limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

life 人生雑記帳 - 32

2019年05月31日 15時08分06秒 | 日記
編入試験当日、天気は雨だった。“雨降って地固まる”の諺通りなら、“悪魔に魅入られた女”は舞い戻って来る事になる。ただ、妙な確信はあったのだ。“最後まで分からない!諦めるな!”と言っている声が聞こえたのだ。八百万の神々からの声なのか?自らの声なのか?はっきりとは分からなかった。僕は静かに机に向かって黙々と予習をこなしていった。

翌月曜日、慌ただしく朝食を済ませると、僕は自転車を全速力で漕いで学校を目指した。“大根坂”をよじ登り、荒い息のまま掲示板に見入った。だが、菊地に関する掲示物は無かった。「公式発表はまだか!」取り敢えず水道で顔を洗って、汗を拭い階段をヨタヨタと昇る。教室の机に鞄を投げてから、生物準備室のドアの前に座り込んだ。合格か?否か?知る術は先生を捕まえるしか無かった。荒い息は徐々に治まり汗も引いた頃、階段を昇って来る足音が聞こえた。「Y!大丈夫か?顔色が悪いぞ!」中島先生が声をかけてくれる。「いえ、大丈夫です。大急ぎで登校したので、無理をやっただけでいすから」息を整えながら返すと「“合否”が気になったか?ともかく中へ入れ!今、水を出してやるから」先生からコップ1杯の水を受け取ると、ゆっくりと飲んで乾いた喉を潤す。「お前がこれ程焦るのは無理もない事だが、己の体力を過信するな。お前に倒れられると校長が煩くて敵わん!さて、昨日の結果だが、編入試験は途中で“打ち切り”になった。不正が発覚したので3教科の試験が終わった段階で差し止めたのだ。恐らく、現在通っている高校も追われる事になるやも知れん!」先生の口から出た言葉を僕は直ぐには理解できなかった。「不正行為とはもしかして“カンニング”とかですか?」「ああ、まさしく“カンニング行為”だ。後で調べた結果、筆記用具のありとあらゆる部分から“カンニングペーパー”が出て来た。腕時計の裏にも貼り付けてあったぐらいだ」先生は呆れ顔で僕の正面のソファーに座った。僕のコップに水を注ぐと「不正を見抜いた経緯だが、実は偶然でな。数学の問題に1期生の総合模試の問題が誤って入り込んでいたのだが、菊地は何故か正解を取ったのだ。履修範囲外にも関わらずな。初めは自主学習の成果かと思ったが、問題用紙を見て“これは妙だ?”と気付いたんだ。お前達も分かると思うが、普通問題用紙には線を引いたり、計算式を書いたりするはずだよな?だが、問題用紙は真っ新なままだったんだ。計算式すら立てていない!そこで“これは妙だ?”と改めて気付いて、英語と国語の問題用紙も洗い直した。結果は同じだった。それで、休憩中に筆記用具を改めたところ、続々と“カンニングペーパー”と出たのだ。その場で菊地本人を問い詰めると“カンニング行為”を認めたので、以後の日程を打ち切って追い返したのだ!校長は直ぐに県教委と推薦先の県と学校に電話を入れて抗議した。“カンニングペーパーを用いるとは何事か?!”とな。向こうも二の句が継げぬくらいの勢いで怒鳴り散らした。公式の発表はこれからになるが、不正を働いた以上、編入はあり得なくなったよ。“私の眼が黒い内は、何があろうとも菊地の高校受験・編入・卒業は阻止して見せる!”と校長も湯気を立てておったぐらいだ。推薦先の高校も“この様な不正行為を働いた以上、本校に留め置くつもりはありません!”と言い切った。“菊地美夏の高校生活”は終わった様なものだ!」「では、もう彼女はどこの学校からも追放されると言ってもいいですか?」「ああ、間違いなく“破門状”が出回るから、県内はおろか隣接県も含めて追放される。もう、ヤツを受け入れる学校は無い!安心しろ。脅威は過ぎ去ったのだ」「自滅するとは、何と愚かな・・・」「同情の余地は無い!これだけの“悪行”に手を染めたのは、菊地本人だ!自ら道を踏み外したヤツに更生が見込めるか?社会は甘くは無い。義務教育は済ませたのだから、働くなりして己の愚かさを悔いればいい。Y、クラスの上層部にはお前から伝えて置け!菊地の脅威は跳ねのけたとな!ともかく、水を飲んで体を落ち着かせろ。朝は食べて来たのか?お前の体調管理は、特に校長からも厳しく言われておる。確か、貰い物のクッキーがあったはず。腹を少しでも満たして行け。下手に保健室送りにでもなったら、校長が煩いからな」先生はアールグレーを淹れるとクッキーも並べて食べる様に促した。全力を使い切った体にはちょうどいい栄養補給になった。

「万歳―!」「ヒュー!ヒュー!」「遂にやったぞー!」早めに登校していた査問委員会のメンバー全員が踊り狂った。僕が告げた“結果報告”を受けて各自に明るさが戻った。一通りのハイタッチを終えると「諸君、長かった戦いは終わった。我々はクラスを仲間を守り抜いた!ここに“対菊地戦争”の勝利と終結を宣言する!」と長官が高らかに言った。「万歳―!」「ヒュー!ヒュー!」長官を中心にみんなが踊り叫ぶ。「参謀長、長かったが我々が押し切ったな!ご苦労だった!」長官が握手を求めて来た。「ええ、苦しい中、みんな良く頑張ってくれました。全員で掴んだ勝利ですよ!」僕等はしっかりと手を握り合った。「俺は原田に一報を入れて来る。ヤツも安堵するだろうよ!」伊東が走り出す。「勝利を記念して、毎月の今日を“戦勝記念日”にしねぇか?」竹ちゃんが浮かれて言い出す。「いいわね!忘れないためにもそうしましょう!長官、今日から毎月“戦勝記念日”にするわよ!」千里が長官を捕まえて言っていた。道子と千秋が黒板に“戦勝記念日”とカラフルに書き上げた。登校して来たクラスメイト達も笑顔になった。あちこちでハイタッチが繰り返されている。「どうした?勝ったのにそんなシケたツラして?“破門状”が出回ればヤツは終わりだよ。今度こそ年貢の納め時さ!」滝も笑顔で行って来る。「苦いな。こんな形で終わるなんて。せめてもう1度相対してから終わりにしたかったよ」僕がそう言うと「なじり合いになってもか?どうやってもヤツの腐り切った性根は変わらん。非難の応酬になるだけさ。俺はこれでいいと思うがね」滝はサバサバと言う。僕の心には穴が開いた感じが残った。相容れない間柄ではあったが、歳も同じ同級生だったのだ。彼女が何処ともなく消えたのは間もなくだった。家族共々“夜逃げ”同然に消えたと言う。こうして“菊地美夏”と言う女の子は書き消された。今は生死すら不明のままだ。

2時間目の授業が終わった時、僕は堀ちゃんに呼び止められた。教室前の廊下に出ると上目遣いで僕を見ながら「Y、修学旅行が終わったら“誰にも邪魔されないとこへ行こう”って言ったけど、あの話、延期にしてくれないかな?」「どうして?」「これを見て!」堀ちゃんがミニアルバムを差し出した。そこには“別人の堀ちゃん”が写っていた。「うーん、さすがは松田の作品だ!文句の付けようが無い。それにしても、こんな表情の堀ちゃんは初めて見るよ。この表情を切り取れるのは“常に背を追っていた”からだろうな。1枚1枚から思いが溢れてる。あっ、この2枚は僕の撮影したヤツだ」「松田君が“Yに渡してくれ”って言ってた。それでね、あたし松田君と話して見て自分の事に自信が持てる様に思えて来たの。これ見て!」堀ちゃんが指さしたのは、浴衣姿に薄化粧をしたカットだった。「綺麗だな。それ以上の言葉が出ない」僕は唸るしかなかった。「これを撮るために色々と試したんだけど、作品を作るって楽しいなって思えて、松田君のレンズの前に立つのがとても楽しいし“次はどんな表情をしようか?”なんて考えるとウキウキするの。だから・・・」「しばらく松田と行動を共にしたい?」と僕がセリフを引き取ると、堀ちゃんは頷いた。「でも、お茶会や任務は続けたいの。あたしワガママかな?」「そんな事無いよ。僕等は唯一無二の間柄だろう?離れていても心は常に共にある。ちょっと出張して来ればいいんだ。疲れたら、困ったら、迷ったら戻ってくればいい」「Y、いいの?長い出張になるかも知れないよ!」「僕等の家は、いつでも開いてる。自分を松田を信じて行ってくればいい。僕も困ったら聞きに行くけど、それは承知してくれよ!」「うん、他ならぬYの頼みは断らない。いつでも聞きに来て。ノートも貸し出すし、あたしの苦手分野は教えてもらいに行くから。じゃあ、あたし行って来る!Y、家を守ってて。必ず戻るから!」「よし、行って来い!松田に“大切にしなきゃ後で倍返しに行く”って言っといてくれ!」「分かった。Y、ありがとう!」堀ちゃんは頬に軽くキスをすると教室へ戻った。「卒園か。これでやっと“保育園”を閉園に出来るな」僕はポツリと言うとロッカーから参考書を引っ張り出した。

“対菊地戦争”の終結は、2期生全体に良い影響をもたらした。原田政権が安定し順調に各施策が随時軌道に乗った事で、校内に新しい風が吹き新時代の到来を2期生・3期生共に実感する事になり、各施策の効果も眼に見えて現れ始めた。最も恩恵を受けたのは前生徒会長から“追放”された3期生の男子達だろう。余裕が生じた事で、原田は彼らの“復権”を更に前倒しにして実施したのだ。これにより“異常事態”は解消され、全生徒が生徒会に復帰する事となり、本来有るべき姿を取り戻すに至った。また、上田、遠藤を中心とした新3期生クラス委員達は、着実に改革の歩を進めており、全クラスで過半数を上回る勢力を獲得して地盤強化を推進していた。僕と西岡達の“特命任務”も終盤を迎え、最後の“見えない障壁”の突き崩しを残すのみとなった。すっかり秋風が吹き抜ける季節を迎えたある日、「いよいよ最後の策を実行する段階に来ました。些か不純な手口ではありますが、バレンタインを餌に“日和見”を決め込んでいる者達を吊り上げにかかります!これで、各クラスの8割を確保し揺ぎ無い体制は完成となります!」と西岡が言って来た。「そうか、やっと基礎工事が終わるな。次は建屋の建設だが、それは上田や遠藤達に任せよう。既に長期政権への道筋も付けてある。そろそろ、我々の手を離れる時が来たらしいな。彼女達も自立への道を歩んでいる。もう、ここまで来れば後戻りはあるまい。西岡、随分と苦労をかけたが、任務はほぼ完了した。ありがとう。策を授けたら、見守りに徹して表立った行動は控えよう。彼女達なら大丈夫だ!」僕は握手を求めた。西岡は一瞬躊躇したが、僕の手を握りしめた。そして「参謀長、あたしはこれからも彼女達を見守って行きます。異変があればご相談に乗っていただきますが、完全に手を引かれますか?」と聞いて来た。「“完全に”はまだ無理だろう?表立っての行動を控えるだけだ。本来の陰に戻るだけ。僕は指揮を執るより、作戦を練る方が得意だ。言わば縁の下の存在。陰から彼女達を支援するのは当然だし、必要なら策も授けよう。だが、彼女達との接触は差し控えるよ。今は我々も落ち着いて居られるが、この平和が長く続くとは限らないし保証もない。少し体を休めて置くのも悪くは無いだろう?中島先生からも“お前の体調管理には誰よりも手がかかるし、校長も注視している。いい加減策謀に関わるのを止めて手を抜け!”と釘を刺されたばかりだ」と返すと「確かに、参謀長は働き過ぎです!少しは休息して下さい。あたし達クラスの女子の宝を疲弊させたと言われるのは心外ですし、上田や遠藤達の餌食になどさせられません!雛鳥に横取りされるのは論外です!」と彼女はムキになって言う。「分かった。そう怖い顔をするな。いずれにしても、来月初には“任務完了報告”を出さねばならない。今回を持って1つの区切りとする。それは承知してくれ」「はい、上田や遠藤にもそう伝えて置きます。では、またご報告に上がります」と言うと西岡は身を翻して東校舎へ向かった。髪が長くなり、スラリとした容姿に似合っている。彼女なら将来は部課長クラスまで出世するかも知れないとふと思った。「西岡が居てくれたから“3期生再生計画”は成功した様なものだ。彼女の功績は称えられるべき。報告書には細大漏らさずに載せてやらねばなるまい」僕はそう呟いて彼女の後姿に見入っていた。

“災害は忘れた頃にやって来る”と言うが、その年の10月は“遅れて来た台風”によって大雨の見舞われる事になった。ちょうど週末にかけて台風は通過していったが、翌月曜日に僕達は大変な目に遭ってしまった。“ホテル向陽”に通じる唯一の道が朝方に法面崩落を起こして車両の通行が不可能になったのだ。僕達が登校した時刻には路面に亀裂が入っている程度であったが、その15分後に路肩は崩落し学校は事実上“孤立”する事態になった。査問委員会のメンバーと僕等は、割と朝早くに“大根坂”を登って来るが、後続の生徒達は足止めを喰らう事になった。学校側も事実確認に手間取り、生徒の登校を止めるまでにかなりの時間を要したため、危険地帯を潜り抜けて教室へ辿り着いた生徒は多数いた。“臨時休校”が発表されたのは、午前8時を過ぎてからになってしまい、止む無く僕等は家へ引き返す事になったのだが、崩落現場を潜り抜ける必要に迫られた。う回路はあったが、川が増水しており途中の橋は渡れなかった。僕等は集団になり、住宅地を跨いで街中を目指した。「どうなってるんだよ!来たはいいが“帰れ”はねぇだろう!」竹ちゃんの怒りは収まらない。「食料や水、毛布がなけりゃ下るしか無いよ。学校に留まっても、夕食や明日の朝メシが無いんだから。こう言う場合の備えが無いのが致命的だな!」僕が自虐的に言うと「電車もバスも当てにならないとしたら、駅でまた立ち往生だぜ!今日中に帰れればいいが?」と伊東も言う。「松本方面は大丈夫だろうけど、新宿方面が心配!道も寸断されてるとしたら、帰るに帰れなくない?」道子も言う。2期生・3期生合同のグループを急遽組んでいるから、集団してはかなりの人数になっている。西へ向かう方法はあるが、問題は東へのルートが閉ざされていないか?だった。深夜に降った大雨の影響は今になって現れているのだ。朝、学校へ来るときは良くても、今現在がどうなっているのか?を知る術が無かったのだ。実際、駅付近のバス停で聞いて見ると「2時間以上は待っているが来る気配が無い」との答えが帰って来た。不安を覚えつつも駅へ行って見ると、上下線共に“運転を見合わせ中。再開は未定”の看板が出ていた。「クソ!これじゃあ帰れねぇ!どうしろってんだ?」と竹ちゃんが毒づいた。駅員に聞き込みをして見ると、鉄橋が水に浸かり、その先も冠水している区間があると言う。排水が出来ても線路の点検が済まなくては電車は運行を再開しない。特に新宿方面は絶望的だった。「道路が渋滞してて、ここに辿り着く時間が読めないみたい!最悪だわ!」道子も、さちも、雪枝も答えは同じだった。自宅からの応援も期待できそうに無い。「こっちもダメ!寸断されてるみたい!」中島ちゃんも堀ちゃんも答えは同じだった。「さて、どうする?」伊東が思案に沈む。問題は川の増水だった。後、数時間は水位が下がる見込みはない。「参謀長、策は無いか?」竹ちゃんが尋ねて来る。“東西へ進む道は何処にある?”地図を思い出しルートを探す。だが、どうしてもクリア出来ない問題があった。僕は2人になれない事だ。しかし、可能性は無くは無い。「山本、脇坂、お前達は小佐野の家を知ってるよな?それと、小佐野のお気に入りの温泉も!」「ええ、あっ!そうか!」「あそこまで遡れば川底は遥か下、渡れますね!」「そうだ、遠回りにはなるが確実に川を渡って西へ向かうなら、大迂回もありだろう?後は、山腹に沿って町境を越えれば、各家から応援も呼べるはず。直ぐに人数把握にかかれ!地図は後で書いてやる。伊東、竹ちゃん、ハイキングに付き合ってくれ!旧道を歩いて東を目指す。長旅になるけど、道案内はやらせてもらうよ!」「けれど、Yの家とは完全に逆方向じゃない!帰りはどうするのよ?」道子が心配して聞いて来る。「なーに、自転車があれば帰りはずっと早く帰れるよ。実は、先週からここの駐輪場に自転車を置いたままなんだ。心配はいらないよ!」「じゃあ、歩いて突破するの?東西両方向共に!」中島ちゃんが驚いて口元を覆う。「そうさ、交通機関は麻痺しているけど、歩いて帰る事は出来る。座して待つよりは早く帰れるはずさ!」「いいわ、やろう!ただ待ってても助けは来ない。助けを呼べる場所まで歩いていけばいいじゃない!」道子が声を挙げると、みんなが頷いた。「じゃあ、神社の鳥居まで戻る!そこで別れよう。脇坂、自転車を出して来てくれ。山本はノートを貸せ。地図を書くから」慌ただしく準備が進められ、僕達の大キャラバンは神社の鳥居の前へ戻った。大鳥居の下へ再集結した者は、40名近くになった。これは、駅で右往左往していた10名も加わったからだった。「山本、脇坂、西部方面部隊の指揮を執れ!おおざっぱな地図はこれだ」僕は山本のノートを差し出した。「ここから真っ直ぐ西を目指せ。前ノ宮の前を通り抜けると橋に突き当たる。車道は無理かも知れないが、歩道橋は数10cm高い位置にある。ここを突破出来そうなら、強行突破しろ!そうすれば、体力を温存出来るし後が楽になる。もし、封鎖されていたら山へ向かって迂回するしか無いから、国道へ出てからバス停を頼りに北へ向かえ!ポイントはここだ。川さえ渡れば、向こうは緩やかな傾斜地だから長地小を目指して行けば、ルートは開ける。最悪の場合は、小佐野を頼れ!どうせブツブツと文句は垂れるだろうが、手は貸してくれるはずだ。長地へ出たら¨救助要請¨の電話をかけて、帰宅させればいいが、最後の1人に向かえに来るまで責任は果たせ!」「はい!」2人の表情が引き締まった。「中島ちゃん、堀ちゃん、松田、2人の補佐を頼む。無事を祈ってるよ!」「Yも無理しないでちゃんと帰ってよ!」中島ちゃんが叫ぶ。「よし、出発!」山本と脇坂に率いられた西部隊は西に向かって歩き出した。何度も振り返っては手を振る。「さて、東部部隊も出るか。長い道程だが、休みながら行こうか!」「参謀長、道順は?」竹ちゃんが聞いて来る。「旧道を辿って行けば、障害に当たる確率は下がるから、裏へ裏へと迂回しよう。4年前に探査した事があるから道順は分かってる。伊東と竹ちゃんを先頭に2列隊形を組もう。最後尾は、道子とさちと雪枝。僕は自転車で前後を見ながら移動するよ」「よし、我々も出発だ!」伊東の掛け声と共に東部隊も東に向かって歩き出した。西部隊が15名前後なのに対して、こちらは約25名の大所帯だ。遠足の如き大集団は、ひたすら東を目指した。僕の自転車には、道子とさちと雪枝の鞄を縛り付け、3人がフリーで動き回れる様にして体調が悪くなったり、足にマメが出来て歩けなくなった者が居ないかを見て回らせた。町境で一時休憩を取り自販機からお茶やポカリを手に入れた。「意外と近いな。もう直ぐ市の中心部に入るぜ!」竹ちゃんが驚いている。「いや、まだまだ長いよ!これから一旦登ってから下りに入るが、市内に向かう程、冠水している可能性が高くなる!ヤマ場はこれからさ!」と僕が言うと「俺達は更にその先まで行くんだぜ!まだ、4分の1を通過しただけじゃないか。それでも、確実に前進してはいるな!」伊東が言った事は間違ってはいない。茅野市まではまだ先があった。再び前進を始めて直ぐに「道子、雪枝、この街並みに見覚えは無いかい?」と言うと「なんか妙に懐かしい感じはあるけど」「さっき休んだ場所の風景に見覚えがあるのよ」と2人して小首を傾げる。「あの火の見櫓に見覚えは?」古びた銀色の火の見櫓を指すと「あー!“鉄の檻”じゃない!」「そうそう、いつもYに助けてもらったヤツじゃん!」と記憶の扉が開いた。「あたし達の“メインストリート”!」2人は合唱すると駆け出した。「ここが、Y達の原点なの?」さちが聞いて来る。「そう、僕等の幼い日々の根城だよ。もうじき下り坂になるが、その先のT字路に一番の思い出が詰まってる場所がある!」道子と雪枝は遠い昔を思い出しながら先を争って進んでいく。「Y-、この下の保育園は?」「今は統廃合されて閉園になってるよ!生まれてから保育園、小学校2年までをこの街で過ごした。少し変わっているところもあるけど、10数年前に僕達はここで遊んでいたんだよ。さちが一緒だったらもっと楽しかっただろうな!」「小さなYと遊びたかったな。でも、羨ましいよ。こんな近くに共通の思い出の場所があるなんて。意外に狭いけど風情はある街並みだね」さちが答えてくれた。「昔は広く感じたんだが、僕等が大きくなった分スケールも変わってしまったのは仕方ないよ。ほら、T字路だ。道子と雪枝に聞いて見なよ。悪ガキの頃の事を」僕はさちの背を押した。道子と雪枝は満面の笑みをこぼしながら語り合っていた。「さち、ここよ!この坂道が三輪車レースのメイン会場!」「考え出したのは、Y。靴を何足もダメにして怒られても誰も止めなかったの!」今はガードレールが張り巡らされているが、思い出の坂道は相変わらず存在していた。「Yはどこに住んでたの?道子と雪枝は?」さちが道子達に聞いていた。「あたし達は、あのマンションの辺りにあった市営住宅に。Yは体育館が立ってる辺りに」「今、思い出したけど保育園の頃、Yのおかあさんが“お迎え”をうっかり忘れた事があるの!その時、Yはどうしたと思う?」「さあ、どうしたの?」「大泣きしがら自力で帰ったのよ!そして、おかあさんに抗議したの!」「うわ、桁外れだね!」「でしょう?昔から地図を読み解くのは得意だったの。1度通った道は絶対に忘れなかったわ」女子トークが炸裂していた。「へー、割と近所に固まってるじゃねぇか。悪ガキ3人衆の思い出の場所か!」竹ちゃんも参戦した。「転校してから1度も戻ってなかったけど、あの頃とあまり変わって無いのがうれしいな。住んでた家はもう無いけど、思い出は消えてないわね」道子がしみじみと言う。「Y-、今度みんなでまたここに来ない?“思い出を語る会”でもやろうよ!」と雪枝が言い出した。「いいね。何もない休日に駅から歩いて来るか?ゆっくりと歩けば色々思い出す事もあるだろうし」僕は提案を受け入れた。「そうね、また来よう!今は通り過ぎるだけだけど、それでも思い出は溢れて来るもの」道子が半泣きになった。「また今度、道子の“おてんば振り”を聞きにくるぜ!参謀長、解説を宜しくな!」「ああ、また今度。きっと戻って来るとしよう!」僕等は溢れる思い出を振り切って前進した。市内の駅裏に差し掛かると、次第に水たまりが増えてしまいには車道に水が流れる状況になった。歩道はあるが、狭いので隊列を長くしての前進するしか無い。駅の真正面にある百貨店の裏口に辿り着くと5名が名乗り出た。「家の近所に来ましたので、自力で帰ります!」と言うので「帰り付くまで気を抜くな!」と言って送り出した。5人は手を振って僕等を見送ってから家路に着いた。そこから800m程進むと、竹ちゃんと雪枝、さちを中心に10名が別れる事になった。「ここまで来れば“救助要請”が通じるだろう。雪枝達は俺が責任を持って送り届ける。参謀長、ありがとよ!道子達を頼んだぜ!」さちは「Y、無事に戻ってね!帰ったら電話して!」と半泣きで言った。竹ちゃんとさち、雪枝達は国道を越えて南方向へ別れて行った。僕等も手を振って見送る。残ったのは、伊東、千秋、道子を中心に上田や池田らの3期生を含む10名になった。道のりはやっと半分を通過したに過ぎない。市街地から山沿いに抜けると小高い丘に公園が見えた。「伊東、昼にしよう。腹が減っては何とやら。場所がある内に食っとかないとダメだ!」僕が言うと「そうだな、この先に場所がある保証は無い。みんな昼にしよう!足を休めるぞ!」僕等は公園へ雪崩れ込むと弁当箱を広げた。「参謀長、この先はどうする?」伊東がメシを食べながら言う。「桑原地区を通過したら、線路を渡って国道に出る。上原地区に付いたら目印になりそうな施設と公衆電話を探して、各自自宅へ“救援要請”を出してもらう。恐らく桑原の南、赤沼地区が冠水して止まっている原因だろう。あそこは意外と周囲より低いんだ。当面は山沿いを東に進むが、どこかで南東方向へズレなきゃならない。だが、先は見えてるから、ここで踏ん張れば家に帰れるぜ!」「でも、Yはまた来た道を引き返すんでしょう?そして、鳥居から家までを進まなきゃならない。本当に大丈夫なの?」道子が聞き返して来る。「道を知らなければここまでは来ないさ。帰りは自転車で走り抜けるから、来た時の半分の時間で戻れるさ。後は駅の駐輪場へ自転車を置いて、タクシーを拾えば何とかなるさ!」「でも、保証は無いのよ!本当に大丈夫なの?」道子は心配ばかりだった。「ケースバイケースで考えればいい。天気が悪化する要素は無いし、溢れた水も排水が進んでいるだろう。帰り道の展望は悪くはならないよ。心配はいらない!」僕は道子を安心させる様に努めた。40分後には隊列を組んで再び東を目指して歩き出した。裏へ裏へと進路を取った結果、1時間後には無事に上原地区へ辿り着く事が出来た。山沿いを離れて国道へ出るとパチンコ店があり、公衆電話も見つかった。「よし、順番にSOSを発信してくれ!」みんな疲れてはいたが、家への連絡は無事に付いた。「Y!ママが来るまで待ってて!」道子が呼び止めに来た。「ああ、みんなが収容されるまでは残るつもりだけど」と言うと「それは俺が引き受ける。道子の迎えが来たらお前さんは引き返せ!暗くなっちまうぞ!」と伊東が言う。早い子はもう迎えが到着し始めていた。無事に引き渡していると、道子の母親がやって来た。「Y、これを持って帰りな!」道子はおにぎりを3つとボトルを2本手渡しに来た。「本来なら、引き止めるのが筋だろうけど、Yの事だから“帰る”って言うでしょう?途中で食べて行ってよ。それと水分摂らないと倒れるよ!」道子が懸命に考えての妥協案を出して来たのだ。「済まん。ありがたくもらって行くよ。伊東、後は任せていいか?」「もう、充分だ!無事に帰れ!必ずな!」「Y、ありがとう。また、助けられたね。檻から助けてくれた昔の様に。くれぐれも事故に遭わないで!帰ったら電話してよ!」道子が僕の肩を叩く。「じゃあ、引き返すよ!伊東、道子、千秋、またな!」「必ず無事に帰れー!」3人の大声が僕の背中を押した。僕は自転車を旋回させて手を振ると、来た道を引き返して行った。自転車は軽快に西へと戻る道を進んでいった。

life 人生雑記帳 - 31

2019年05月29日 16時37分37秒 | 日記
修学旅行は無事に幕を閉じた。金曜日の夕方全員無事での帰還だった。翌日の土曜日は休暇だったので、月曜日の朝は久々の再会となった。いつもの様に“大根坂”の中腹で立ち止まって振り返ると5人が登って来るのが見えた。「Y-、おはようー!」雪枝が急いで登って来る。何故か堀ちゃんの姿が無い。雪枝に捕まり右手を封印されていると、後続の4人が追い付いて来た。「堀ちゃんは?」「それが、駅に姿が見えなかったのよ!理由は知らないけど1本遅らせたのかも」と中島ちゃんが言う。「ふむ、さすがに疲れて今日は休みかな?」と僕が言うと「いや、分からねぇぜ!ともかく教室で待ち伏せだ!」と竹ちゃんが意味深に言う。道子もさちも意味深に微笑んでいる。「そうか、ヤツの登校時間に合わせたか!」と膝を打つと「多分ね。Y、少しは許してあげなよ」と道子が言う。さちが僕の左手を封印すると、中島ちゃんが僕の鞄を持って先を歩く。「みんな、見て欲しいモノがあるの!これなんだけどさ。修学旅行の前日に靴箱に入ってたの!」雪枝が鞄から水色の封筒を引っ張り出した。まだ、未開封だったし差出人も記載が無い。「目の前の修学旅行ですっかり忘れてたけど、気味が悪くて開けられないのよ!」雪枝は怯える様に言う。「雪枝、これは迂闊に開けなくて正解だよ。一見するとただの封書だが、中身に仕掛けが仕込まれてたらタダでは済まない!“鑑識”に開けてもらいましょう。僕が一先ず預かるよ!」「“鑑識”って西岡さん?」中島ちゃんが言うので「彼女ならこの手の手紙には、クラスの誰よりも精通している。1つはっきりしているのは、宛名に“先輩”の2文字があるから、1年生が差し出したって事は確かだ。西岡なら下にも顔が利くから、差出人の調査にも有利だ。雪枝、しばらく待っててくれ。中身を改めてから諸々の調査に入らせるよ」「うん、Yの思う通りにして!あたしはただ怖いだけ」雪枝が右手をギュッと握りしめた。「任せときな。悪い様にはしないから」僕等は教室へ入って行った。

「筆跡からすると男性。それも、かなり几帳面な性格でしょう。封の代わりにシールなどが貼られていない事から見ても、女子が偽っている可能性は低いですね。一応、慎重に逆から開けて見ましょう!」西岡は切り出しナイフとピンセットを用意すると、慎重に封筒を開けてくれた。「大丈夫です。仕掛けはありません。参謀長、どうぞ」僕の手に折り畳まれた便箋が手渡される。「雪枝、読んで見な!」僕は便箋を雪枝に渡した。2枚の便箋にびっしりと文字が記されていた。「Y、どう思う?」一読した雪枝は僕に便箋を戻して来た。僕の背後で4人が同時に内容を追う。「割と真面目に書いてるね」「これ意外にマジだぜ!」「差出人は本橋か、どこかで聞いた様な気がするな?」と僕が言うと「本橋なら遠藤のクラスの前委員長ですよ。竹内、長田の両人なら面識はあるはずですが?」西岡が指摘すると「あー!あの子か!」「背は高くねぇが、色の白いヤツだ!」と竹ちゃんと道子が思い出す。「分かったぞ!上田が引っ張って来た4人の内の1人か!」僕も向陽祭の時を思い出した。「そうです。本橋は遠藤と共にクラスを牽引するパートナーです。今やクラスの要と言っても過言ではない存在です」西岡が補足説明をしてくれる。「そんなヤツがガチで雪枝と“付き合いたい”と直球勝負を挑んで来たのか!これは見逃す手は無いな。雪枝、どうする気だ?」「どうするって、あたし分からないわよ。Yはどう思うのよ?」雪枝は戸惑いを隠さない。少し赤くなっているのが意識している証拠だ。「男としては悪くないヤツだ。骨もあるし筋も通すヤツだろう。後はどう返事をするかは、雪枝の決断次第だと思うけど。どうする?」僕は敢えて投げ返して見た。「どっ、どうするって・・・、あたしどうしよう?Yが一緒に行ってくれるなら、あっ、会ってもいいかな・・・?」「“かな”じゃなくて真っ向から立ち向かわなきゃどうする?“付き合うか”“断るか”は、雪枝が決める事だよ。僕がどうこう言う事は出来ないんだ。もう、そう言う決断は自らが決めなきゃいけない時期だと思うよ」僕は雪枝の肩に手を置いて諭す様に言った。「雪枝、Yの言う事は間違ってないよ。だって、来年の今頃はみんながそれぞれの夢や希望に向かって決断して、進んでいるんだよ。いつまでもYに寄り掛かっている訳には行かないじゃん!それに、あたし達はこの星に居る限り繋がっているじゃない。Yが斑鳩の里で絵里を思い出した様に、この空の下であたし達は“唯一無二”の存在としてそれぞれの心に生き続けるの。今は実感が湧かないかも知れないけど、雪枝の行く道は雪枝自身が切り開くしか無いの。否応なしに決断する時はやって来るわ。でも、今回は“予行演習”だと思って望めばいいの。失敗したっていい。本番でミスしないためにも。手紙をくれた本橋がどんな男の子か?雪枝の心で見極めてみたら?」道子も諭すように言う。「困ったら、迷ったら助けてくれるの?」雪枝は声を絞り出す。「今は、あたし達全員が居るから直ぐに駆けつけるわ。Yもちゃんとバックアップしてくれる。だからこそ、自分で決めてみたら?」道子は雪枝の背を押した。しばらくの沈黙の後に「向こうが勝負を挑んで来たなら、逃げるのは卑怯よね!分かったわ。誰か知らないけどナンパなヤツなら蹴り倒してやるわ!あたしを甘く見たら命がいくつあっても足りないって事を思い知らせてやる!」と雪枝は果然やる気になった。「そう、その意気よ!」道子が雪枝を抱きしめた。「西岡、済まんが本橋に関するデーターを集めてくれ。背後関係も含めてな」僕は小声で西岡に依頼した。「少々お時間をいただきますが?」「構わん。その代わりに徹底的に洗ってくれ!」と言うと「娘を嫁に出す心境ですか?」と西岡が言う。「違うよ。園児を卒園させる“園長”の気分だよ」と言って僕等は笑った。

雪枝の件で多少のゴタゴタはあったものの、堀ちゃんが松田と揃って登校して来た頃には、僕等も平静を取り戻していた。「やっばりな!松田のヤツ、堀ちゃんの心を掴んだらしいな!参謀長、卒園させる園児がもう1人居る様だぜ!」窓際に移動した僕に竹ちゃんがそれとなく指さした。「どうやら、間違いないらしいな。後は、堀ちゃんがどう言って来るかだよ。遅かれ早かれ何かアクションはあるだろうな」僕は敢えて眼を逸らした。こちらから動く必要は無い。これからを決めるのは、堀ちゃん自身だった。雪枝もそうだが、堀ちゃんも自らの判断で行動出来る力は持っているのだから。「参謀長、少しいいか?」久しぶりに長官が声をかけて来た。教室前の廊下に出ると「今、小佐野から知らせが入ったのだが、政権交代後に3期生の“復権”が前倒しになる可能性が出て来た。現生徒会長と原田が密会して“復権の前倒し”で合意した模様だ!」「だとすれば、年内にも“復権”が実現しますね。原田としても3期生達を取り込むための“目玉政策”を早期に実現すれば、事を優位に運べますし支持層の拡大に弾みが付く。集権による“会長権限”の強化にも寄与しますね!」「それだよ、“拒否権”の付与や監査委員会の“骨抜き”には支持層の拡大は必須だ。そこで早めに手を回した様だ。お前さん達も忙しくなるだろう。3期生の方は、どの程度まで固まっている?」「過半数は獲得してますよ。“追放”された者達も切り崩して取り込みを強化してますから、多少の揺れで揺らぐ事はもうありません。“見えない壁”さえ突き崩せば、自ずと落ち着くのは時間の問題でしょう」「うむ、どうやら校長から与えられた命は果たせそうだな。下が落ち着いていれば原田政権の船出も順調に進むだろう。この話は、速やかに伝達してくれ!我々にも影響が出ない様に工作を急げ!」「了解です!西岡に含ませて置きますよ。しかし、長官、長崎の対抗馬が“靖国神社”と言うのは些か無理があり過ぎませんか?選挙にする意味と言うか“お遊び”としては相当な無茶を振ったのは何故です?」僕の問いに長官は薄笑いを浮かべると「長崎VS“靖国神社”の下馬評が悪い事は承知している。あれは、小佐野と協議して決めたのだ。ワシだけでなく小佐野の悪乗りも入っておる!どちらがどの程度の票を集めるか?人気投票としては悪くなかろう?」僕は一瞬噴き出してから笑いを堪えつつ「過半数を得るのはどちらか?結果は見えています。その上で“靖国神社”を曝しものにするとは、小佐野も趣味が悪い!」と言いながら笑った。長官も腹を抱えて笑っている。「最低の出来レースだが、少しは楽しみが無いと我々も退屈なのでな!」「我々が暇なのは良いことじゃあありませんか!しかし、暇を持て余すのも問題ですね。何か研究でもされればどうです?」「考えて置く!」長官は涙目になりながら肩を叩くと教室へ戻って行った。程なくして、西岡が東校舎から戻って来た。僕は彼女を手招きすると「政権交代後に3期生の“復権”が前倒しになる可能性が出て来た。年内にも“復権”が実現する確率が高いと言っていいだろう。上田と遠藤達に、それとなく伝えて置け。これで、彼女達の足元はより強固なモノになるだろう」と告げた。「朗報ですね。上田にしても遠藤にしても、この知らせを待ち望んで居ました。早期に実現した背景は何です?」「原田の思惑だよ。“拒否権”の付与や監査委員会の“骨抜き”には支持層の拡大が不可欠だ。下が安定しなくては、我々も常に揺さぶられて安定しない。“原田色”を鮮明にするには、早期実現に踏み切らざるを得なかったってとこだろう。だが、これで“懸念”は払拭される事になる。上田達にしても、我々にしても歓迎しない手はあるまい?」「ええ、これで先が見えてきます。彼女達の“改革”にも弾みとなるでしょう。伝達はどうされます?」「今日の昼に含ませて置け!まだ、確定ではないから、ぬか喜びで終わったら意味が無い。“年内にも実現しそうだ”と言うレベルに留めて置くのが最善だろう。無論、原田の尻は早く叩かなくてはならんが」「分かりました。本橋の件で昼に繋ぎを付けてあります。その際に伝えて置きますよ」「済まんが宜しく頼む。西岡、とうとう来たな!」「はい、今までの努力が報われますね」僕は西岡と並んで教室へ戻った。

“大統領選挙”は、原田の圧勝で幕を閉じた。一応、選挙にはなったが2期生の中でヤツに届く人材は他に居なかった。伊東と千秋と久保田の“入閣”も正式に決定し、僕と長官にも“会長特別補佐官”の肩書が予定通りに付いた。「ワシは面倒な肩書など要らぬ!」と長官は忌み嫌ったが、着いて来た肩書は勝手には降ろせない。否応なしに僕達も原田政権の一員として政務に付く事となった。長崎VS“靖国神社”の異例のレースは意外にも僅差になったものの長崎が競り勝った。「これで、委員長の椅子は安泰よね!」千里がホッと胸を撫でおろした。「Y-、堀ちゃんから何か聞いてる?」中島ちゃんが尋ねて来た。「いや、まだ何も聞いてないが、どうした?」「彼女、松田君とラブラブだけど、お昼のお茶会には来てるでしょう?いい加減、一言あっても良くない?」要は“筋を通せ”と言いたい様だ。「ボールを持っているのは、堀ちゃんだからな。相互不干渉が原則のグループにあって、勝手に介入する意思は無いよ。時が来るまで気長に待ちましょう!雪枝と本橋の件を軌道に乗せるのが先決だし、石川の方も放って置く訳にもいくまいよ」「うん、あたしもそろそろ決断しなきゃいけないね!」中島ちゃんが真剣な表情に変わる。「いい傾向じゃない?それぞれが自立の道を模索するのは、当然の事だしYもさちを見て居たいだろうし?」道子がサバサバとした口調で話して来る。「“いつまでも保育園”って訳にも行かないからな。1年前倒しで自立してくれるなら、後々も安心していられる。道子、今日の依頼は?」「今のところ3件。男子から1年生の女子に関する問い合わせよ。最近急に増えたわよね?」「余裕が生まれたんだろう。3期生のクラス内も安定しているし、気になる先輩に声をかける、こっちからアプローチしても答えるゆとりがあるのはいい事だよ。それに男としては“切実な問題”も関わってるからな」「“切実な問題”って何よ?」さちが小首を傾げる。「年が改まれば“バレンタイン”は目前だ。昨年、悔しい思いをした連中にすれば“逆転ホームラン”をかっ飛ばすためにも、今から動かないと間に合わないだろう?」「そうか、それで焦ってる訳?熾烈になるのはそう言う意味合いもあったのね」さちがようやく納得した。「今回は3期生が居るからチャンスを掴める枠も増えた。野郎共にして見ればリベンジに燃えるのは必然性がある。だけど、この子は競争激しいから無理だと思うな。残りの2件は手付かずだから、見込みはあるが相手の反応次第ってとこだな。調査報告はそれで行くしかあるまい。後は本人の努力次第で押し切ってもらいましょう!」「Y-、中島先生が呼んでるよー」東校舎から戻った雪枝が声をかけて来た。「さて、何だろう?大した問題は起こっていないが?」僕は首を捻りながら生物準備室へ入った。只ならぬ空気がまとわりついて来る。どうやら厄介事が起こったらしいと直ぐに推察が付いた。「Y、まずはこれを見て見ろ!」先生は隣接県の教育委員会の封筒を僕に差し出した。書類の束に眼を通すと血の気が失せた。「これは・・・、この推薦状は・・・、本気なんですか?!」僕は呆然と言った。「先程、県教委から校長のところに正式な要請が入った!転入試験を実施せざるを得ないのだ!忌々しい限りだが、筋は通っているから拒否は出来ないのだ。学校からの推薦と県からの推薦が来た以上は、切り捨てる理由が見当たらない」先生の顔色も青白い。「しかし、彼女は“退学”を選んでます。“退学した者を編入させる”なんて前例が無いのでは?」「確かに前例は無い。だが、正式なルートで要請が来たからには、こちらも対応を迫られている。クラスの上層部を集めて至急対策を協議しろ!これは下手をすれば“舞い戻り”となるやも知れん重大事だ。急げ!一刻の猶予もならん!」「はい、では緊急に査問委員会を招集します!」「うむ、こちらも最新の情報が入り次第、随時お前に伝えるつもりだ。用心してかかれ!今までとは訳が違う」「では、早速」僕は生物準備室を辞した。「下手をすれば学力は僕等の上を行っている可能性もあるな。畜生!こんな手を使うとは!」僕は毒づいたが、現実は進み始めている。これが“菊地美夏、編入騒動”の始まりだった!

「なに!“菊地美夏が編入試験”だと!参謀長、間違いではあるまいな?!」長官の声が上ずった。「先生から関係書類を閲覧させてもらいましたが、紛れもない事実ですよ!編入試験は半月以内に実施されます!」僕の声も上ずっていた。「ヤツが舞い戻って来るのか?だとしたらタダでは済まない。やっと船出したばかりの新政権にとっても、打撃は避けられないじゃないか!」伊東の声も上ずっていた。「“悪魔に魅入られた女”が戻ってきたらそれこそ学校中がひっくり返るぜ!何とか防ぎ様はねぇのかよ!」竹ちゃんが机を叩いて言うが現段階で具体的な策は無かった。「舞い戻って来ると仮定して、どうやって校内の秩序を維持するか?を考えなきゃならない。ひとまずは、関係各所に警告を流す事、体制を引き締める事、正確な情報を提供する事の3つから手を付けるしかない!」僕が言うと「原田に一報を入れて来る。ヤツに言えば直ぐに臨戦態勢を取るだろうし、情報網を駆使して裏も取れるだろう」と言って伊東が駆け出した。「ワシも小佐野を動かして裏を取って見るつもりだ。滝さん、菊地家の偵察をやってくれ!しばらくは眼を離さないでくれ!」「了解!人の出入りと本人の去就を見極めればいいよな?」「ああ、派手な真似は出来ないが、出来る限り監視を強化してくれ!」僕からも滝に依頼をかけた。「あたし達はどうすればいいの?」千里が心配そうに聞いて来る。「早晩、発表があるだろう。動揺しない様に女子を束ねてくれ!まだ、編入が決まった訳では無い。毅然としていつも通りに過ごす様に仕向けるんだ!千秋も手を貸してやれ!」2人は黙して頷いた。「どうやら、今回は一筋縄では行かないだろう。壁を破られたらそれまでだ。戻って来ると仮定しての対策を考えなきゃならないな!」久保田は意外にも冷静に物事を見ていた。「それなんだが、赤坂と有賀以降の人事を決めて無いだろう?生徒会にも人手を取られてるし、重複しての兼任は難しいのが現実だ。来年度の頭を誰に託すか?まず、そこから始めないとクラス全体の方向性も決めにくいし、付け込まれたらアウトだ!」「そうだな、政的駆け引きに負けぬ人材とすれば、山田と西岡辺りでどうだ?」長官が2人を挙げた。「冷静かつ沈着な山田に、菊地を知り尽くしている西岡なら崩れる心配はないでしょう。我々の声も聞き入れてくれますし」僕は長官の意見に同意した。「俺達も居るしあの2人なら持ち堪える事は出来るだろう」久保田も同意した。「そして、大トリに長崎を据える。ヤツならこちらから耳打ちさえして置けば勝手に突進するから、逆に菊地にとっては扱いにくい存在となろう」「裏で糸を引く役はどうするのよ?」千里が懸念を示す。「それには真理子さんを口説き落とす。長崎の操縦は意外と単純だ。物怖じしない彼女ならしっかり糸を引いてくれるだろう」長官の意向で人事は固まったが、各グループの引き締めは容易では無かった。「問題は男子よね。付け込まれるとしたら、綻びは男子の曖昧な組織だと思うの。再度の再編をかけるか?久保田、竹内、今井で引き締めるか?どっちが効果が上がるかな?」千秋の指摘は的を射ていた。「組織再編にかかっている時間は無いよ。ここは女子側から吸収してしまうのが近道じゃないかな?」「男子を統制下に置くか!主要なグループはそれでもいいけど、全員をカバーするのはさすがに無理があるんじゃない?」千里が現実を考慮して言う。「確かにそうだが、互いに声を掛けられる関係を築くのが目的だから、穴を見せなければいいんだ。ヤツはクラス内の情勢に疎いから、隙を見せなければ孤立するしかない。孤立無援に追い込めればいいんだ!」「それなら、軒下を貸せばいいから濡れる事は無い様に出来る。要は、放駒を作らなければいいのね?」「そうなんだが、それが意外に大変なんだ。久保田、竹内、今井達にも協力を仰いで、男子をまとめる工作を平行して進めるしか無いんだ。女子にお願いしたいのは“なるべく多くの傘を用意して欲しい”つまり、個々での繋がりも模索して欲しい事なんだ!浮いた駒を狙われないためにはそれしか無い」「付かず離れずの距離を取りつつも、いざと言う時は傘をさしかけるでいいのね?それなら千里と相談して見るわ!」千秋が同意して千里と話し始めた。「原田が“緊急集会”を開く方向で調整に入ったし、情報網に一報を入れて探りにかかった。ヤツにしても寝耳に水で“邪魔をされては敵わん”って言って緊急対策を取る算段を考えてる。“内情に疎い事は利用する価値はある”とも言ってたが、ヤツも内心は穏やかでは無さそうだ」伊東が戻って報告をする。「どこもそうだろう。この1年余り、“悪魔に魅入られた女”を直接見た者は少ないし、どれほどの実害を及ぼしたかを知る者も少なくなった。そんな中、突然悪魔が帰るとの知らせがあったのだ。原田にしても恐怖を感じて居よう。ヤツはそれだけ危険で恐ろしい女なのだ。我々も心してかかられねば全てを失う恐れはある!久々に全力で戦う日が迫っておる。みな、それぞれの立場で戦いに備えてくれ!」長官が激を飛ばした。「はい!」全員が合唱すると個々に対策に走り始めた。

それから3日後、菊地の通っている学校から“成績”と“履修範囲”が届いた。「レベル的には若干低いし、履修範囲も本校より遅れている。これを見た校長が学力テストに加えて“小論文”と“面接”を科す事を決めた。論文の課題は“私の政的知見”だ。左翼思想がどれだけ封じられているかを試す。何しろ政的思想で学年と学校全体を混乱に陥れたヤツだからな。ここで化けの皮を剥いで、追い返すのが校長の狙いだ。言うまでも無いが、学校では政的思想で生徒を扇動する事は禁じられているし、我々はこれを認めない。学生足る本分は学ぶことであり、共に高め合う事だ。政治思想で学校を乗っ取るつもりなら、容赦なく追い返すまでだ!」先生の鼻息は荒かった。「編入試験の日程は決まりましたか?」と僕が聞くと「2週間後の日曜日だ。恐れたり心配することは無い。これまで同様に切り捨てて見せる!」先生は自信を覗かせていたが、僕の心は晴れなかった。“これまでとは何かが違う。如何にハードルを高く設定しても、越えられる可能性は60%はあるだろう”と言う疑念だった。レベルは低くとも学校に通っているのだ。自宅で悶々としていた“無期限停学”とは違う。学びの場に居れば自然と知見は広まるし質問も出来る。手強い相手にどこまで立ち向かえるか?結果は2週間後に明らかになるのだ。「参謀長、今、宜しいですか?」西岡が声をかけて来た。「構わないよ。何か掴んだか?」「あたし達の情報網に引っかかった事ですが、菊地は連日深夜まで勉学に励んでいる様です。ラジオの通信講座も含めて。睡眠時間は4~5時間。疲れは極限に達している模様です。それと、今週末にあの女が自宅に戻って来ます!」「そうか、焦りが出ているな。それで次の手は?」「無言電話作戦を考えています。費用はかさみますが、神経戦に勝てれば返り咲きを阻止出来るかも知れません!」「勿論、足が付かない様にやるのだろう?地味な策だが効果は絶大になる。いいだろう、やって見てくれ!」「分かりました。方法はお任せ下さい。それと上田達から質問が上がって来ています。“菊地の危険性について”です。こちらもお任せいただければ、こちらで処理しますが宜しいですか?」「いや、私が話して聞かせよう。実体験をした者として、あの女の腐り切った性根について語るのは義務でもある。日程を調整して上田達を集めてくれ。立会人は勿論君だ。これなら問題は無いだろう?」「珍しいですね。ご自身が直接話されるとは。しかし、常に先陣を切られた方が話されれば、彼女達もいい勉強になるでしょう。では、日程を調整してまたご報告に参ります」「西岡、今度の編入試験をどう見る?」「6対4で突破される可能性は否定しません。しかし、回り道をしたツケは思いの外、足枷になるかも知れません。正直、今回は5分5分と見ています」「やはりそう思うか。私も嫌な予感に駆られているのだ。相手はタダ者ではないし、学校に通っても居るのだ。嫌な予感は当たりやすいが、あらゆる手を用いて阻止に動こう!」「はい、再び地の底へ落とされるのはコリゴリです。あたし達も力の限り戦いますよ!」西岡はそう言うと廊下を歩いて行った。「力の限りか。僕もまだ打てる手を考えるか!」僕も廊下を歩きだした。向かったのは放送室。滝の根城だ。「電子戦を仕掛けられれば、勝機はあるかも知れない!」僕は最後の賭けに打って出る覚悟を決めた。放送室のドアをそっと開けると“中央フリーウェイ”が流れていた。滝は首都高から八王子に至るルートを熱心に調べていた。曲が終わると「よう、居たのかい?」と椅子を回転させて正対して来る。「“中央フリーウェイ”は調布ICの先だろう?何を計算してるんだ?」と問うと「新宿のバスターミナルからの距離と時間を割り出して、オリジナルテープを作ろうと思ってな。曲順を思案してたのさ。用向きはなんだ?」「あの女が今週末に自宅へ戻るとの情報が入ったし、ラジオの通信講座を受講しているのも判明した。そこでだな・・・」「ECM(電波妨害)か?」滝はセリフを引き取った。「ラジオだけでも使用不能にしたくてな!大袈裟な装置にならない範囲でラジオを受信不能に出来ないか?」「雑音を入れるのなら、ここにあるガラクタで組み上げられるが、問題は指向性を持たせる事だな」滝は思慮に沈む。「銅線で簡易アンテナを付けたらどうだ?棒アンテナの先に括り付ければ?」「ある程度は指向性は持たせられるが、周囲に影響は出るぞ!だが、1週間の限定だよな?」「ああ、事が済めば用は無くなる」「ちょうどデッキ部分がイカレたラジカセがある。コイツを改造して雑電波を飛ばすか!ラジオが相手なら出力も小さくていいし、1週間なら電池で電源は賄える。防水対策はレジ袋で2重に包めばOK、設置場所は軒下で行ける」滝は可能性を1つ1つ確認していく。「今週末って言ったよな?今からやれば充分に間に合うぞ!しかし、その明晰な発想をもっと有効に使うつもりはないのか?謀略以外の手は浮かばんのかよ?」「今はその時じゃないよ。編入試験を撹乱するのが先だ!」「OK、仕掛けとくよ。電子戦に神経戦か。他には何をやるんだ?」「無言電話さ。費用はかさむが、神経を逆なでする効果は大きい」「キレてくれれば儲けものか?普通はそこまでやらないが、相手がヤツだからな。手段は選んで居られないな!任せとけ、AMもFMも全滅にしとく!」滝はガラクタを掘り返し始めた。僕の打てる手はここまでだった。「後は、運を天に任せるしかあるまい」僕は教室へ向かう階段をゆっくりと昇って行った。運命の編入試験まで2週間だった。

life 人生雑記帳 - 30

2019年05月28日 14時37分21秒 | 日記
京都での宿泊先は3年前とほぼ変わっていなかった。以前に抜け出した非常階段の周囲も目立った変化は無かった。「うむ、これなら問題は無いな!」僕はホッとして部屋へ引き揚げた。さち達の部屋は廊下の隅で、僕等の部屋は、ほぼ真ん中付近に位置していた。同部屋の面子は“査問委員会”の男子を中心に8名で、赤坂と松田も含まれていた。僕がホテルのフロアの見取り図に見入っていると「参謀長、最短で抜け出すには非常階段しかねぇよな?」と竹ちゃんが聞いて来る。後ろには伊東も前のめりで来ていた。「ああ、この非常階段から出入りするのが最善だ!後は闇に紛れて、真っ直ぐに大通りに突き当たるまで走ればいい。そこから北上すれば“新京極”へ行くのは難しくはない。僕は今晩抜け出すから、後の始末を頼むよ!」と言うと「同じ事を考えてるとはな!俺と竹も今晩抜け出すつもりだったが、これじゃあ“後顧の憂い”を残す事になる!参謀長は単独だろう?短時間で戻るよな?」伊東が勝手な憶測を立てるが「残念ながら“同伴者”が居るよ!伊東は千秋に強請られて、竹ちゃんは道子の希望だろう?僕にも同じリクエストは入ってるんだ!だが、3人が消えるとなるとマジで“後顧の憂い”を残す事になるな!」と僕が返すと「えー、誰を連れ出すんだよ?まさか、4人全員じゃないだろうな?!」と伊東が腰を抜かす。「そんな無茶はしないさ。1年前からの約束を果たすだけ。連れて行くのは1人だけだよ!しかし、どうやって誤魔化すかな?」僕は真剣に考え始めた。「時間的な余裕を見りゃあ、1時間半が限度だろう?どうせやるなら“共同戦線”で行かねぇか?策謀にかけては参謀長にかなうヤツはいねぇし、伊東も出なきゃ千秋に吊るさるんだろう?」「ああ、確実に“薄情者”のレッテルを貼られるな。口も聞いてもらえなくなる」伊東がしんみりと言う。「そうだとしたら、答えは1つしか無い!“共同戦線”を張って同時に抜け出す算段を取るしかあるまい!3組だけなら安全に出入り出来る策は立てられるだろう。他に居たらダメだが・・・」と僕が言うと「乗るぜ!策謀にかけちゃあ第1人者の参謀長だ!俺はあんたに賭ける!」と竹ちゃんがいい「安全に行くならそれしか無いな!」と伊東も乗った。「そうと決まれば、他に脱走するヤツが居ないかを調べてくれ!決行時刻は“自由行動”の打ち合わせの後だ。“同伴者”にも含ませて置いてくれよ。時間は1時間半以内。僕は赤坂に後事を託すために打ち合わせを済ませて置く」「了解だ!伊東、行くぜ!」竹ちゃん達は調査に散った。僕は赤坂を捕まえると、計画を話して“後顧の憂い”を払拭してくれる様に持ち掛けた。「いいだろう。この2日3人には迷惑をかけっぱなしだ。そのくらいは眼を瞑るし、のらりくらりと言い逃れしてやるさ!安心して行って来い!」と同意を取り付けた。「松田、夜も堀ちゃんと撮影会をやるのかい?」僕はそれとなく聞いて見た。「ああ、フラッシュ撮影の練習も兼てやるつもりだが、それがどうした?」と松田は返して来た。「中庭だろう?あそこならスロー撮影も出来るし」「詳しいねー。一通りやって見るつもりだよ」と松田は機材の用意に余念がない。「帰ったら“公開”しろよ!そいつを参考にして僕達も基礎を勉強するんだからな!」と言って肩を叩くと「自信作は写真部の展示会に出すさ!参考になる様に凝ってやる!」と自信を見せた。これで堀ちゃんは“釘付け”が決まった。「さて、後はどの程度の脱走者が出るかだな!」騒ぎは大きければ大きい方がいい。僕は計算を立てつつ夕食を待った。

脱走予定時刻。6名が顔を揃えた。「幸子!」道子が驚いて声を上げると、慌てて竹ちゃんが口を塞ぎにかかる。「いいかい、これから闇に紛れて抜け出すが、絶対に振り返ってはいけない!大通りに出るまでは速足で、暗いところを選んで行くんだ!じゃあ、行くぞ!」僕は非常階段へ続くドアを開けると、5人を先に外へ出し素早くドアを閉めて身を翻す。「こっちだ!」僕の誘導で5人が足早に続いて来る。大通りに近づくと僕は5人を集めた。「時計を合わせよう。今、午後9時半だ。リミットは午後11時になる。誘惑はあるかも知れないが、リミットより前に戻らなくては危険度は倍以上になるから、その点は承知してくれ。ここから北へ300m行けば“新京極”は目と鼻の先だから、そこへ再び集まろう。竹ちゃん、伊東、これを持って行け!」僕は赤と灰色の粘着テープをそれぞれに渡した。「何に使うんだよ?」伊東が怪訝そうに言う。「要所要所に千切って貼り付けて行くんだよ!夜だから方向感覚を失いやすいし、迷ったらアウトだ!もし、方向感覚を失ったら直ぐに引き返せ!そしてこのテープを頼りに戻るんだ!そうすれば、余計な心配をする必要は少なくなる!」「それでコイツをねー。参謀長、そこまで読んでるのかい?」竹ちゃんが聞く。「あらゆる可能性を尽くして対処するのは、こういう時こそ大事なんだ。帰れなければ意味が無い!いくら楽しい時でも、後でカミナリが落ちたら台無しだ!それを避ける一番の早道がこの粘着テープなのさ。さあ、行こうか!1夜の夢物語だ。1秒も無駄には出来ない!」僕等は歩き出した。伊東と千秋を先頭に竹ちゃんと道子、僕とさちが続いた。「幸子、Yと夜歩きなんて堀ちゃんにバレたらどうするの?」道子が心配して聞いて来る。「どうって事無いもの。あたしはYを手放すつもりは無いの!例え堀ちゃんとぶつかってもいいの!もう、自分を偽るのは止めるの!」「Y、あなたも承知の上なの?」「ああ、今まで曖昧に過ごしてきたが、僕も腹を括った。さちの気持ちを無にする事は出来ないよ!」僕は道子に言った。「2人にその覚悟があるなら、あれこれ言っても無駄ね。そうか、遂にYも決断したのね。何となく予感はしてたから“やっとここまで来たか!”って感じ。Y、さちをちゃんと守りなさいよ!」と言うと道子は僕の背中を思い切り叩いた。「痛いよ!道子、手加減してくれよ!」僕が悲鳴を上げると「そのくらい我慢しなさい!やっと男の子になったんだから!」と言うと竹ちゃんの腕にしがみ付く。「伊東、竹ちゃん、ここへ1時間後に再集合だ!目印を忘れないでくれ!」“新京極”の目と鼻の先の像の前を僕は指定した。「了解だ!仲良くやれよ!」「参謀長、遂にやったな!じゃあ、お幸せに!」伊東と竹ちゃん達はそれぞれに夜の街へ消えて行った。「Y-、あたし達にも目印はあるの?」さちが心配して聞いて来る。「コイツを手放すものか!」僕はポケットから白い粘着テープを取り出した。「さすが抜かり無いわね。堀ちゃんは?」「松田の“撮影会”にご招待だよ。フロントに“和服があれば貸してもらえませんか?”って声をかけたら“浴衣の可愛いものがございます”って言ってたから、釘付けになってるだろうよ!」「ふむ、手は尽くしてある訳か?Y―!」さちは僕の胸に飛び込んで来た。「やっと2人きりで歩ける!どれだけ待ち焦がれたか分かる?」さちは嬉しそうに顔を埋めた。「さち、どこへ行く?」僕が聞くと「人込みは嫌、この川沿いを歩こうよ。それがあたしの夢だもの!」とさちは言った。僕等は川辺を手を繋いでゆっくりと歩いた。「夜と言う“非日常”だから、余計にドキドキするな。Y、キスしてもいい?」さちは、はしゃいで言って僕の首に手を回す。人目をはばかる事無く僕とさちは抱き合って唇を重ねた。「Y-、あたしは堀ちゃんと戦争をしても奪い取るからね!あたし決めたから!」さちは真っ直ぐに眼を見て言った。「本気になられたか!平坦な道では無いけど、手が無いことは無いよ。キーマンは松田だ。アイツが本気で堀ちゃんを狙ってくれれば、勝機と言うか戦争は回避できるかもな!だからこそ、今、アイツを試してる。中島ちゃんは石川が居るし、雪枝も3期生から手が伸びてる気配がする。つまり、それぞれの道が開ける可能性はあるんだ!グループは残るけど、それぞれに歩む道は別れてくれそうな未来は、そこまで来てるのかもな。そうすれば、血を流さずして僕等の事は落ち着くだろう。さち、もう少し待ってみよう!」「うん、そんな気配があるの?あたし達も変わっていくのね」「変わらなきゃいけないんだよ!いつまでも今のままが続く訳が無いだろう?僕達もそろそろ意思を示す時期にきているんだろうな。さちの決断は正しい選択だよ!」ひとしきり抱きあった後、僕等はベンチに座った。僕の膝にさちが座り込む。肩を抱くと「こうやって堂々と教室で居られる日は来るのかな?」さちが耳元で囁く。「そうしなきゃいけないよ。“保育園”はそろそろ閉園にしなきゃ!僕は、さちとの時間を大切にしたい!」「あたしも!ただ、向陽祭の時みたいに倒れないでね。Yが倒れるのはもう見たくないから」さちは頬に唇を押し付けた。その時風に乗って団子の匂いがした。「Y、お団子食べようよ!」さちはひらりと僕の膝から降りると、屋台へ引っ張って行く。みたらし団子を買うと2人で食べる。ちょうど小腹が空いていたので、タイミングも良かった。「あたし、道子や雪枝が羨ましかった。小さな頃のYを見たかったな!」「その頃に出会ってたら、こんな気持ちになったかな?高校で出会えたからこそ、さちが輝いて見えたかもね。でも、もっと早く出会いたかったのは偽らざる気持ちだよ!」僕等は互いに見つめ合うと笑った。しあわせな時間が過ぎて行った。

時計を見ながら僕とさちは、来た道を戻った。集合時間の15分前“新京極”の目と鼻の先の像の前には、既に竹ちゃんと道子が待っていた。「Y、さち!」僕等を見つけた道子が声を上げた。「よお、意外と早く済んじまってな!騒然とした中じゃ話も出来やしないからよ、早々に這い出して来た訳さ!参謀長達もこの川沿いを歩いたのか?」竹ちゃんが聞いて来る。「さちの希望でね。2人でのんびりと歩いて、団子を食べて来た。竹ちゃん達も団子か?」「ああ、ちょうど小腹が空いたんでな!夜食としちゃあ悪くないぜ!」僕と竹ちゃんが話していると、道子はさちに「どうだったのよ?Yと何をしてたの?」と気になる事を問い詰めていた。「Yとの約束を実現したまでよ。あたしとYは、ずっと前から今日を2人で過ごすって決めてたから。その夢が叶っただけでもあたしは満足なの。Yは、堀ちゃんにも同じ様に接して来たけど、ずっと前から¨宣言しよう¨って言ってくれてた。けれど、あたしがワガママを言って今に至ってるの。でも、今度は違う!あたしはYと歩みたい!ずっと傍に居たい!だから、あたしも心を偽るのは止めるの!どんな結末になってもいい!あたしはYの全てが欲しいだけよ!」さちの言葉に道子が気圧された。それ程、さちはハッキリと言い切った。「分かったわ。やっとさちも¨本心¨を言ってくれたね。Yもずっと待ってたはずよ!Y、今更だけどさちを守ってあげて!あたしも陰ながら応援するし、見てるから!」「ああ、我が身はどうなろうとも、約束は違えない!それは分かるだろ?」「うん、さちのためなら傷だらけになっても盾になるつもりでしょう?でも、それはやり過ぎよ!これからは2人で相談して決めて行けばいいのよ。あっ!Y、竹ちゃん!タイムリミットよ!」道子が時計を見て慌てる。「大丈夫だ!5~10分の誤差は修正出来る。だが、最悪の事態は想定しとかなきゃならないな!竹ちゃん、伊東と千秋はどっちへ向かったか分かるかい?」「本通りを北へ向かったはずだ。手掛かりは赤の粘着テープだが、順番が分からないぜ!」「そうだな、辿るにしても運を天に任せるしか無い。確率はどちらも50%だ。後5分だけ待とう!それでも来なければ、僕が突っ込む!竹ちゃんはここで2人を護衛しててくれ!」「だが、すれ違ったらどうする?もう、時間がねぇ!」「その時は、5人で先に帰ってくれ!僕はどうにかして潜り込む!」荒っぽい策ではあったが、不確定要素が多い場合は得てしてこうした方が安全な場合もある。僕と竹ちゃんは時計を睨んで待ち続けた。「残り2分だ!竹ちゃん、運を天に任せるか?」と僕が言った時、両手に袋を抱えて千秋と伊東が飛び出して来た!「おーい!ギリじゃねぇか!何やってんだよ!」竹ちゃんが伊東に詰め寄る。「悪い!」「はぐれちゃってさ!あたしが探し当てるまで散々苦労したの!」と伊東と千秋が謝る。「道々話そう!急がないと消灯前点呼に引っかかる!」僕は5人を急がせた。「何でこんなに買い物袋が多いんだよ!」竹ちゃんが不平を言うが「千秋のヤツ品定めに凝っちまってさ!動かないんだよ!」と伊東が弁明しきりだった。「袋はまとめられるか?」「ああ、3つに出来るだろうな!」「さち、道子、千秋を手伝ってやれ!手荷物は少ない方がいい」女子3名は袋をまとめ始める。「この粘着テープ様々だよ!ちょっと眼を離した隙に居なくなって、気付いたら迷子さ!」「でも、参謀長が“テープのところへ戻れ”って言ってたのを思い出して、来た道を引き返して合流出来たのよ!」伊東と千秋が口々に言う。「まさかとは思ったけど、備えあれば憂いなしを地で行っちまった訳か。けれど、全員無事に集合できたのは大きい。この先の“最後の関門”を突破するのには1人でも欠けてたらアウトだったからな!」僕は思わず安堵のため息を漏らす。ホテルまで残り500m余り、僕は一度5人を闇に潜ませた。そこからは文字通りジワジワと接近して行く。玄関先で複数の生徒が先生達に捕まっているのが見えた。「よーし、予定通りだ!意識が玄関ホールに向いてる今こそがチャンス!一気に行くよ!」僕等は急いで非常階段のドアを開けると周囲を伺いつつホテル内へ転がり込んだ。先生達の大声が微かに聞こえる。気付いた先生は居ない様だ。客室近くのソファーへ移動すると「アイツらが捕まってくれてて助かった!先手必勝だからな。こういう芸当は」と僕が言うと「あれも計算の内だろう?1時間のズレが勝敗を分けるのを知ってるから早めに動いた。さすが参謀長だよ!」と伊東達が笑う。「さて、怪しまれない内に各自の部屋へ戻ろう。じゃあ、おやすみ!」僕とさちは手を握り合うとそれぞれの部屋へ分かれて行った。「よお!どうだった?夜風に吹かれた3人衆!」赤坂が聞いて来る。「参謀長を連れて出たんだぜ!抜かりがある訳無いだろう?」伊東が当然の様に言う。「参謀長、明日の“自由行動”だが、とんでもない事になりそうだぜ!ウチのクラス以外にも、5組の敦子さん達のグループも合流する事になった。この勢いだとクラスの半数の女子を俺達2人で統率しなきゃならない!」落ち着いたと思ったら赤坂が爆弾を用意していた。「えっ!マジか?敦子さん達のところに男子は?」「居ない!だからこの分だと大キャラバンを2人で仕切る事になる!」「となると、ウチの4人と赤坂のとこの4人と真理子さん達5人と敦子さん達5人の18人の女子を僕と赤坂って話か?うーん、こりゃ無理があり過ぎる!助手がもう1人居ないと安全が担保出来ないぞ!」「ああ、実質は参謀長の指揮下に19名が従う形になる。どうする?今更、変更も出来ないだろう?」「いーや、ちょっと待て。久保田と交渉すれば道はあるかも知れない!松田!明日はどうするつもりだ?」彼は撮影済のフィルムをしまって、明日の撮影に備えてメンテナンス中だった。「祇園の小路を探って歩くつもりだが、どうした?」「被写体が18名居るこっちに乗り換える気は無いか?」「あるよ!風景よりは人物の方が得意だからな!参謀長、まさか」「その“まさか”をやろうと言ってるんだよ!松田にしても女子を撮影する機会があった方が楽しいだろう?こっちとしては、引率に男手が欲しい。利が一致したところで“引き抜く”のはどうだ?赤坂?」「やっぱりお前さんはタダ者じゃないな!なるほど、これなら行けるかも知れない!よし、久保田に交渉して見よう!」赤坂は内線で話し始めた。「参謀長、俺でいいのか?」松田が聞いて来る。「行くところは平凡だが、逆にポートレートを撮るには絶好のロケーションにならないか?」「よし、乗った!まだ使ってないレンズがある。ポートレート用としては最適なヤツだ。85mmF2と35-70mmF3.5だ。名作の匂いがするぜ!」松田は早速手入れに入った。「参謀長、久保田がOKを出した。アイツらはゲーセンに雪崩れ込むらしいから“松田の好きにさせてやってくれ”だとさ。これで、メドは立ったな!」「ああ、インスタントだが、悪くないだろう?」「どこが“インスタント”なんだよ?計算づくじゃないか!“何かしら捻り出す”のはそっちの分野じゃないか!」「まあね。多少は捻ったが21名を無事に周回させるためには、これもありだよ。伊東、竹ちゃん、風呂へ行くか?」「ああ、相変わらず切れるねー!」「発想力を分けて欲しいよ!ついでに千秋の“取説”も書いてくれたらもっといいが」僕等は大浴場へ行き、身も心もゆったりとして眠りについた。

翌日も快晴に恵まれた。朝一番に北山鹿苑寺へ行き、慈照寺(銀閣)、御所、二条城と巡り早めの昼食を摂ると、山陰線二条駅からは“自由行動”へと移った。ゴールは宿泊先のホテルだ。僕等の大キャラバンは、一度京都駅へ戻り東海道本線の桂川駅まで移動、徒歩で阪急洛西口駅を目指す予定を立てていたが、バス会社の好意により阪急西京極駅まで送ってもらう事になった。何しろ総勢21名の大所帯である。さすがに先生達も“はぐれたら終わり”なのは感じていたらしい。如何に僕が率いて行くにしても所帯が大勢だ。松田がエントリー変更してくれたお陰で随分と楽にはなるが、18名の女の子達を無事に連れ帰るのは容易ではない。「Y、お前の力量なら間違いはあるまいが、赤坂も居るのだ。危険と判断したら即座に電話を寄越せ!」と言って中島先生はテレカを渡してくれた。バスが動き出すと「さあ、いよいよ“自由行動”の時間だ!けれど、ご覧の様に大所帯での大移動となった。お互いに協力してゴールへ戻ろう!先頭は赤坂と有賀、中間に堀川と松田、最後尾は僕と幸子が付く。付かず離れず楽しく行くのは勿論だが、はぐれない様にするのが一番大事な事だ!みんな宜しく!」と僕は話しかけた。「OK!」「了解!」みんなからも返事が返って来た。「統率者は参謀長だ!彼の指示に従ってくれ!慌てず焦らず落ち着いて!愉しく行くぜー!」赤坂も絶叫する。だが、いつまで持つか?は分からない。阪急桂駅で嵐山線に乗り換えると、松尾駅で降りてまずは苔寺(西芳寺)を目指す。ちょうど駅前に6台のタクシーがいたので全てをジャックして乗り込んだ。「ねえ、堀ちゃんと松田君を引っ付けるのは意味があるの?」さちが車内で聞いて来る。「大ありだよ!松田は堀ちゃんをずっと見て来た。堀ちゃんも昨夜の撮影で“浴衣が着れてラッキーだった”ってはしゃいでたろう?それとなく引っ付けて置けば、目先は逸れるし僕等も動きやすくなる。松田にしても“巡って来たチャンス”をモノにしない訳が無い!」「また謀ったのね。あたしとしてはYと一緒なら何でもありだから、関知しない事にするわ」さちはそう言うと肩にもたれかかる。こうやって2人だけの時間を要所で捻出しながら、事は順調に進んでいった。終点の嵐山駅に着くと、時間を区切ってしばらく女の子達を解放した。彼女達は我先にと土産物やスイーツに走る。「参謀長、コイツ使ってみないか?」松田が声を掛けて来る。「Nikon FEに35-70mmF3.5か。さすがにガラスの塊だ。ずっしりと来る重量感はズーム通しで開放値が変わらないだけの事はあるな!」「詳しいな、参謀長もカメラマニアか?」「いや、立ち読みで覚えただけさ。基本は分かってるが、撮るのは滅多にない。どれ、モノは試しだやってみるか!」僕はカメラを構えた。「フィルムは?」「エクタークロームの100だ」「一段絞ってみるか、250分の1か125分の1あたり、構図としてはややアップくらい」僕は堀ちゃんと語らうさちを狙った。「うむ、いい線だ!撮影者としても申し分ないレベルだよ。もう1枚、開放で狙って見ろよ!」「よし、今度は寄せて見るか。500分の1か?」「1000分の1で行けるさ!」松田の助言を聞きながら僕はシャッターを切った。「基本は申し分ないじゃないか!参謀長、撮影者に何故ならない?」松田は不思議そうに言う。「作り手になりたいんだよ。ボディとかレンズのな。そうすれば否応なしに写す側になるだろう?」「そうか、意外と向いてるかもな。現像したら今の2枚は別に渡すよ。さて、普通のカラーフィルムを探すか!」と松田は言った。「コマ切れかい?」と言うと、「温存しないとリバーサルが切れちまう!面白いくらいにいい表情が撮れるから、乗り換えて正解だったが、フィルムが無けりゃ話にならないよ!」松田は嬉しい悲鳴を上げていた。「Y-、ソフトクリームだよー!」さちが2つ持って戻って来た。堀ちゃんは松田に着いて行ったらしい。「ありがとう、さち、上手く行ってるだろう?」「そうね、堀ちゃんの目先は完全に逸れたわ。このまま松田君に押し切ってもらえば、なーんにも心配せずに済むんだけど、そこまでは行かないよね?」「旅先での出来事は、後々まで尾を引くから分からない側面はあるが、かなりいい線で動いてる。手ごたえは充分にある!」僕等は、松田と堀ちゃんの動きを遠くから見ていた。付かず離れずで非常にいい雰囲気だ。「参謀長、そろそろ集合時刻よ!」有賀がやって来た。「赤坂は?」「例のヤツで撃沈させてあるの。少し疲れてるから危ない前兆かもね!」有賀は完全に赤坂を操縦していた。散り散りになっていた女の子達が集まって来た。だが、敦子さん達が現れない。「おかしいな?時間と場所は徹底したつもりだが・・・」復活した赤坂が首を捻る。「小路に迷い込んだか?だとすれば厄介になるぞ!」松田が危惧し始める。「けれど迂闊には動けん!“ミイラ取りがミイラ”になりかねない!時間はまだ余裕がある。しばらく様子を見よう!」僕は渡月橋の方向を見た。「僕等はここだ。土産物屋や食べ物屋が集中してあるのは、主に渡月橋の東側。これから乗り込む嵐電嵐山本線の駅も橋の向こう側にある。彼女達が居るとすれば、そこしか無いが探すとしたら少数で大通りを中心に見て回るしかあるまい。捜索隊は15分後に派遣する。それまでは待つしかない。こっちも動いたら収拾が付かなくなるし、返って混乱を助長してしまう。みんな、落ち着いて待とう!」僕は混乱を恐れた。僕等が動かなければ最低限のロスで済むと読んだ。しかし、15分経過しても敦子さん達は戻らなかった。「Y、そろそろ頃合いじゃない?」有賀が時計を見て言う。「止むを得ん!捜索隊を出そう!松田、堀ちゃん、大通りを見て来てくれ!小路には入らない様に!」「了解だ!」松田達は渡月橋の方向へ向かった。「有賀、嵐山駅方向へ100mだけ戻って見てくれ!可能性は低いが背後にいる事もあるやも知れない」「分かったわ!直ぐに戻るから」有賀は元来た道を引き返して行く。更に10分が経過した。有賀は「姿は確認できないわ!」と言って来たし、松田と堀ちゃんも「大通りに姿は見えない!マズイなこれは!」と言って戻って来た。「どこだ?彼女達がハマッタとしたら何処に居る?」僕は必死に思案を巡らせた。「さち!観光案内の地図を!野宮神社を忘れていた!」僕は地図に見入ると指で指した。「野宮神社、縁結びの神様が祀られているが、小路の奥にあるんだ!ここにハマッタとしたら方向感覚を失えば動けなくなる!よし、全員嵐電嵐山本線の駅前に移動しよう!松田、赤坂と指揮を執ってくれ!さち、行くぞ!見逃しそうな細い小路の奥だ!」僕とさちは走り出す。「おい!参謀長、こっちはどうするんだよ!」松田と赤坂が叫ぶ。「嵐電嵐山本線の駅前で待っててくれ!早く見つけないとヤバイ事になる!」僕はそう言うとさちに追いついた。「Y、後どのくらい?」「駅を過ぎて400mってとこかな?左側の小路だ!」僕とさちは急いだ。見逃しそうな小さな看板と細い路地を左に折れると竹林が現れる。「居たよ!」竹林の隅でうずくまっている5名をさちが見つけた。「はい!よし、よし、よし、5人とも怪我とかは無いよね?」「ごめんなさい。あたし達来た方向が分からなくなって・・・」敦子さんが唇を噛んで言葉を失った。「まあ、いいさ。全員無事なら結果オーライとしよう!さて、嵐電の駅まで行きましょう!みんな心配して待ってるよ!動けるよね?」「うん、Y君怒らないの?」敦子さんが覚悟を決めて僕の前に立つ。僕は拳を軽く彼女の頭に載せると「心配したよ!でも、無事で良かった。さあ、行こう!」僕は敦子さん達をさちとともに嵐電の駅へ導いた。「Y!見つかったの?!凄い直感力!」有賀がキャーキャーと叫んでいる。敦子さん達は真理子さん達に迎えられ、ようやく精気を取り戻した。「Y、全員揃ったからトイレ休憩入れてよ!Yと幸子だって息を整える時間は必要でしょ?」有賀がいい提案をしてくれた。「よし、そうするか!10分後に再集合だ!」僕がそう言うと女の子の群れが散っていく。「Y君、何故分かったの?あたし達のいる場所?」敦子さんが真理子さんに付き添われて聞きに来た。「予定表に野宮神社の文字が書かれているのをチラッと見たからさ。一瞬忘れそうになったけど何とか思い出したまで。下手に動かないで固まってくれたから助かった!」と返すと「そんな些細な事で!真理ちゃんに聞いたけど、本当に僅かな糸口から探し当てたんだ!何故そんな事が出来るの?」「普段からそう言う事は見落とさない様にしてるから。後は直感を信じて行動するだけ。そんなに難しくはないと思うけど」「だから参謀長の肩書が付くのね!真理ちゃんはいいな。こう言う姿を間近でみられるんだから」ようやく敦子さんにも笑顔が戻った。現在はスマホやタブレットのマップがあるし、携帯で誘導も出来るが僕達の修学旅行当時は、それらの片鱗も無い頃だ。本当に僅かな手掛かりを頼りに進むしかなかった。渡月橋の周辺も外国人観光客で溢れかえり、京の街も随分と変わった。学生たちが主役だった頃の渡月橋周辺は、静かで美しい場所だった。野宮神社の看板も変わっているだろう。そんな“のどかな京都”での“自由行動”は今でも鮮明に覚えている。もし、タイムスリップするなら、高校時代の京の街を選ぶだろう。

life 人生雑記帳 - 29

2019年05月27日 12時31分16秒 | 日記
2学期のスタート、いよいよ高校生活も折り返し点を迎える。強い日差しの中、“大根坂”の中腹でヘバッて居ると「Y-、おはようー!」と下から駆け上って来る姿が見えた。堀ちゃんと雪枝と中島ちゃんの3人だ。さちは道子や竹ちゃんとゆっくり登って来る。「Y-、久しぶりー!」“巨大な園児達”にもみくちゃされていると、3人が追い付いて来た。「やれやれ、新学期早々から“保母さん”とは、Yも大変だね!」道子がお手上げのポーズを取る。堀ちゃんが右腕、雪枝が左腕、中島ちゃんは僕の鞄を持って胸元へ滑り込む。3人の体温のお陰で実に暑苦しい。「さあ、行くよ!」さちが僕の尻を叩いて僕等は坂を登る。「あーあ、先が思いやられるぜ!いい加減1人に絞れねぇのかよ?」竹ちゃんも呆れて言うが「ダメ!ダメ!Yは“共有財産”だから、あたし達の手から離すもんですか!」と堀ちゃんが反論する。でも、その横顔は心なしか余裕が見え隠れしていた。眼が合うと堀ちゃんはにっこりと笑う。“秘密のデート”をした事で、彼女は1歩リードしている事を確信している様だった。教室へ入るとみんなで急いで窓を開ける。ムッとする熱気を追い出さなくては暑くてたまらなかった。窓辺に陣取ると堀ちゃんが右横に並んだ。「Y、後で部室へ来て!話があるの」と小声で言う。「分かった。次はいつにする?」と言うと「それを決めたいのよ!」と言うと堀ちゃんは部室へ向かった。西岡が登校して来た。眼が合うと¨廊下へ¨と促される。僕は例の封筒を手に教室前の廊下へ出た。「おはよう、西岡これが例のヤツだ。言われた通り開封はしていない」僕は西岡に封筒を差し出した。「まずは何より。剃刀が仕込まれています!迂闊に開けたら血だらけになっていたでしょう!」彼女は慎重に封筒を横から開けた。「やはり、剃刀が2枚仕込まれているでしょう?中身はあたし達の手元に来たモノと同じ、呼び出し状ですね。ここの筆跡を見て下さい。この微妙なクセは¨悪魔に見入られた彼女¨のモノに間違いありません!」「うむ、確かにそうだ。しかし、今回の目的はなんだ?」「あたし達の掴んだ情報によれば、単なる¨撹乱¨ですね。亀裂を入れて、事を進ませない様に謀ったのです。彼女は、県外の高校を受け直して1年生からやり直している最中です。休み中に帰省した今回は¨矢を撃ち込んで反応を見た¨に過ぎません。既に本校の生徒ではありませんから、反応があれば¨儲けモノ¨と踏んでの単独行動ですよ。背後関係も確認出来ませんでした。ですから、慌てる必要はありません!無視する事が最善手なのです!」「ヤツに関する情報は?」「余り出ませんでした。ただ、全寮制で帰省にも制限がある事、相変わらず¨権力の掌握¨に余念が無い事、そして¨飛び級¨で2年生を狙っている事は掴んであります。可能性は低いですが、¨転入¨を視野に入れているのかも知れません!」「懲りないヤツだな。そんな事は時間の無駄だと言うのに」「ええ、本件は小規模で単発的な攻撃ですが、査問委員会には報告されますか?」「捨て置け!ただ、分析だけは進めてくれ。今後も同じように攻撃がある可能性はある。差し出した場所や文字の変遷などは記録を残してくれ。正月早々に気分を害されるのは御免だからな!」「分かりました。あたし達の方で処理して置きます!」「済まんが宜しく頼むよ!」僕は“手紙”の一件を西岡に依頼すると、堀ちゃんが待っている空き部室へ急いだ。決められた回数ドアをノックすると、堀ちゃんが僕を素早く中へ引きずり込む。直ぐに首に腕が巻き付いてキスをして来る。「Y-、今度は“誰にも邪魔されない部屋”へ行こうよ。あたしの全てをあげるからー」と言うと胸元に僕の手を押し付けて再び唇に吸い付いて来た。少し小ぶりだが柔らかい胸に触れると、理性が消し飛びそうになる。「いつにする?」「修学旅行が終わってから直ぐ。2人きりで過ごしたいの」堀ちゃんは僕の胸に顔を埋めると甘え始める。制服のブラウスのボタンを外すと、ブラを見せて「可愛いでしょ。Yのために新調したのよ」と言う。白い肌が僕を狂わせた。「分かったよ。また、遠くへ行こう」僕は完全にさちを忘れて堀ちゃんを抱いた。彼女は嬉しそうに笑ってから、また唇に吸い付いて来た。「誰にも渡さないから。あたしだけを見て」彼女は僕から離れようとしなかった。

「Y、どうやって回るつもりなのよ?」有賀が“自由行動”の工程表と地図を見て聞いて来る。「3つのパターンを考えて検討したんだが、どうやら時計回りに西南部のここへ移動してから、戻って来るのが最も効率が良い事が分かった。迷う要素は元々少ないから、最初にコケなければ時間の余裕も充分に見込めそうだ」僕は、出発点から地図上を時計回りになぞって、ゴールまでを示した。「最初に大移動して、後は寄り道しながらか。妥当な線だね!」さちも頷きながら地図を眺める。「何しろ人数が半端なく多いから、赤坂にも目配りを厳重にしてもらわなくてはならない。乗り過ごしたりしたら速アウト!1時間のロスが致命的になりかねない。隊列を組んで組織的に行動したり、互いにフォローし合ったりしないと、予定の地点を全て回るのは骨が折れる作業になる」「最大勢力を2人で仕切るんだから、Yと赤坂君は大変だね。あたしがサブに立候補するよ!」堀ちゃんが、待ってましたとばかりに手を挙げる。「有賀もサブに付いてくれ。赤坂の“お守り”も兼てな!」僕が言うと「OK、事前の打ち合わせには時刻表なんかも用意してよ」と注文を付けるのを忘れなかった。「もう1人のサブは誰にするのよ?」中島ちゃんが聞いて来る。「その役は真理子さんにお願いしよう。各グループのトップが努めれば平等になる。細かい話は前日の夜に詰めるが、大枠は今週中に決めて置こう!」「了解!」4人が合唱した。「次は西岡だな。何かあったのか?」「上田と遠藤から報告が入りました。各クラスで過半数を確保出来るところまで漕ぎ着けたそうです!引き続き切り崩し作戦を展開しています」「よし、来月に入れば改選だ。主導権を握れる様に引き続き作戦の展開から眼を離すな!ところで、男子達はどうしている?」「上田達に協力する者が出る一方で、生徒会から“追放”された者達は完全に戦意を喪失して、各クラスの“お荷物”になっています。彼らの“復権”はどうなりますか?」「直ぐには“復権”とは行かないだろう。原田とて1期生を意識せざるを得ない。しばらくは“復権”は実現できないが、3学期になればチャンスはある。それまでの間に妙な事をしなければいいが・・・。原田も選挙公約に“復権”は盛り込むだろうし、実際問題“復権”は不可欠だ。異常事態の解消はヤツも懸念している事。時間は必要だが、いずれは解決への道は開ける。上田達も大変だろうが、“お荷物”だからと言って切り捨てる事の無い様に言って置け!」「はい、承知しました。逆に彼らを懐柔して取り込めないか?やらせて見ます!」「うむ、手は広い方がいい。やらせて見ろ!案外、転がって来るかも知れないし、数の論理からしても優勢になるだろう。じっくりと腰を据えて“話合え”と命じてみろ。なびいてくれれば儲けものだし、1人落とせば雪崩を打って来る可能性もある」「分かりました。では、指示を伝えて置きます」西岡は一礼すると指示書を書くために机に向かった。こうして、2学期はスタートした。内も外も問題が山積してはいたが、表立っての大問題は見えなかった。堀ちゃんと3期生をどうするか?は、時間をかけて立ち向かうつもりだった。まずは、来月のクラス役員の改選と修学旅行を成功させる事、次は“大統領選挙”を含む生徒会の引継ぎが待っていた。「1歩1歩だ。確実に成功させるしかない!」僕は自らに言い聞かせると、授業に会議に明け暮れたのである。

そして9月の半ば、6台のバスを連ねて僕達は¨修学旅行¨へ旅立った。早朝5時の集合。みんな眠い眼をこすって集まった。これから名古屋までバスで移動して、新幹線に乗り換えて一路広島を目指す。クラス毎の点呼が終わると、順次座席に座るのだが、グループ単位で場所は決まっているものの、誰が何処へ座るか?までは決まっていない。4人が“椅子取りゲーム”を繰り広げたのは必然性があった。「今日は、バスと新幹線の配席を決めるよ!」雪枝の音頭でじゃんけんが始まる。普段、クジ運が悪いはずの堀ちゃんが1番を引き当てて僕の横を勝ち取った。通路を挟んだ反対側に、さちが座り窓側は雪枝が勝ち取った。中島ちゃんは、真理子さんと僕の後ろに収まった。窓側を引き当てた堀ちゃんは、そっと僕と手を繋ぐ。左手が封印されると、バスはゆっくりと高速のインターを目指して走り出した。それぞれが朝食や寝不足を補うために車内は静かだった。まだ、先は長いのだ。堀ちゃんも軽食を摂ると僕の肩に寄りかかって眠りこけた。「Y、堀ちゃんが転げ落ちない様に注意しな!」さちがサンドイッチをかじりながら言う。「分かってるよ。さち、何故負けた?わざとらしいぞ!」「ふふん!バレたか。堀ちゃんが横を取れるのは今だけよ!後は全部いただきだから安心してよ。そう簡単には離さないからね!」さちは勝ち誇って言った。でも、堀ちゃんとは¨絶対に言えない秘密¨を持ってしまっている。さちの顔を見ると心が痛かった。「Y、ちょっとごめんね」さちが周囲を伺うと僕の頬にキスをして来る。「あたし決めたから。Yに付いて行く!だから、あたしを置いてきぼりにしないで!」さちは真っ直ぐに眼を見て言う。さちか?堀ちゃんか?僕の心は揺れた。「分かってるさ。置いてきぼりなんかにしない。ちゃんと付いて来いよ!」僕が小声で返すと、さちは黙して頷いた。やはり、さちを忘れる事は出来ない。堀ちゃんも可愛いが、やはり僕はさちが好きだと改めて思った。“堀ちゃんには悪いが、さちへの思いを断ち切る事は無理だ。堀ちゃんとは距離を置こう。これ以上、心を偽るのは信念に反するな”僕は堀ちゃんの寝顔を見つつ思った。駒ヶ岳SAへバスが滑り込む。小休止の時間だ。寝ていたみんなも目を覚まし、バスから降りてトイレや体を動かして睡魔を追い払いにかかる。「Y、すっかり寝ちゃったよー!」堀ちゃんが僕にまとわり付いて来る。「おう!眠り姫のお目覚めか?」と言っていると「Y-、ちょっと助けてー!」と有賀がバスのドア付近から呼んだ。「悪い、ちょっとレスキューに行って来る。赤坂のヤツ早くもダウンらしい」と言ってバスに戻る。堀ちゃんはトイレに急いだ様だった。「Y、名古屋で新幹線を遅延させたらどうなる?」赤坂は青ざめて震えていた。「心配するな!3~4分の遅延なんて走行中に取り返せる!名古屋を出たら次は京都まで停まらない。ちょいと急げばどうって事無いさ!」僕は赤坂の肩を叩いて正気に戻そうとした。「荷物を抱えて乗り込むんだぞ。1分の停車時間では到底・・・」「無理があるのは計算済さ!国鉄だって考えている!逆に荷物を忘れたりしない様に注意した方がいいな!お前さんは先頭を切って率いて行けばいい!後は有賀に任せろ!」心神喪失寸前の赤坂には半分も聞こえてはいないだろうが、コイツが正気を取り戻さなくては、先が思いやられる。「有賀、“物凄く効くヤツ”をお見舞いしてやれ!出入口は封鎖してやるから!」「OK、赤坂クーン!」有賀はキスをお見舞いした。ディープキスだから他人に見つかるとヤバイ!「Y、もういいわよ!」3分後に有賀の声で振り向くと赤坂の顔に微かに血の気が戻っていた。「有賀、ちょっと」と言ってバスの外へ連れ出すと「新幹線の中でも時々お見舞いして置け!委員長があの状態じゃあ全体の士気に関わる!」と言うと「勿論よ!あたしの愛の力で目覚めさて見せるから!」とやる気満々で答えた。「さっきの話だが、忘れ物のチェックは有賀に任せる。僕は赤坂のサポートに付くから、最後は任せるぞ!どうやら、あの調子だとまた心神喪失になるのは時間の問題だ!」と言うと「分かってるわ。Y、手がかかるけど何とか広島まで持たせてよ!」と有賀から懇願して来た。「まあ、こうなるのは予測してたからな。よし、“プランA”を発動しよう!伊東と千秋に言って置け!引率は2人に手伝ってもらおう!」「了解!以外に早かったけど、仕方ないか。Yも宜しくね!」「事前の打ち合わせ通りだ。伊東と僕が“代行者”として、みんなを導く」出発時刻が迫っていた。赤坂に換わって伊東が点呼を取り、人数を把握して居残っている者が居ない事を確認した。バスが走り出すと「赤坂の調子が悪いので、俺と参謀長が職務を代行する」と伊東が告げた。みんなは黙して頷いた。慌てる者は誰も居ない。それもそのはず、こうなる事は予定の行動で事前に取り決めてあったからだ。「早かったね、赤坂君大丈夫かな?Yも大変になっちゃったね」堀ちゃんが言う。「遅かれ早かれこうなる事は予定の範疇だよ。新幹線に乗れば赤坂も落ち着くだろうよ」僕は肩を竦めて返した。実際、名古屋駅から新幹線に乗り換えると、赤坂は息を吹き返した。“以前に経験があれば”ヤツのパニックは治まるのだ。広島駅に着く頃には、先頭を切ってみんなを導き出した。「やれやれ、ここからがまた問題だ!」伊東と僕が危惧すると、予定通りに赤坂の表情が変わった。厳島へ渡り神社へ拝観して、原爆資料館へ移動する間に赤坂はまたダウンを余儀なくされた。“知らない街へ行くとパニックに陥る”ヤツの欠点はこれだけなのだ。他は文句の付けようのない人材なのだが、唯一の“弱点”がこれだった。伊東と僕がみんなを牽引して、再び新幹線へ戻ると赤坂は復活した。「済まん!どうしてもダメだ!」赤坂はうな垂れるが「俺達が居るだろう?心配するな!今日は奈良に泊まるから“前”はあるだろう?」と伊東が言うと「ああ、奈良・京都だったら少しは落ち着いて指揮が執れる」と本人が申告する。「サポート体制は万全だ!不安なら僕等に仕事を割り振ってくれればいい!」と僕が言うと「悪い、無理だったら直ぐに言うから手を貸してくれ」と赤坂は返して来た。「小松と久保田にも手を貸してもらおう!今日は早めに休ませるしかあるまい!」僕が言うと伊東は頷いて小松と久保田にも協力を依頼した。京都駅からバスに乗り換えて一路奈良市内へ南下する途中、4人で軽く打ち合わせてその日は何とか乗り切った。

翌日は奈良市内の春日大社や東大寺、興福寺、薬師寺と巡り、斑鳩の里、法隆寺へ。赤坂も過去に訪れた場所なら¨パニック¨にならない。ただ、鹿に囲まれて往生しただけだった。「今日は、安心だな。ヤツも落ち着きが見られる。有賀、¨物凄く効くヤツ¨はお見舞いしてあるんだろうな?」僕が尋ねると「朝一番にちゃんとやってあるわよ!」と笑いながら返して来る。「ねえ、¨物凄く効くヤツ¨ってなによ?」堀ちゃんが僕の右側から聞いて来る。左側にはさちが並んで歩いている。「分かるだろ?赤坂が抵抗不可能な¨あれ¨だよ!」僕は唇に指を当てる。「かなり¨強烈¨なのね。成る程、あの2人いつの間に?」さちが意味合いを察して言う。「有賀が押しきったのが、確か5月ぐらいだから4ヶ月になるかな?今では¨必須科目¨と化してるよ!」僕がお手上げのポーズを取ると、さちと堀ちゃんが目の前に立ちはだかった。「Yー、覚悟はいい?」2人の眼が悪戯っぽく光る。右側から堀ちゃんが、左側からはさちが僕の頬へ同時にキスをして来る。サッと風が吹き抜けると記憶が弾けた。¨絵里!¨3年前に時間が戻った。ここで僕と絵里はキスをしている。季節はもう少し遅いが、場所は全く同じだ。¨確か、あれは見学の最後、西院伽藍へ戻る時だ¨「Y、どうしたのよ?」絵里が僕の顔を覗き込んでいた。セーラー服にスカート姿の絵里は、小首を傾げている。「ああ、何だか惜しいな。まだ、見たりない気持ちがあるのに、切り上げとはね」僕は悔しそうに言った。「また、来ればいいじゃん!ほら、早くしないと置いてかれるよ!」絵里は、僕の手を取ると周囲を見回して素早く前に立つと唇を重ねて来た。「約束だよ!あたし達は、またここでキスをするの!絶対だよ!」絵里は笑って言った。「絵里、僕でいいのか?」「Yしか考えられない。あたしYと同じ高校に行くもん!そして、将来お嫁さんになる!」絵里は屈託の無い笑顔で言った。「さあ、行こう!みんなが待ってるから」僕達は足早に西院伽藍へ向かった。また、風が吹き抜けると僕は現実の世界へ戻っていた。さちと堀ちゃんが怪訝そうな顔で覗き込んでいた。「Y、どうしたのよ?」「ああ、何だかタイムスリップしてたらしい。時間は何時かな?」「なーに寝ぼけてるの?1分も経って無いよ!どうしたのよ?早くも疲れた訳?」さちが左手を振り回す。「天下の参謀長が、ダウンしたらあたし達はどうすればいいのよ?」堀ちゃんも右手を振り回す。「ひょっとしたら、絵里の事でも思い出してたかな?」有賀が言う。「¨当たらずとも遠からず¨あの頃、わざとらしい¨工作¨を仕掛けてた本人が何を言う。W有賀を筆頭にあれこれとやってたのを知らないとでも言うと思うか?」僕が返すと「あーら、知ってたの?」とあっけらかんとして言う有賀。「そもそも、僕の隣の席に1年通しで座り続けるには、余程の理由か¨恣意的意図¨が無ければ無理だったはず。僕が出てる間の非常事態に備えて、先生が¨使える女子¨を据えるのが暗黙の了解だったんだからな!それを操作出来るのは、クラスの女子達の協力が無ければあり得ない。僕の背後を取り続けるのとは訳が違う!阿部や千洋達と謀ったのは、有賀!お前さんだろう?」僕が核心を持って言うと「まあ、時効だし正直に言うとね、あの頃¨Yと絵里をくっ付ける会¨と¨敏恵とモッちゃんをくっ付ける会¨の2つがあったのよ!前者の代表があたし、後者は千洋。確かにW有賀であれこれやってたの!結構いい線までは行ったけど、絵里がS実に進学して敢えなく失敗。それでも、あたしが同じクラスになったから¨継続¨しようとしたら、Yが6人のグループを立ち上げて、またまた失敗!でも、Yの心の片隅にまだ絵里は居たのね。それが唯一の救いかな?」有賀が遠い眼をして言う。「成る程、W有賀の掌で見られてた訳か。何かあるのは察してたけど、クラスの女子全部が関わっていたとはな。そこまでは読んで無かった!」僕が悔しそうに言うと「Y―、過去にここで何があったのよ!」「素直に白状しなさい!」と堀ちゃんとさちが眼を吊り上げて迫って来る。「あの時もそうだが、有賀達は何処まで知ってるんだ?」と僕は2人を差し置いて有賀に聞いた。「9割は知ってるよ!でも、ここで何をしたか?は知らないのよ!Y!時効だから教えてよ!」と有賀も迫って来る。「ここでキスされたのは事実だ。今になって思い出すとは、み仏のお導きだろう。¨忘れるでない¨と言っているのだろうな。有賀、絵里の消息は不明のままか?」「うん、あれこれと調べたけど不明のままよ。何があったのか?五里霧中ってとこ」有賀の表情が曇った。「行方不明の子か」「Y、絵里の事はまだ忘れて無いの?」堀ちゃんとさちも勢いを緩めて聞いて来る。「ここで思い出したって事は偶然じゃ無い。彼女との事は¨今もちゃんと残っている¨様だ。人は忘れる事で前に進めるが、簡単には消せない記憶は折に触れてよみがえるのかもな。特に鮮烈なヤツは尚更かも知れない」僕はゆっくりと歩き出した。この先は東院伽藍だ。あの時から3年、時間は過ぎ去り絵里は行方不明となったが、彼女は確実にここに居たし2人の記憶は、時空間を超えてよみがえった。斑鳩の里には不思議な力がある様だ。「Yー、絵里はあたしとさちのどっちに似てる?」堀ちゃんが突っ込んで来る。「どちらでもない。絵里は絵里だよ。堀ちゃんとさちもしかり。性格もタイプも全然違うよ。そうだよな有賀!」「ええ、全く。変わらないのは、あたしとYだけ。そのあたし達も別々の道を歩んでる。この空の下、絵里も別の道を歩いてるんじゃないかな?」「そうだな、僕達も何れはそれぞれの道を歩んで行く。でも、空はこの星の何処までも続いてる。だから、たまに空を見た時は、お互いに折に触れて思い出せる存在でいたいな!」僕は真っ青な空を見て言った。「うん!」みんなが頷いた。

バスは一路、京都を目指して北上を続ける。車内では、さちがずっと僕の右手を封印し続けている。「さち、痛いよ!」「あっ!ごめん!」さちの爪が右手に食い込んでいた。「思い出に焼きもちか?」「そう!猛烈なヤツ!それと、堀ちゃんに対しても!」さちはすっかりムクレていた。「3年前の話だよ?しかも、相手は行方不明。蒸し返そうとしても、どうにもならない。さち、なーに怒ってるの?」「絵里はともかく、堀ちゃんは目前に居るのよ!むざむざ渡す様な¨トンビに油揚げ¨は絶対にさせないんだから!」さちは僕の右腕を離すまいと必死になった。「堀ちゃんもマジでYの¨独占¨を狙ってるのは、見てれば分かるの!彼女にだけは負けたく無い!Yは優し過ぎるから誰でも受け入れちゃう。だから、こうして離さないで居ないと¨拐われる¨危険性が高いの!あたしは、それが何よりも嫌なの!」さちが珍しく感情を表に出して言う。「さち、堀ちゃんが怖いのかい?」「うん、一番怖い!Yの争奪戦は、堀ちゃんとの勝負だもの。是が非でも負けられないの!こうなったら、あたしも手を選んでは居られないわ!」さちは僕の右手を自らの胸元へ押し付けた。制服の上からも柔らかな弾力が感じられる程、さちの胸は大きく暖かい。「どう?堀ちゃんのとは違うでしょ!」さちが真面目に聞いて来る。「さち、反則だよ!」「もう、手段は選ばないから。Yはあたしだけのモノだもん!堀ちゃんには手出しさせないから!」さちは意地になった。そこへ松田が来た。「参謀長、堀川をモデルに作品を撮りたいんだが、いいかな?」松田は写真部に在籍するカメラマンである。「本人が受け入れるなら異存は無いが、何でこっちへ話を持って来るんだ?」松田に問いただすと「竹内に¨許可を取れ¨って釘を刺されてさ。¨保護者の許可は得て置く¨のは当然だろう?」「誰が決めたんだよ?暗黙の了解か?」僕が呆れて返すと「そうらしいが、堀川がOKすればいいよな?」「お前さんの腕を存分に振るえばいい。作品の公開を楽しみに待ってるよ!」僕は松田に許可を出した。松田は早速、堀ちゃんと交渉を始めた。「Y、堀ちゃんの撮影許可を出して、どうするつもり?」さちが小声で聞いて来る。「少しでも目先を逸らすため!“脱走”するには、それなりの手は打って置かないと騒がれたらオシマイだろう?松田は堀ちゃんと中学で同じクラスだったはずだから、警戒される心配も低いしアイツなら堀ちゃんを“釘付け”にするには、うってつけの人材だからさ!」僕も小声で返した。松田の作品は秀逸で、彼に撮って欲しいと思っている女子は多かった。案の定、堀ちゃんは松田の誘いに乗った。作品の中で“気に入ったモノ”はパネルにして贈呈する事も決まった様だった。「はい、よし、よし、よし!これで危険度は半分に下がった!後は今晩にするか?明日にするか?の2択になったよ。さち、どっちにするんだ?」僕はさちの耳元で囁く。「宿泊先の偵察の結果を待たないと無理でしょ?」さちは言うが「今回の宿泊先は、僕にとっては3年前と同じなんだよ!多少のセキュリティの強化はあるだろうが、全く知らない訳じゃ無い!抜け出すとしたら、経路と時間を決めさえすれば、後は決行あるのみさ!」と笑って返した。「Y、それじゃあ、今晩決行しようよ!早めに仕掛けるのは筋じゃない?」さちはたちまち笑顔を取り戻した。「了解だ!明日の“自由行動”の打ち合わせが終わったら出よう!さち、遅れるなよ!」「うん!」さちは僕の右腕をしっかりと抱え込んで答えた。3年前は“緊急事態”に対処するために策を巡らせて先生を連れ戻したが、今回は僕等のために策を巡らせるのだ。夜道を歩くのは危険もあるが、それ以上に得られるものは大きいはずだ。“やはり、さちが居てくれなくてはダメだ!”僕の心はさちに傾いた。さて、今晩はどうなるのか?2~3確認する項目はあるが、大体のメドは付けてある。けれど、実際に決行しようとした際、僕等は思わぬ事態に遭遇する事になる。“想定外の事態”は襲って来たのである。

life 人生雑記帳 - 28

2019年05月22日 19時53分25秒 | 日記
「うん!味噌の味がするね!」堀ちゃんが笑う。善光寺の門前でベンチに腰掛けて2人して“味噌ソフトクリーム”をなめている僕達。散々悩んだ挙句、長野市まで“遠征デート”を設定したのは“見咎められる心配が無い”事に尽きた。「そうだね、この辺だと絶対に誰かと鉢合わせになるものね!」電話口で堀ちゃんも同意して、日時と乗る電車を決めて電話を終えたのが2日前だった。6両編成の4両目で待ち合わせたが、堀ちゃんは素足にかかとの高いサンダル、淡いグリーンのミニスカート、白いノースリーブで乗り込んで来た。素肌が眩しかった。心なしか露出が多いのは夏だからだろうか。電車内ではさすがにキスはしなかったが、手を繋いでお喋りに花が咲いた。明科~西条間で山中に電車が止まると「Y、ここ駅じゃないけど何?」と聞いて来た。「“信号場”だよ。この先では、電車のすれ違いが出来る駅は無い。ここで特急や反対方向の普通列車とすれ違うのさ。何もないけど、重要な場所なのさ」と言って教えてあげる。姨捨駅では15分の停車時間が告げられた。「堀ちゃん、降りて見るかい?面白いモノが見られるよ」と言って外へ連れ出すと「えー!行き止まりじゃない!どう言うことなの?!」と腰を抜かしそうになる。「“スイッチバック”の名残だよ。物凄い上り坂だから、一度ここへ入ってから前進するしか無いんだ。昔は蒸気機関車だったから、一定の勾配を超えると止まっちゃったらスリップして進めなくなった。だから、一度バックしてから勢いを付ける必要があった。今は電車だからそんな心配も必要なくなったけど、さっきの信号場と同じくすれ違うために敢えて残してあるのさ。帰りは一度バックするから見て置くといい」と言って教えてあげる。「そう言えば、この“クモハ”とか“モハ”って意味があるの?」と彼女は電車の側面を指して言う。「あるんだよ。“ク”は運転台、すなわち運転席がありますって意味。“モ”はモーターが付いてますって事、“ハ”は普通席って意味。明治の頃に“一等車”“二等車”“三等車”を“イ”“ロ”“ハ”で区別したのが始まりでね、“イ”は消滅したけど“ロ”はグリーン車として“ハ”は普通席車として残った。“クモハ”は“運転席がある、モーターが付いた普通席車”って意味になる。“サロ”は中間付随グリーン車って意味になるんだ」と教えると堀ちゃんは「この頭の中はどうなってるの?コードやコネクターの類は見当たらないけどさ!」と言って僕の頭を調べ始める。「サイボーグじゃないよ!」と言って逃げ回るが「各教科の知識に智謀と謀略、その他雑学がどうやって格納されてるのよ?コンピューターが入ってないの?」と笑いながら僕の腕を掴むと座席へ引っ張り込む。「至って普通の脳味噌です!」と真面目に返すと「勿論、男と女が何をするかも知ってるよね?」と言ってミニスカを自らめくって下着を一瞬見せる。「堀ちゃん!反則だよー」と言うが「上もお揃いの色だよ。ホテルへ行ってから見せてあげるね!」と言って誘いにかかる。「これで我慢してよ!」と言って僕が堀ちゃんの頬にキスをすると。「うん、初めてYからしてくれたね!」と言い堀ちゃんも僕の頬にキスを返した。そうしている内に電車は発車して一路長野駅へ向けて走り出したのだった。

今回の“遠征デート”ではあるルールを事前に決めてあった。それは“割り勘で行こう”と言うモノだった。2人共予算は限られているし大きな買い物をする予定もないが、片方に過大な負担を強いるのは“止めようね”と取り決めたのだ。長野駅から善光寺まではタクシーで行ったが、キッチリと割り勘にした。ソフトクリームを食べ終わると、いよいよ拝観のために境内へ入った。「小学校以来だけど、やっぱり大きいね!」「ああ、あの時より僕等も背は伸びたけど、圧倒されるな!」本堂を見上げて2人して感慨に浸る。お賽銭を入れて手を合わせて願い事を心の中で反芻して見る。「Y、何をお願いしたの?」堀ちゃんが聞いて来るが「それは言ったらダメだろう?秘密だよ!さて、下はどうする?」本堂の下は暗い回廊になっていて、その中心にある鍵に触れればご利益があるとさけていた。「あたし、暗いとこ苦手だからどうしよう?」堀ちゃんは悩みだす。「えーい、Yと手を繋いで行くからチャレンジしよう!怖かったら抱き寄せてもらえるし!」堀ちゃんが腹を括ったので、下回廊へと入った。遥か昔もやったはずだが、予想以上に暗いので堀ちゃんは僕の腕にしがみ付いてキャーキャーと悲鳴を上げる。「あった!堀ちゃんここにあるよ!」僕が鍵を探し当てると彼女にも触れさせる。「ふー、目的達成!Yといつまでも仲良く居られますように!」彼女は口に出して願をかけた。どうにか外へ這い出すと、お守りを買いに売り場を目指す。地面にたむろしている鳩を蹴散らすと、2人してお守りの吟味に入る。お揃いのお守りを1つ、そして“恋愛成就”のお守りを1つ揃えて買った。「これ、秘密の場所に隠して置いてね!Yとあたしだけの秘密の約束だから!」堀ちゃんは嬉しそうに言ってポーチにしまい込んだ。駅前にタクシーで舞い戻ると堀ちゃんは東急百貨店へ僕を引っ張って行った。目的は水着売り場と下着売り場だ。「どう?これなんか似合うと思わない?」男性にとってはどちらも“気恥ずかしい”場だが、堀ちゃんは一切気にしない。あれこれと見て回っては「似合うかな?」と聞いて来る。彼女の好みはレースが付いた可愛らしいモノが多かった。化粧品売り場へ降りと来ると、僕はようやく一息付く事が出来た。堀ちゃんは相変わらす品物の吟味に余念がない。「ブランドにもよるだろうけど、値段は上を見たら切りがないね」と言うと「そう、あたしが使ってるのは安いヤツだから、大人の女性達が愛用してるファンデやルージュは桁が違うのよ。でも、こう言う色なんかは使って見たいな!」桜色のルージュに見入る彼女の横顔は少し大人びて見えた。お昼はファミレスに入って非日常的な気分に浸りつつも、色々と話し込み愉しく過ごした。だが、時間はあっと言う間に帰りの時刻に近づいた。駅のホームで帰りの電車を待っていると「“あさま”は“あずさ”と色違いなだけなの?顔つきはそっくりじゃない?」と聞いて来る。「“あずさ”は183系、“あさま”は189系だよ。一見するとそっくりに見えるが、1つ大きな違いがある。先頭車両のスカートの部分に銀色の大きなソケットみたいなヤツが付いてるだろう?横川~軽井沢間の急こう配区間を通るには、専用の電気機関車が補助に付くんだよ。下りは“押して”上りは“ブレーキ”の役目を担う。普通列車にも同じ物が付いて居ないと横川~軽井沢間は走れないんだ!」「じゃあ“しなの”は何が違うのよ?」堀ちゃんは別のホームを指して聞いて来る。「“振り子電車”である381系は、カーブで車体を遠心力で傾けて走る様に作られてる。知らないで乗って窓の外を見ると眼を回すヤツが続出するよ。電柱が明後日の方向に傾いて見えるんだから当然なんだけど、カーブでも速度を落とさずに走り抜けるために重心を下げる工夫もしてある。エアコンの室外機は屋根の上に載せるのが普通だけど、381系は全部床下へ押し込んであるから、パンタグラフしか付いていない。後、1両の当たりの長さも“あずさ”や“あさま”よりも長いんだ!」僕が説明すると「へー、そう言われれば違いはあるね。それとさっきからガラガラとやかましいヤツは何?」堀ちゃんが別のホームを指した。「飯山線の“気動車”だよ。ディーゼルエンジンで走る列車さ!」「電車が走れないの?」「豪雪地帯だからな。架線が切れたらオシマイだし、トンネルの断面積も狭いから無理をしなかったんだよ。篠ノ井線も中央線も電車を走らせるために“盤下げ”って言ってトンネルの地面を掘り下げて架線を通す工事をやってる。だから、冠着トンネルや笹子トンネンは天井も側面もギリギリを走ってる。それ以外の区間は電柱を立てればいいから、何もしてないけどね」「ディーゼルエンジンで走るって事は運転するのにギアチェンジするんでしょ?」「当り!1速しか無いけど変速はしてますよ!」「1速しか無かったら後はどうするのよ?」「“直結”って言ってギアを介さないでエンジンの回転を直接繋げて走る。ここから先は難しくなるから説明は省くけど、乗って見ると分かるが場所によっては、自転車に負けるよ!」僕は笑いながら言った。「列車が自転車に負けるの?!どう言う事?」「坂道に行けば重たいから中々前に進めない。勾配の差にもよるが、スピードが落ちるのは当然だよ。姨捨あたりに“気動車”で乗り込んだらダイヤはメチャクチャに遅れるだろうな!」などと話していると折り返しの普通電車が到着した。車内点検を待ってから、乗り込んでボックス席を占領すると、「違う街に来るといつもと違うから面白いね!駅に居ても退屈しないのは、Yが色々と解説してくれるから飽きないし今度また来ようよ!」堀ちゃんがおねだりに走る。「ああ、秋になったらまた来よう。今度は紅葉を見に来ればいい!」と言って納得させる。帰りの車内では、はしゃぎ疲れた堀ちゃんの肩を抱いた。彼女は安心しきって眠っていた。辰野駅を出た頃、僕は優しく堀ちゃんを起こしてあげた。「ごめん!すっかり寝入っちゃった。Yの横だから安心して眠れた。そろそろお別れだね。今日の事は2人だけの秘密だよ!」堀ちゃんは僕の口に指を当てて、悪戯ぼっく笑う。「ああ、内緒の話がまた増えたな」と言うと立ち上がって出口付近に移動した。「じゃあ、休み明けに!」彼女は満面の笑顔を振り撒くとホームへ降り立った。発車のベルが鳴る。「Y!あたし、絶対に離れないから!」ベルに負けまいと堀ちゃんが言った。「ああ、付いて来いよ!」と返すとドアが閉まった。走り出した電車を堀ちゃんは少し追いかけて来て手を振った。僕の夏の1コマがまた増えた日だった。

それから2日後、今度は道子から電話でSOSが入った。「Y-、助けてくれないかな?世界史で曖昧な部分があって困ってるのよ。講義お願いしてもいい?」「そりゃ構わないがどこでやるんだ?」「それは、当日のお愉しみと言う事で内緒!さちと雪枝も来るから、準備して置いて。“節度使”と“五代十国”と“文治主義政策”の辺りでお願い!」「ああ、分かった。いつにするんだ?」「明後日の午前8時の電車で茅野駅に来て!同じ電車にさちと雪枝も乗って来る予定にしとくから」「あいよ、唐の終焉から北宋の辺りだな。ここはゴタゴタが多いし理解しにくい場面だ。用意して置くよ」「ごめんね。お返しは数学と英語の宿題で相殺するから、協力してよ!」「あー、助かる。一番苦戦してる範囲だからな。じゃあ、明後日に」僕は電話を切ると早速、教科書を開いた。たった数行の範囲だが、説明は容易ではない。下調べにかかったのは、それから直ぐだった。

そして、2日後の午前8時。僕は資料を持って電車に乗り込んだ。指定された4両目に揺られて次の駅に着くと、さちと雪枝が乗り込んで来た。「ハーイ!元気だった?」雪枝が言うと2人とハイタッチを交わす。「道子がどこで講義をやるか聞いてる?」と言うと「あたし達も知らないのよ」さちが首を捻る。答えは茅野駅で解けた。「Y-、こっちこっち!」白い車の前で道子が懸命に手を振っていた。運転席から降りて来たのは、彼女のお母さんだった。「ご無沙汰しております」と僕が言うと「Y君、10数年ぶりね。あのころの面影はちゃんと残ってる。やせ細った姿が痛々しかったけれど、丈夫に育ったのね!いつも道子から聞かされてるのよ。“Yがこんな手を繰り出してクラスを救ったの”って自慢するのよ!」「ママ、それはいいから、早く行こうよ!Yに助けてもらわないと宿題が終わらないの!」道子はおかんむりだ。「さあ、乗って!講義会場まで全速前進!」「はい、はい、ちゃんとセッティングも出来てますよ」お母さんの運転する車は市街地を抜けて郊外の住宅地へ向かった。「道子、まさか自宅でやるつもりか?」僕が驚いて聞くと「当たり前じゃん!自主学習なんだから!」と平然と言う。道子の自宅のリビングにはホワイトボードが用意されていた。「板書の代わりよ。書きにくいのは許してね!」と言う。紅茶も運ばれて来て準備も整った。「Y、それじゃあ宜しく!」道子が開講を告げた。「それでは、始めよう。唐の終焉から北宋の誕生までをプロットするよ。教科書では数行しか記載が無いが、子細に調べると意外に面白しい話になる。キーワードは“節度使”と“五代十国”と“文治主義政策”だ。多少前後するのはお許し願いたい。唐が滅亡した後、宋による統一までの約半世紀を“五代十国”と呼ぶ。5つの王朝が目まぐるしく交替したのは、いわゆる中原に措いての事で、その5つの王朝はいずれも全国的な政権にはなれなかった。中原以外の地方は主に唐末期の“節度使”が割拠した国になり、その数はほぼ10を数える。中原による五代と地方に措ける10国とが併存していた時代だった。“後梁”“後唐”“後晋”“後漢”“後周”の5つの王朝はいずれも短命に終わったが、“前蜀”“後蜀”“淮南”“南唐”“南平”“呉越”“閩”“楚”“南漢”“北漢”は宋に滅ぼされるまで続いたものもある。北方では、契丹族の王朝“遼”が強勢となり、北京辺りまで南下して支配地を拡大させていたし、後に西方に“西夏”も誕生する。宋の周辺は以外にゴチャゴチャしていて分かりにくいが、北に“遼”があり、西には“西夏”が存在した。これらの両国と宋は“平和をお金で贖う”関係になるんだが、経済的には唐より宋の方が断然活力があった事は間違いない。では、宋の誕生を見て行こう。太祖趙匡胤はお酒が好きで磊落な性格だったため、部下にも慕われていた。軍隊に生まれ、育ち、成長しているから“後周”の軍部の中に豊かな人脈を持っていた。この時代は軍隊が節度使を追放したり、自分達で擁立したりしている。軍事も民政も兼ねるのだから節度使は小皇帝で、五代の皇帝はほぼ節度使出身だ。だから軍隊が皇帝を擁立するのはこの時代では異常な事では無かった。太祖を擁立したのは弟の趙匡義やその部下達だった。もちろん数人の意思では重要な事は決められない。彼らが懸命に根回しをしたのは言うまでもない。けれどもう1つ重要なのは“人気”が無ければならないと言う事実だ。太祖は剛腹で頼もしい武将だった。軍隊は、有能な指揮官に率いられてこそ勝てるし、手柄を立てて恩賞を得ることが出来る。どれだけ懸命に擁立運動をしても周囲が納得する要素がなくては無理だ。太祖趙匡胤にはそれが充分にあった。西暦960年の正月に、“北漢”と“遼”の連合軍が国境を侵犯したので、“後周”の近衛軍に動員令が下された。“後周”では近衛軍の強化に努めていたんだが、その背景には節度使の自立性の強さがあった。地方を弱めるには限界があるし、構造的な懸案でもあった。近衛軍の強化は節度使に対抗するには絶対的に必要だったんだ。“後周”でその指揮を執ったのが他ならぬ趙匡胤その人だった。北方国境へ向かう軍隊は次々と国都を出て1日行程の陳橋という宿場に泊まった。その夜も趙匡胤は大酒を飲んで寝ていた。そこへ将兵たちが白刃を手にして擁立を謀ったんだ。弟の趙匡義が擁立の事を告げると、ろれつの回らない口で固辞したんだが、軍幹部たちが白刃を手にして外に並んで“趙匡胤を皇帝とする”と迫った。彼が答える前に黄袍、つまり皇帝が着る服だけどを被せて“万歳”を叫んだ。酔って意識も朦朧とする中、趙匡胤は皇帝にされたんだよ。あまり説得力は無いけれど、将兵たちは衝動的に擁立を謀った訳では無いんだ。黄袍は皇帝しか着用出来ない服だから、そこら辺の店で簡単に買えるものじゃ無い。後世の歴史家も「その黄袍はどこで手に入れたのか?」って皮肉っているが、そんなものまで用意しているからには周到に準備された擁立運動だったのは確かだろう。そして、軍と密着しているはずの本人、趙匡胤が知らないはずが無い。素知らぬふりをして大酒をのんで待っていたのだろう。自らが動くのではなく“勝手に担がれた”と言う構図が必要だったのかも知れない。そうする事で、趙匡胤は思うがままに国造りに入りたかったとも言える。こうして宋は生まれた。そして、太祖趙匡胤の身上は、意外にも“談合”なんだよ。じっくりと説得してから実行に移す。そして、後の面倒見もいい事も彼の特徴だろう。“談合”の成果として2つ程上げるけど、1つは近衛軍の指揮権の零細化だ。近衛軍の強大な指揮権を背景にして皇帝の地位に即いたのだから、同じような事が起こらない様に“大将”と“中将”の地位を廃止してしまったんだ。最高軍官が“少将”になってしまったのだから、僅かな部隊しか指揮できない。上は皇帝だから、“大将”と“中将”を皇帝が兼務する事になった。こうする事で大軍を指揮できるのは皇帝のみとすることで、反乱の芽を摘んでしまったのさ。節度使についても、急に廃止するのではなくじわじわと権限を削って、最後には“名誉職”にしてしまった。それも頭ごなしでは無く話し合いを繰り返している。まず、節度使が派遣していた“鎮将”を中央から派遣した“県尉”に換わらせた。元々は“県尉”の仕事として警察業務があったのを元に戻したんだ。これで1つ節度使の力を削いだ。次は節度使を頻繁に“転任”させた。土着勢力との結びつきを絶つ事で居座らせないようにしたんだ。これも国都へ呼んで直々に説得してやっている。“不満はあるが、皇帝がわざわざ頼むから、顔を立ててやるか”って気持ちになるのさ。軍隊からも優秀な兵士は中央へ引き抜いて弱体化を進めた。やがて既成事実が趙匡胤の有利な様に積上げられると、節度使の部下達はみんな中央から送られて中央の意思を執行する様なになった。節度使が持っていた租税や塩税の徴収権も“転運使”に置き換えられると加速度的に節度使は解体された。武将が民政長官を兼ねる事自体が異常な職だったんだ。こうして節度使は無用の長物化されて名誉職になった。退役間近の軍人に花道として節度使の称号を授ける。名誉の称号としてはふさわしい残光はあったからね。民政を文官の手に戻す。五代からの武家政治を文官政治に変えるのが宋がめざした方向だった。そのためには大量の文官を必要とするよね。隋から始まった科挙が本格的に力を発揮したのが宋からだった。科挙に及第して進士になれば、官界への進出を阻む勢力は宋代には無くなっていた。それまでの貴族階級は没落して、門閥自体も消滅していた。経済活動が盛んになり、商工業も発達し始めると余裕がある階層が生まれ、彼らが科挙に挑戦するのが普通の事になった。“市民興隆時代”と言ってもいい時代になったのさ。武官職が兼ねていたものを文官職に置き換える。これが“文治主義政策”の内幕だよ。やがてはこの“文治主義政策”が行き過ぎて別の問題も出ては来るが、それはまた次の機会に話そう。では、質問のある方はどうぞ!」「“石刻遺訓”には何が刻まれていました?」道子のお母さんが手を挙げた。「西暦1127年、金軍が国都開封を蹂躙した際、宮殿も破壊されて初めて“石刻遺訓”が明るみに出たと言われています。太祖趙匡胤の遺訓は2つ、“後周王室柴氏”の面倒をいつまでも見ること”“士大夫を言論を理由として殺してはならない”即位後の秘儀としてこれを見た諸帝はこれを厳守したそうです。金に追われて南に移った後も柴氏への祭祀を絶やさなかった事。政争がどんなに熾烈でも敗れた側が左遷、流罪になる程度だったのは奇跡と言うべきです」「さすが、お見事でした!さあ、一息入れましょう!」道子のお母さんが拍手をすると、お菓子を山盛りにした器を持って来てくれた。「お母さん!“石刻遺訓”なんて教科書にも載ってないよ!Yだから答えられた様なものだけど、ちょっとズルくない?」道子が口を尖らせる。「小学校1年生で百科事典に取り組んでたY君だもの。ちょっとテストしてもいいじゃない!噂に違わぬ広い視点に感服しました!」お母さんはニコニコして言う。「半分は趣味の世界ですから」と言って紅茶をいただく。お母さんは台所へ戻って行った。「軍人が民政も兼ねるなんて、なんか植民地の総督みたいだね」雪枝が言うと「それが各地に割拠してたんだから、唐の末期なんて1つの地方政権になってる訳だ!」さちも言う。「去年のあたし達のクラスを思い出すね。分裂してたのを統一したのは、みんなが結束する“事件”が続いてあったからだなんて皮肉よね」「けれど、それを逆手に取ったからこそ今がある。歴史は繰り返すって言うが、クラスを割る様な真似はさせられないよな」僕もしみじみと言った。「Y、講義ご苦労様。数行の文章をここまで広げて聞かせてくれるのは、Yの真骨頂だね!」道子が僕の頭を撫でる。「“石刻遺訓”なんて良く答えられたね!あたし達は初耳だけど、Yは調べてあったの?」「宋代までを通して学ぶのが、江戸時代の武士の習わしだからね。“十八史略”は必読書とされたから、割と掘り下げて調べてあるのさ。江戸時代の武士を知るには彼らの学びからアプローチする手もある。日本史にも通じることだからね。特に中国史は密接なかかわりがあるし」「Yの頭はコンピューター回路で組み上げてない?定期的にデーターを送ってるとかさ」雪枝が悪乗りを始める。「この中身はみんなと同じだよ!」僕は自ら頭を叩いて反論する。「ふむ、ネジの類は皮膚で隠しておるな!」さちも悪乗りに入る。「サイボーグではありませんから!」「どこかを押せば“ビーム”が出るかもね。道子のウチを破壊するでないぞ!」さちはニヤケて首筋やこめかみの辺りを突っつく。こうなると始末が大変だ。「さて、次は抜き打ちで“武田信玄”の講義をお願いしようかな?Y、行ける?」「うーん、何とかまとめられそう。本当にやるのかい?」「勿論!せっかく連行したんだから、徹底的に行くわよ!」道子は手綱を緩める気配は無さそうだ。「ここは信玄とゆかりが深い。多少は逸れるかも知れないが、やってみましょう。ボートを裏返してもいいかい?」「OK、準備が出来たら始めて!」思わぬ展開だが、僕は信玄について話始めた。結局はお昼を挟んでの大講義になったが、何とか切り抜けた。道子の家を後にしたのは午後4時を回っていた。

「Y-、無事に帰り付いた?」電話口で道子が問う。「ああ、今着いたところだよ。悪かったな。すっかりご馳走になっちゃって」「いいえ、熱の入った講義をありがとねー。ママもね“Yの生き生きした姿が見られてホッとした”って。何しろ昔の大病を見てるでしょう?ママも半信半疑だったのは事実なのよ。それが、あたし達を教える側で、あの大熱演だもの。“これで安心した”って言うのが本音なのよ。だって、15歳まで持つか分からなかったでしょう?」「確かに。もうそのラインは超えてるからな。とにかく、しぶとく生き抜いてやるよ!」「ママにそう伝えとくね。新学期、また元気に会おうよ!次は修学旅行が待ってるからさ!」「おう!それ、それ!今年最大の“難関”だからな。赤坂がダウンしたら、指揮権を引継いで統率を執らなきゃならない」「そのためにもしっかりと“充電”しといてよね!」「分かった。じゃあ、またな!」と言って電話を切ると、郵便物に眼を通しながら自室へ向かう。「あれ?これ、誰だ?」差出人不記載の封筒が混じり込んでいた。宛名は間違いなく僕だ。パステル調の鮮やかな封筒は誰が寄越したのだろう?とにかく開けて見るしか無さそうだった。封を切ろうとペーパーナイフを手にした時、電話が鳴った。僕が取ると西岡からだった。「夜分に済みません。参謀長、差出人不記載の郵便物は届いていませんか?」「君は“千里眼”の能力も備わっているのか?確かに手元にあるが、それがどうした?」「開封してはダメです!そのまま、新学期にあたしに手渡して下さい!“戻れない道”へあなたを送る訳には行きません!」「どう言う事だ?」「反勢力の罠です!名義は上田ですが、それは擬装なんです!かつて、赤坂君が落ちた罠と同じ仕掛けです!」「と言う事は、3期生の不穏分子が画策したと言う事か?」「そうです。あたし達の手元にも全く同じものが届いています!とにかくそのままで保管して無視して下さい!」西岡は必死に訴えて来る。「誰だ?この手を使うのは“悪魔に魅入られた彼女”しかおらんが・・・、まさか?!」にわかには信じられなかったが、背筋が凍った。「菊地の逆襲なのか?」「まだ、確証はありませんが、可能性はあります!」西岡の声は地獄の底から聴こえて来る様に思えた。