ニュースで 中国のサファリパークで 料金を払うと牛や豚などを 放して食べられるのを見るのがオプションである と言ってイギリスの動物愛護団体が抗議だそうですが 確かに残酷ショーだけど
よ~っく考えると 動物の自然界では当然の光景であるが 人為的にショー化していることが問題なのか 抗議の意味が判らないからなんともいえない。
しかし 誰かがどこかで餌になる動物を殺しているわけだし
中国では 犬の尻尾を持って地面にたたきつけて殺して食べてるもの見たし それを食文化と言えば 日本でも残酷焼まで行かなくてもカニをゆでて食べるし 殺すと言う行為は 我々もステーキを 牛が屠畜されるの 経過を知らない振りして食べているし ベジタリアンで無い限り避けて通れない
以前 バイクで京都市のはずれの山の中でカラスがやけに多く 変な雰囲気だと思って走っていたら屠畜場の食肉センターへ突き当たって 今走ってきた道を来た牛は 生きて帰れない死のロードかと 思わずアウシュビッツが重なった ここへ至る道で昼間牛を積んだトラックに遭遇したことないから きっと夜間人知れず運ばれているのだろうか?
俺は誰かに 生き物を殺させて知らん振りして肉を食うのは 卑怯と言う気がして 一度肉を食う限りは自分でつぶすかその場に臨んだ者だけが 食する事が許されるのではないかとは思うけど やっぱ複雑やね
屠畜場で殺される牛と ライオンに殺される牛を見るなら 後者の方が抵抗ないなあ この違いはなんでだろう アウトドアだからか?
モンゴルでヤギを草原で家族でつぶして皆で感謝して食べるのは 何故か自然な気
はした 殺す事は一緒なんだけどね やはりアウトドアだからか?
本来はこのように飼ってる家畜をつぶして食べたが 今の分業制により死が身近でなくなり 命の尊さが希薄な気がする。パックでは原型がわからんし
俺は何かを殺す必要が生じた時に 命を持て遊んだり 死を楽しむような なぶり殺しだけはするまいと思っている 仏教で言う 無益な殺生は止めないとね
しかし スペインの闘牛は最後に牛は殺されるし これまた文化かな~?
話は変わるけど
以前 湾岸戦争で壕にいる兵隊をブルドーザーで生き埋めにして殺す戦術を非人道的とアメリカが非難されていた時 将校は「殺し方にファンタスティックな殺し方は無い」と答えていたが 確かにそう
また 最新鋭装備の戦闘機のパイロットが「我々はフェアな闘いをしているのではない」と言っていた 確かに 人間同士の殺し合いは もっとも避けたい
個人的な恨みのない人を殺したくないけど 恐怖・不信感から戦争になれば人間は理想はともかく するんやろうな
領土問題も自分の家庭・家族も命を張って守らないと 結局泣き寝入り。
やっぱ 力は正義という一面もあるし 難しい
今の日本も 過去の歴史の闘いで命を失った者がいたわけで
無くなった全の霊を 今生きている者が忘れてはならない事と思う
必要以上の 無益な殺生は止めましょう これしかない。
生かされている事に 日々感謝