limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

巻き返しではなく「恥の上塗り」

2017年02月27日 14時02分48秒 | 日記
サムスン電子は27日「スマートフォンの新製品を3月29日に公開する」と発表した。詳細は明らかにされてはいないが、次期戦略商品の「ギャラクシーS8」と見られている。サムスンの「ギャラクシーシリーズ」と言えば、昨年8月に米韓で発煙・発火事故を起こし、製造販売の中止に追い込まれた「ギャラクシー ノート7」を思い出すが、今回はどうなるのか?「従来のスマホの概念を塗り変える」と言われるモノらしいが、既に「ギャラクシー効果」と言われた「新製品神通力」は失墜している。「ノート7」で発煙・発火を経験したユーザーは、まず「サムスン」ブランドは買わないだろう。新製品の「S8」にしても「どこまで事前に検証しているのか?」は、五里霧中だし、何より「今度こそ発煙・発火しないのか?」と言う疑問が付きまとう。以前にも記したことだが、携帯・スマホの必要電力はユーザーの使い方によって変化はあるものの、確実に増えている。しかも、デザインや防水機能などの「必須性能」の数も数段高くなっており、リチウムイオン充電池の性能は「小型・軽量・小容積」を求められつつ「大電流」の供給を「より長い時間」に渡って求められると言う過酷なものになっている。限られたスペースに高密度に実装しなくてはならず、更には「落下・水没・雑電波対策」など様々なテストを「完璧にクリア」しなくてはならない。ソフトの「バグ」はバージョンアップで対応できるが、発煙・発火といった「ダメージコントロール」については、試作を重ねながら丹念に「潰していく」しかない。「ノート7」で発煙・発火が起こった一因は、根本的な「試作検証」が疎かにされ「いじめテスト」と呼ばれる「破壊検証」も充分ではなかった事に起因している。あれから半年あまりでの新製品「S8」を発売するのだから、果たして「どこまで保証されているのか?」を疑ってかかるのは当然だ。モデルサイクルの早い商品だけに「限られた時間」で、ありとあらゆるテストをクリアするには、相当の人員と体制が必要だ。「ノート7」では結局のところ、リチウムイオン充電池について「何も見てませんでした」とサムスンが認めたが、今度の「S8」もまったく「同じ過ち」を繰り返すのではないだろうか?半年で別のサプライヤーから、リチウムイオン充電池を調達するのは「不可能」に近い。今回も「中国製」である可能性はゼロではなく、むしろまた同じ相手から供給を受けていると思う。そうなれば、またしても「発煙・発火」に気を付けなくてはならないし、加えて「爆発」の危険すら潜んでいることになる。「ノート7」で地に墜ちたサムスンブランドが「S8」でV字回復するとは考えられない。「ノート7」の事故以降、ド腐れ国家そのものに「火が付いた」訳だから、新製品とはいうものの「欠陥品」のレッテルは最初から付いているも同然だ。「ノート7」の恥を「S8」が上塗りする。結局のところ、made in Koreaは「火を噴く」のであろう。当然ながら、買ってはいけない。他人を巻き込む「危機」を持ち歩くことになるからだ。

よく読む雑誌は?

2017年02月27日 11時10分28秒 | 日記
よくコンビニとかで立ち読みするのは、車関係の雑誌です。主に新車の「デザイン」のチェックをしてます。最近の新車は、グローバルデザインが多いですが、あまりにも「日本の原風景」に合わない車も増えてきました。(言っては悪いですが・・・マツダさんは完全に「欧州向け」のデザインですよね。石畳の道にレンガ造りの建物の背景を意識しているとしか思えません)軽自動車は、長さ・高さ・幅が厳密に決められている中で「如何に個性を出すか?」を競っているので、色々な方向性が見えて面白いです。ダイハツさんの「ムーブキャンバス」スズキさんの「アルトラパン」は秀逸なデザインをされていると思いますね。
趣味関係からするとカメラ関係の雑誌もよく見ますね。レンズの性能比較なんか「参考」にして自分の持っているシステムに入れるか入れないかをよく考えています。美容院での待ち時間で必ず見るのは「家電時評」などの雑誌類。そろそろ壊れそうな家電や老朽化している家電の入れ替えに際しての参考にしてます。

プレミアムフライデーについて

2017年02月27日 10時45分20秒 | 日記
どう思う?以前の問題として、土曜日も出勤なので制度自体に関係がありません。明日から、3か月契約で働く会社は週休二日制すら導入してませんからね。中小零細企業では「運が良くて」隔週二日、選択肢が無い場合は、土曜日も「しっかり」出勤ですよ。まずは、完全週休二日制度を「法律で義務付ける」事ですね。企業の規模に関わらず。障害のある私には、雇ってくれる会社そのものが「皆無」に近いので、今回の契約でも「ある内に獲得する」必然性が生まれます。来年度からは、精神障害者も雇用義務の対象になりますが、今年は「義務」が無いので例え3か月でも働けるなら出勤したいです。5月までは「椅子」が約束されていますが、6月からはまた「失業者」へ逆戻り。休日が土日祝の安定した大企業なら、あれやこれやと夢も膨らみますが、週末以外で休まれている方々や、私の様に中小零細の場合は「絵に描いた餅」でしかありません。他日に振り替えて休める早期に退社できるならいいのですが、この制度「大企業優先」にしか思えません。まず、どの様な規模の会社であろうと「完全週休二日制度」の対象として、法でキチント定める必要がありますね。基本、そこから始めないと15時退社なんて夢のまた夢。優遇される人と完全に「圏外の人」との格差を埋めることを願います。

水戸徳川家

2017年02月24日 14時13分09秒 | 日記

藩祖頼房から始まった水戸家の「特例」
水戸徳川家は、慶長14(1609)年に家康の11男・頼房が水戸25万石を賜ったときから始まる。水戸家は、他の御三家である尾張家、紀州家と比べ、石高が他2家の半分程度と少なく朝廷から賜る官位も「権中納言・中納言」(尾張家・紀州家は、権大納言・大納言)と一段下であったが、尾張家・紀州家は御三家と言えども参勤交代が必要だったの対して、水戸家は藩主が江戸に常駐する「定府」であり、参勤交代の必要が無いなど御三家の中でも「異色の存在」であった。こうした「独自性」は、藩祖頼房のときに決定付けられた。頼房は幼少時代、兄9男義直(尾張藩祖)10男頼宣(紀州藩祖)とともに家康のいた駿府城で育てられていた。家康はあるとき、3人の幼い息子達に望むものを聞くと、1番年下の頼房が「天下」と答えたことから、「謀反の恐れ有り」として頼房には、兄達の半分程度の所領しか与えなかったといわれている。また、頼房は第3代将軍となる家光と年が1つしか違わなかった(1歳年上)ため、その父・秀忠が「学友」として江戸に留め置かれ、長じてからも家光のよき相談相手となったために、水戸家は代々、参勤交代不要の「定府」とされ、水戸家藩主が「副将軍」と称されることとなった。

「圀(くに)」の字
「恐れ多くも先の副将軍」と言えば、誰でも思いつくのは、2代藩主徳川光圀であろう。「水戸黄門」であまりにもメジャーな藩主ではあるが、お忍びでの全国行脚はしてはいない。だが学問には非常に熱心で、儒教を奨励したほか、歴史書「大日本史」の編纂を行い、尊王思想が育つ土壌を作り上げるとともに、水戸家独自に形成された「水戸学」の基礎を作った。この「水戸学」は幕末の尊皇攘夷思想に多大な影響を与えることとなる。寛永13(1636)年に元服し、将軍家光の諱(いみな)を与えられて「光国」と名を改めているが、延宝7(1679)年に「光圀」と改名している。(光圀52歳)しかし、天和3(1683)年との説もある。しかしながら、何故「圀」の字を用いたのかは不明である。この「圀」の字は、中国唐王朝の武則天(則天武后)が命じて作らせた「則天文字」の一字であり、他にほとんど用例が見られない「特殊な例」である。「則天文字」は、約20字がつくられているが、武則天の退位と共に廃されたのだが、「圀」の字だけは何故か生き残り、時を経て光圀公の名前に使われることとなった。(則天文字は17文字が中国で確認されている)

光圀公が初
学者肌で非常に好奇心が強かった「水戸光圀」。様々な逸話も残っている。
・日本の歴史上、初めて光圀が食べたとされるものには「ラーメン」「餃子」「チーズ」「牛
乳酒」「黒豆納豆」がある。
・肉食が忌避されていたこの時代に、5代将軍綱吉の「生類憐みの令」を無視して「牛肉」
 「豚肉」「羊肉」などを食べていた。
・オランダ製の靴下、いわゆるメリヤス足袋(日本最古)を履いたり、ワインを愛飲して
いた。朝鮮人参やインコを取り寄せて、育てたりもしている。
・鮭も好物で、特にカマとハラスと皮を好んで食べていた。
・中国人が献上した中華麺を元に、麺の作り方や味のつけ方を教えてもらい、自身の「特
技」として「うどん」を作っていた。汁のダシは長崎から取り寄せた乾燥豚肉をつかい
薬味としてニラ・ラッキョウ・ネギ・ニンニク・ハジカミの五辛を使い、現在でいう「ラ
ーメン」であった。

黄門様は7人いた?!
「水戸黄門」とは、水戸藩主で権中納言・中納言に任命された「水戸中納言」の唐名(漢風名称)である。一般的には「水戸黄門」と言えば光圀のことを指すが、水戸藩主で権中納言・中納言に任命されたのは藩祖頼房、光圀、綱條、治保、斉脩、斉昭、慶篤であるため、「水戸黄門は7人いた」ということになる。

水戸徳川家の藩主の帰国は、申し出によるものであった。慢性的な藩財政の悪化もあり、江戸中・後期の藩主はほとんど帰国しなかった。光圀は藩主時代計11回帰国しており、歴代藩主の中では最多である。また歴代藩主唯一の水戸生まれであり、誕生から江戸へ出るまでの5年間と、隠居してから没するまでの10年間を水戸藩領内で過ごしている。そのため光圀縁の史跡は後の藩主に比べると格段に多いことも特徴である。

富士山の日

2017年02月23日 08時39分01秒 | 日記
本日は、語呂合わせで ”富士山の日”だと言う。私の居住地長野県では、高い所から大抵の場合富士山の姿を捉えることは、比較的に容易である。”富士見”と言う地名や説明があれば、そこからは、確実に富士山が見えることを意味する。標高が高く、見通しが効くのも一因だが、すぐ隣が山梨県なので、少し足を伸ばせば四季折々の風景を楽しむことも苦にならない。長野県に
とっては、富士山は身近な存在である。富士山が見える”北限”は、福島県であるそうでかなり厳しい条件下に限られるようだ。”南限”は和歌山県。ここも、厳しい条件下に限られるようだ。見えるといっても、山頂部分だけだが気象条件や天候にも左右されるだけに、実際に確認出来た時の達成感は、ひとしおだろう。それだけ、富士山の存在は大きいのだ。

富士山は、写真の対象としても”飽きない”被写体である。しかし、最近困っている人々も多いようだ。中国人観光客の”度を超えた迷惑行為”の脅威だ。忍野八海でのコインの投げ込みや、民家への進入。あの手この手で対抗しても、数の論理で泣きを見る方々もあまたおられるのではあるまいか?彼らには”日本の論理”に従う義務がある。本国の論理は通じない事を教えなくてはなるまい。外務大臣や観光庁長官がちゃんと仕事をしないから、こう言った問題がいつまでたっても治らないのだ。これから春を迎え、益々中国人観光客の脅威は増えるだろう。大切な富士山とその周辺を荒されないように、関係各省庁がしっかりと連携して不法行為を取り締まることを望む。