2種の新戦闘機のうち、F6Fがいち早くデビューした。F6Fはオーソドックスなスタイルで開発も早く、旋回性能を除き零戦を上回る性能を誇った。また強力なエンジンを搭載したための馬力に余裕がある分、防弾機能も向上させた。そのため敵機の弾丸が少々当たっても戦闘を継続することができた。F6Fは格闘戦に持ち込まず一撃離脱戦法をとることにより、零戦に対して優位に立った。敵機の代名詞である「グラマン」はこの機を指している。
F-4Uは、コルセアウイングと呼ばれるくの字に折れ曲がった主翼、やや後方に位置する操縦席など独特のスタイルをしていた。そのため開発がF6Fに比べて遅れた上、操縦席が後方に位置したため視界が悪く、空母の発着に向かないのではないかと懸念されたため当初は空母に搭載せず、陸上基地からの配備となった。しかし、その性能の高さ(同じエンジンを使用しながら最高速度がF6Fよりも50km/h以上早い)とパイロットが機体になれるにつれ、空母にも配備されるようになった。太平洋末期には太平洋の主役となり、太平洋戦争後も初期のジェット戦闘機と互角に渡り合う働きを見せ、息の長い活躍をした機体である。太平洋戦争での最強の翼と言えるだろう。
日本を代表する艦上戦闘機はいうまでもなく零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦である。零戦は皇紀2600年である昭和15年(1940年)に正式採用されたことによる。太平洋戦争中、日本軍の艦上戦闘機は零戦のみであるが、大戦を通じて改良が施され、11型、21型、32型、52型などの種類がある。この戦闘機の特徴は軽量で旋回性能が高く航続距離が長いことである。パイロットの技能とも相まってデビューから太平洋戦争の初期までは文句なく世界最強の戦闘機であった。
当時世界最強を誇った零戦だが、運動性や航続距離を重視する余り徹底した軽量化を施したため、防御力が犠牲となっていた。つまり敵の弾丸を受けるとすぐに炎上してしまう。このため、太平洋戦争が進むにつれ、熟練のパイロットが戦死し、日本軍パイロットの技能は低下していった。更に、米軍が強力なエンジンと排気タービン、レーダーなど新技術を取り入れた新戦闘機を投入したため、零戦はその優位を失っていった。そして大戦末期の用途は専ら爆弾を抱えて敵艦に体当たりする「特攻」であった。
米軍の艦上戦闘機は、グラマンF4Fワイルドキャット、グラマンF6Fヘルキャット及びチャンスボートF4Uコルセアの3機種、零戦を徹底的に研究して開発されたF8Fベアキャットは太平洋戦争末期に出現したため、その活躍の場はほとんどなかった。F4Fは太平洋戦争前半の主力戦闘機であるが、性能は劣り、1対1のドッグファイトはしない、時速480km以下では零戦を誘い込まない、低速で上昇中の零戦には近づかない、という3つのネバーが通達されていた。
F4Fの性能が零戦に劣るため、米海軍は新たに艦上戦闘機を開発した。いずれもエンジンは零戦の倍の2000馬力、排気タービンを搭載するため、零戦には出せないスピード飛べない高度で飛行できるものだった。2種の新戦闘機のうち、F6Fがいち早くデビューした。F6Fはオーソドックスなスタイルで開発も早く、旋回性能を除き零戦を上回る性能を誇った。また強力なエンジンを搭載したための馬力に余裕がある分、防弾機能も向上させた。そのため敵機の弾丸が少々当たっても戦闘を継続することができた。F6Fは格闘戦に持ち込まず一撃離脱戦法をとることにより、零戦に対して優位に立った。敵機の代名詞である「グラマン」はこの機を指している。
F-4Uは、コルセアウイングと呼ばれるくの字に折れ曲がった主翼、やや後方に位置する操縦席など独特のスタイルをしていた。そのため開発がF6Fに比べて遅れた上、操縦席が後方に位置したため視界が悪く、空母の発着に向かないのではないかと懸念されたため当初は空母に搭載せず、陸上基地からの配備となった。しかし、その性能の高さ(同じエンジンを使用しながら最高速度がF6Fよりも50km/h以上早い)とパイロットが機体になれるにつれ、空母にも配備されるようになった。太平洋末期には太平洋の主役となり、太平洋戦争後も初期のジェット戦闘機と互角に渡り合う働きを見せ、息の長い活躍をした機体である。太平洋戦争での最強の翼と言えるだろう。
かなりの高性能機だったのですね!
先に書いてましたNHKの番組で、このタイプの戦闘機が、面白半分に農村の、大きな民家を、執拗に攻撃していました。
昔は、大家族でしたので、家の中には、乳飲み子や、お年寄りも、いたことと思います。
当地では、小学校に小型爆弾を、命中させてくれました。こちら側の印象としては、大阪教育大付属池田小学校の宅間守より、悪いと言われています。
私は、兵器マニアではありませんのでわかりませんが、
0-さんのお家が、この種類の飛行機に銃撃されて、お子さんやご家族が死んだらどのようにお思いになられますでしょうか?
沖縄では、民間人も沢山死亡しました。
件の映像、私も何度か見たことがあります。
確かにあの映像は明らかに軍事拠点と関係ないところを撃っていましたね。
執拗な銃撃に嫌悪感が沸いたのを憶えています。
NHKで放映されたにも関わらず、このことが全く話題にならなかったのが不思議な気がします。
当時米軍は日本であんなことをやっていたのだから、イラクでも何をやっているかわからないでしょう。
ただ、これが戦争というものだと思います。
自分が兵士の立場であれば絶対にこのような行為はしなかったと言い切れない、それが戦場の狂気というものではないでしょうか。
また沖縄戦の非戦闘員の死亡は、日本軍兵士が女性の衣服をまとって戦闘を行ったため被害が拡大したと言われています。
また日本軍による非戦闘員の殺戮も報告されています。
戦争とは一方の個々の行為だけで語ることはできないし、いかなる理由があれ、戦争は行ってはいけないのではないでしょうか。
第2次大戦時代の最優秀機との評価も高いですね。
日米の飛行機の差は、先端技術とマスプロダクションといった技術、物量、システムの差だったと思います。技術、物量はともかく、システムについても日米で決定的に違っていたと思います。この点についてはまた記事にしようと思っています。
米国の艦載機ですが、本土に飛来してよく、何でもないところで、バランスを失って、墜落したという話を聞きました。
マスプロ製造のせいか、未熟な操縦か分かりませんが...
米軍機の墜落ですが、いろいろな理由があると思われます。飛行機製造時の不良、製造後の整備不良、搭乗員の錬度不足、気象条件、燃料切れ・・・こういった要因の組み合わせによるものだと思います。
マスプロダクションですが、生産量が多ければ不良率が小さくしても不良の絶対数は減らない場合があります。例えば不良率1%として100個作れば1個不良が発生しますが、不良率を0.1%として1000個作ればやはり不良は1個出てきます。それだけ米軍機に日本上空を我が物顔でブンブン飛び回られたということかもしれません。
航空機のの部品は、数が多いので、低い不良品率でも、危ないですね。日米ともに、これで落ちた機体も少なくなかった事でしょう。うちの親類は、見たこともない電気ドリルを渡されて、途方にくれたと、言っていました。
ところで、昨日、テレビでシュレーダー、独首相が、「ドイツの戦後は、終った。」と述べられていました。
日本は、若い方も継承しているのを感じます。
撲前から旧日本海軍について趣味がありそのことで調べていたらここを偶然みつけてここをしり書き込んで見ました
本題ですが
日本海軍の零戦は強力な戦闘機でしたが米軍の新鋭機には
かてずおまけに軽くするため防御面が薄くやられやすく
搭乗員の生命を保証していませんでした。
そのため搭乗員の消耗につながってしまいました。
このため米軍の新鋭機の力搭乗員の不足によって
日本は制空権を失っていったのです。
そしてあの特攻隊へ・・・・
以前僕の家の祖母が戦争中のはなしでこんな話をしてくれました。
それは終戦まじかのある日突如僕がすんでいる地域に
グラマンが一機低空飛行である家のピアノに機銃掃射を
して当時の僕の家にも低空飛行で通過してそして
少し離れたとこにあった小学校の校長先生を機銃掃射で
撃ち殺したという話を聞いたことがあります。
コメントありがとうございました。
零戦は、仰るとおり空戦性能を追求したため、徹底的な軽量化が図られ、防弾装備が犠牲になっています。従って撃墜された場合の生還率が米軍機と比べてかなり低くなっています。米軍の場合、撃墜機の生還率は、飛行機の防弾性能だけでなく、潜水艦などの哨戒・救助網の充実、パイロットからの情報のフィードバックなど対応がシステム化ことも大きかったと考えています。
米軍艦載機の機銃掃射ですが、以前にNHKの番組で延々とフィルムが流されてその執拗さに嫌悪したものですが、一方で日本軍側が病院や学校に対空砲を設置してそこから対空砲火を浴びせたことがなかったか、病院や学校に対空施設があるのではないかということを疑わせるようなことはやっていなかったか、その1点は気になりました。機会があったら調べて見たいと思います。