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【軍隊は軍隊を守る】続き

2010-04-29 | 沖縄問題
要するにこの作家によると、軍隊が地域社会の非戦闘員を守るために存在するという発想は、きわめて戦後的なものであり、軍隊は自警団とも警察とも違う。軍隊は戦うために存在するわけで、彼らはしばしば守りもするが、それは決して、非戦闘員の保護のために守るのではない。彼らは戦力を守るだけであろう、というわけです。

 さらにこの作家は、戦時中の作戦要務会に「軍の主とする所は戦闘なり、故に百事皆戦闘を以て基準とすべし」とあるのを引用し、

 「正直なところ、軍の意識の中には、民の存在はきわめて希薄であったろうと思われるふしが見られる。いやむしろ、全くない、というべきであったかもしれない。戦いを優先するものが、つまり軍であるからだ。戦いを優先しないものは、軍ですらあり得ない。」と語っています。

 こうした見方は、必ずしも同作家に固有のものではない。先に見た戦史家の伊藤正徳も、沖縄陥落後の本土決戦に向けて日本防衛軍の一番の悩みは非戦闘員への対応だった、と記録しているのです。

 「(昭和20年)4月頃の計画では、老幼婦女子や病弱者を霧島山に収容する方針であったが、十数万人に居住食糧を保証するの不可能を、また戦中移動の困難性から考えて中止され、結局、決戦時には比較的安全なる戦線後方に終結させ、軍は住民をふところに抱いて戦うことに踏み切った。九州人の戦意は旺盛であったが、病弱老幼婦女子はいかんともなしがたい。しかし、フランスにおいてもドイツにおいても、住民の幾百万は戦火のもとに生死の苦悩をなめたのだし、日本も文学どおりの存亡戦を戦う場合、運を天に任せてもらうしかない、ということに結論が一致した。」

 これからすると、結局、一旦戦争が始まると、対住民対策はお手上げ、というわけではないでしょうか。伊藤の記述と似たようなことは、司馬遼太郎も書いています。すなわち戦時中、彼は戦車隊に所属していたが、ある時、大本営から来た人に、本土決戦の場合、戦車隊が進撃する道路上を前方から逃げ惑う非戦闘員が路上を埋めてやって来たらどうするか、といった質問をしたところ、「轢っ殺してゆけ」といった、とこう記しているのです。

 「このときの私の驚きとおびえと絶望感とそれに何もかもやめたくなるようなばからしさが、その後の自分自身の日常性まで変えてしまった。軍隊は住民を守るためにあるのではないか。」

 「しかし、その後、自分の考えが誤りであることに気づいた。軍隊というものは本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。
軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊を通じ、ほとんど稀有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える。軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといったより崇高なものであって、具体的な国民ではない。たとえ国民のためという名目を使用してもそれは抽象化された国民で、崇高目的が抽象的でなければ軍隊は成立しないのではないか。」

 「さらに軍隊行動(作戦行動)の相手は単一である。敵の軍隊でしかない。従ってその組織と行動の目的も単一で、敵軍に勝とうという以外にない。それ以外に軍隊の機能性もなく、さらにはそれ以外の思考方法もあるべきはずがない。…住民の生命財産のために戦うなどというのは、どうやら素人の思想であるらしい。」(『街道をゆく』6、38頁)