limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

ミスターDB 25

2018年06月24日 23時16分54秒 | 日記
Kが自滅し、DBは「遠流」となった事は、私の治療進行にとって大きなプラスをもたらした。無論、私は退院してからこうした「事実」を知らされたのだが、DBについて「もう一つのエピソード」がある。Y副社長は、DBに「3日以内に韓国へ赴任せよ!」と厳命した。DBは必要最低限の私物以外は身辺に持っていなかったが、それでも荷作りには時間は必要だ。DBが持てない荷物や実家からの「追加荷物」は横浜から追いかけで空輸する事になったのだが、Y副社長は「荷物検査」を敢えて部下に命じた。すると大量の「電話帳」が段ボール箱に2つ詰め込んだ状態で発見されたと言う。しかも「びっしりと付箋が貼ってあった」のだ。当然の事ながら医療機関のページにのみだ。Y副社長は、この報告を受けて「電話帳は横浜に留めて証拠写真を撮り、速やかに廃棄せよ。実家からの荷物も徹底的に調べ上げ、電話番号が書いてある物は全て廃棄とせよ!」と命じたと言う。つまり、DBは「私の入院先」を陰で執念深く追いかけていたのだ。もし、ミスターJの「目くらまし」が無ければ、DBは私の所在を突き止めて「捕縛」するつもりだったに違いない。例え、韓国へ遠流されても「電話帳さえあれば、何とかなる」と考えていただろうが、Y副社長は甘くはなかった。実家からの荷物の中からも、DBの手帳が発見されたが、廃棄処分になった。目も耳も塞がれ、韓国でも「監視の目」に曝されたDBは、帰国の日を夢見て異国の地でため息をついていたようだ。帰国は年に1回、正月の3日のみ。ついにDBも「私の捕縛」を諦めざるを得なかった。Kに続いてDBも矢継ぎ早に封じ込められたのである。
韓国でのDBの役目は「品質向上」の一言に尽きていた。その為にY副社長は「韓国内に限り、あらゆる権限」をDBに与えた。詰まる所「あらゆる手を講じて品質を向上させよ!」との御意であったのだ。だが、DBには「致命的な弱点」があった。「PCが使えない」のだ。韓国へ赴任して早々にDBは「自分のデスク」を見て、暗澹たるため息を漏らしたと言う。最新のノートパソコンが、レーザープリンターが「鎮座」していて、それらはLANで日本とも繋がっていたからだ。「パソコンなど何の役に立っていると言うのか?」それがDBの持論であった。「メール」などは「無用の長物」と豪語して、時代遅れの「ワープロ」にしがみついていたDB。無論、Officeソフトなど「操作した事も無い」のだ。
Word、Excel、Outlook、これらが全て「使えない」事は「今更言ってもどうにもならない」し、
骨董品のワープロを使うワケにも行かない。日本との連絡は主に「メール」だったが、これがDBには「チンプンカンプン」だったし、添付ファイルのExcelやWordも「意味不明」で開け方すらわからなかった。DBは当初、こうした事実をひた隠しにして、FAXを多用して誤魔化していたのだが、韓国の通信経費がやおら高騰したために、日本側から追及を受け「メールを使え!」と厳命されて「途方に暮れる」羽目になった。韓国人の手前、こうした「致命的欠陥」が発覚すれば、誰も「言う事を聞かなくなる」恐れもあった。会議での「プレゼン」でもPCは欠かせない。DBは冷汗の連続の中で、PCと格闘するしかなかった。これもY副社長の「飴とムチ」であったのは言うまでもない。PCを「馬鹿呼ばわり」していた本人が「PCに馬鹿にされる」のだから、過酷な仕打ちではある。「ツールを疎かにした報いを受けるがいい」「PCを使える部下を貶めた恥を知るがいい!」Y副社長はそう呟きながらDBの尻に蹴りを入れていたのだろう。実際、通訳の社員や現地役員に「聞きまくって、教えを請い」どうにか使えるようになったのは、1年後であったようだ。「全文が平仮名」のメールを返されたとしたら「アホかと思った」と関係各位は怒り心頭だったし、Excelで分けのわからん「表」を作られて、フリーズするしかなかった日本側の関係者は気の毒だったに違いない。「メール」を送っても「返信が1週間経っても届かない」のでは、果たして「仕事をちゃんとやっているのか?」不安になるのは当然で、出張者に度々説教をされ、溜まった「メールの処理」を監視付きでやるなど、DBにとっては「屈辱」の日々であったようだ。
そして、ようやく、パソコンが使えるようになった頃に、Y副社長はDBに更なる試練を用意していた。「今度、ベトナムに製造拠点を新設する。悪いが、先発部隊の指揮を執ってもらいたい。赴任は来月早々になる。韓国からの直行便で発ってくれたまえ」DBは腰を抜かさんばかりに驚いて「一旦、帰国してからでは」と恐る恐るY副社長に問うたそうだが、「引き継ぎを済ませて、早急に現地へ入って貰いたい。既に生産計画も出来上がっているのだ!」と一蹴され「一刻も早い立ち上げのためだ。キミの手腕に期待する」とトドメを刺されて「ベトナムへの再遠流」は決まったと言う。韓国なら日帰りでの渡航が出来るが、ベトナムでは簡単ではない。こうして「再遠流」が決まったDBは、完全なる「国外追放」へと追いやられたのだった。