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一昨日の新聞に否が上にも目に入る見出し文字。
夫と読みました。
先日、長女が来てようやく学校から遠くない所に土地が見つかったので
家を新築する事になったという話でした。
親が果たせなかった夢を叶える娘を頼もしく思いました。
小さな家なので一緒には暮らせないと言う、私と夫は当初より子供と一緒に
暮そうなどと思ってはいませんでしたがいざ目の当たりで言われた時に
すーっと心に秋風のようなものが吹き抜けるのを感じたのでした。
話は大分とびとびだけど、今、夫の兄が(83歳)娘達と同居する事になり
夫は毎日家の片付けを手伝いに行っている、伴侶を亡くし独居老人となった兄
娘の家で暮らすのは辛いこの家で死を迎えたいと言っている。
親の想い、子の想いが交差するのです。
若い時には夢にも考えた事は無かったこと。
今、現実に目前なのです。
そのような時にこの記事が目に飛び込んできたのです。
老い支度 どう生き、どう逝くか
文章の最後の所に『事業仕分けのようには行かないが、遺された者が困らないよう
しっかり折り合いをつけるのも、老い支度の姿だと思う』と締めくくってある。
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最近ではドラマでもあり、観るたびに
人事ではないと考えさせられます。
言葉に出してしまえば簡単な事ですが
心を伝えるには難しいですね。
親子それぞれに悔いの無い終日を迎えたいものです。
子供を想わない親はいませんよね。
子供も同じです。親の事を大切に想っています
あくまでも私の場合ですが、兄夫婦と同居していた父が、
大腿骨骨折→軽い認知症発症 で兄達と上手く行かなくなった時期、
私と一緒に住みたかった様子の父がいました。でも私の事情が許さずに同居は出来ませんでした。
とても苦しかったし、すごく悩みました。
考えた末、会社休みの土日にかけて、金曜夜に父を迎えに行って我家で1泊もしくは2泊過ごしてもらっては
父と義姉にそれぞれの時間を作って、少しでも上手く行くように・・・と願ってやっていました。
それから脳梗塞を起して、入院→転院の間、
父が満足していたかどうかは分かりませんが、
私に出来うることを精一杯しました。
最終的に想いは通じていたと信じたいです。
子供の想いって親の想いには叶わないかもしれませんが、
そこには温かいものがあると思います
いきませんよね。
私もさーちさんと同意見です。
延命も機械で命を繋ぐのは堪忍です。
お葬式は家族だけでと娘に頼んでいます。
我が家も爺は同居希望ですが・・・私はいやです。最後の仕上げ~見送り~だけはよろしく。と頼んでます。
延命も葬式もお墓も要らないと遺言書かいてます。
少しだけ距離を持って生活できますよね。
お互いのプライバシーを守りながら
着かず離れずの親子関係が保たれます。
最後は病院か、自宅かは難しい選択ですよね。
考えているだけで一歩も前に出ていない
私達夫婦です、ママさんを見習いますよ。
病気も独りになることも考えたくは無いけれど
やがて訪れることですものね。
明日の事も解からないのですから深く
考えても仕方ないかも知れませんね。
こんな記事を読んだら考えてしまいました。
心準備だけでもね。元気な時だからこそなんですよね。
前向きに真剣に考えなければと思いますが。
恐いです。
親は子の荷物にならないように真剣に考えます。
なんか切ないですね。
ドンドン老後という言葉が心の中に響く今日この頃
まだまだと思っていてもすでに近い物を感じています・・・
さてどうなるのか?本当にしっかりと考えて
行かないと行けない事ですね
今、島には自分の兄弟が誰も残っていません。
近くにでもいたら、何かあったときに駆けつけられるのにと今回少ししたことがあり、改めて思わされました。
自分の将来も考えたり。
兄弟で、誰が帰るという話になっても、自分とは誰も言い出せない。難しいです。