limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

下手の横やり-2

2017年02月09日 22時24分20秒 | 日記
昨年、同じポイントからの北アルプスの画像です。

2016年2月8日 松本市中山地区から





























この時期としては異様に少ない残雪量です。1か月後はどうでしょうか?


2016年3月18日 

























かなり少なくなりました。例年だと5月末から6月初旬くらいの感じです。では6月になったらどうなったか?

2016年6月3日






















ほとんど雪は残っていません。記録的な少雪でしたから頂上付近と沢筋にわずかに見られるのみでした。
今年は「しっかりと」降ってくれているので、新緑と残雪の美しい風景が見られるといいです。5月末から梅雨入り前までがお勧めです。興味のある方はぜひお越しください。

ヒューマンドラマ

2017年02月09日 15時31分17秒 | 日記
盤を挟んで「互いの思考力」がぶつかり合う将棋。どんな名手も人間である以上ミスを犯す。しかし、そのミスをも乗り越えて考え抜き、突破口をこじ開けて劇的なドラマを作り合う。それが将棋の醍醐味であり、ヒューマンドラマたる所以である。昨年、将棋ソフトの不正使用疑惑に揺れた将棋界。結果として「不正はなかった」と結論付けられ、関係者の処分なども決まった。だが、釈然としないものも残った。嫌疑をかけられた棋士の立場と、処分の決定までの過程だ。「出場停止」の処分は、本当に妥当だったのか?将棋連盟の立場で考えれば「混乱回避」が最優先だったのだろうが、一人の棋士の「棋士生命」を脅かしてまでやるべきだったのか?曖昧な数名の棋士の訴えを元に、拙速な決断をした代償は軽くはない。棋士達も「疑心暗鬼」を抱えてしまった事は、大きな過ちだったのではないか。また、嫌疑の渦中に立たされた棋士の三浦さんにしても、もっと声を大にして「無実」を訴えてもよかったのではないか?将棋連盟に対して「やってはいません」と正々堂々と渡り合う覚悟が必要だったのではないか?処分に従い、真摯に「沈黙」した事は、要らざる混乱を招かずには済んだが、将棋界全体に対しては疑念を抱かせる一因となってしまったように思えてならない。不正を「していない」のであれば、黙することなく公然と「反論」を突き付けてもよかったと、私は思う。コンピーターソフトと人工知能の発達で、棋士がソフトに負ける時代になり、棋士個人の研究にもパソコンは必須になった。膨大な棋譜のデーターから分析を瞬時に行えるのは、コンピューター抜きでは無理だ。文明の利器の発達は便利さと引き換えに「不正使用」を疑われる諸刃の剣だ。どんな事でもそうだが、便利さの裏側には必ず「落とし穴」が口を開けている。今回の将棋界の事件は、返す返すも残念な結果になった。疑われた側も疑った側も深い傷を負ってしまった。信頼の回復は言うまでもないが、三浦さんが「全身全霊」を傾けた将棋・棋譜を披露することが、再生への第一歩になると思っている。佐藤新会長の元、将棋界が健全な姿に再生する事を強く願わずにはいられない。

通院加療

2017年02月09日 13時53分40秒 | 日記
私は、2週間に1度「通院・加療」を続けながら暮らしている「精神障害者2級」の認定を受けている「障害者」である。見た目は一般の人とさして変わらないが、服薬と通院による加療は欠かせない。今日は、降雪による影響を避けるべく、いつもより1日早い通院になったが、最近の就職活動の疲れを和らげるべく、点滴の量が倍になり処置室での休息も長くなってしまった。看護師さん達も私の顔を診ただけで「体調の良否」が分かるので、ある程度の回復が目に見えて分かるまでは「拘束」を解こうとしない。何しろ「私が最悪の状態で危機に瀕していた頃」を知っている方々ばかりなので、どう誤魔化そうとしても無駄である。「あなた、また何かあったでしょう?!」クリニックへ入るなり処置室へ「強制連行」されてしまうこともままとしてある。
「心に問題がある」と診断されて、もう17年が経過した。服薬と入退院を繰り返した時期はひと昔前になったが、一般的な日常生活と勤務に差し支えが無くなるまでには、随分と長い間「暗中模索」が続いた。インフルエンザなどは「体内に入り込んだウイルス」をやっつければ「完治」となる。特効薬も「タミフル」や「リレンザ」がある。しかし、心の病は「脳内の回路」に問題生じて、様々な症状を併発すると言うもの。特効薬と呼べる薬は「10人10色」になる。私には有効な薬剤でも、Aさんには「合併症」を伴うものだったり、Bさんには劇的に効果があった薬剤でも、私には「強烈な副作用」を伴うものだったりする。心の病に対する薬剤は、膨大に種類があるが、その中から「自分に最適な薬剤の組み合わせ」を見つける作業は、息長く根気強く取り組まなくてはならない。入院中と自宅療養中と社会復帰後でも、薬剤の組み合わせを変えていく必要がある。そうやって日々を積み重ねた17年間であった。私の「予後」については「不変」と言う結論が出ている。残念ながら「完治」は望めないと言う事になる。今後も症状を観察しながら服薬と、通院加療を継続しながら人生を歩むことになる。
何故、こんな人生を歩む事になったのか?「引き金」を引いた上司と会社に怨みは無いのか?入院中に医学生や看護学生を相手に、何度もこの事について話したものだが、怨みつらみからは「何も生まれない」し、私が発症した時点では社会的な認知度も低く、例え法廷闘争に持ち込んだとしても「勝てる見込み」は皆無に等しかった。それより何より「これからをどうやって生きていくか?」の方が大事だと思い、ひたすら前へ進むしか無かった。入院中に知り合った女性達の中には、自らの手で命を絶ってしまった人が何人もいる。彼女達は生きたくても生き抜けなかった。私の双肩には「そうした彼女達の人生」もかかっている。そう思って、思い続けていかなくてはならないのだ。私とて決して強くは無い。自傷行為に及んだ事もある。でも、その度に生き抜いて今日に至っている。多分、彼女達が「まだ先がある。私達の思いを果たして」とこの世に送り帰しているように思う。社会の片隅でひっそりとではあるが、私は今日も生きている。今はそれで充分だ。これからの世界をしっかりと見届ける「任務」を背負って私は今日と明日を歩んでいる。

今日は、雪が降っています。





もやがかかっていますが、




普段はこんな感じ。




条件が揃えば塩尻峠ごしに八ヶ岳も見えます。