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【軍隊は軍隊を守る】

2010-04-29 | 沖縄問題
これとは別に、細川護貞『情報天皇に達せず』下巻の、45年6月11日の日記につぎのように記録されています。

 「今日午後高村警察局長を大阪府庁に訪問、その話に、議会は多少もめ居ること。又大阪の陸軍の司令官は、『この際食糧が全国的に不足し、且つ本土は戦場となる由、老幼者及び病弱者は皆殺す必要あり。是等と日本とが心中することは出来ぬ。』との暴論をなし居りと。」

 これが単なる暴論ではないことは、沖縄戦の実態がいかんなく示したとおりでした。

 沖縄戦の終結に伴い本土決戦が現実のものとなりつつあったとき、本土防衛軍将兵にたいし、『国土決戦戦闘守則』という小冊子が配布されましたが、その第2項に「決戦間傷病者ハ後送セサルヲ本旨トス。負傷者ニ対スル最大ノ戦友道ハ、速カニ敵ヲ撃滅スルニアルヲ銘肝シ、敵撃滅ノ一途ニ邁進スヘシ。戦友ノ看護付添ハ、之ヲ認メス。」とあり、第5項には、「敵ハ住民婦女老幼ヲ先頭ニ立テテ前進シ、我ガ戦意ノ消磨ヲ計ルコトアルヘシ。斯カル場合、我カ同胞ハ、己カ生命ノ長キヲ希ハンヨリハ、皇国ノ戦捷ヲ祈念シアルヲ信シ、敵兵撃滅ニ躊躇スヘカラス」と規定されていました。

 家永三郎教授は、この戦闘守則の文章を解説し、第2項の意味することは、負傷した戦友を看護したりせずに打ち捨てておけ、ということだし、第5項は、つぎのような意味だと述べています。

 「上陸してきた敵軍が、日本人の女性や老人や幼児を先頭に立てて前進してくることがあるであろう。そして日本軍が自分たちの同胞の婦女子老幼が先頭にいるのを見て、それを射撃することをためらうかもしれない。そういう場合には、先頭に立っている老幼婦女は、自分の命が助かるよりも、日本の勝利を祈っているものと信じて、容赦なくこれを射殺して、米軍もろとも殺してしまえ。」

 こうしてみると、戦争で軍隊が非戦闘員を守るどころか、時と場合によっては、友軍によって殺害されることも大いにありうることは、沖縄戦で露呈したとおりです。

 ここで問われるのは、では果たして戦後の自衛隊の場合、有事の際の非戦闘員への対応は、戦前の軍隊と一線を画せるほど異なるのだろうかという点であります。その点、自衛隊も軍隊である以上、違いがあるとは思えません。1968年のことですが、航空自衛隊の論文コンテストで、松本正美三等空佐の「日米安全保障条約再検討期を迎えるに際する隊員指導に関して」という論文が優秀に選ばれました。その論文は、対住民施策に関連して「(自衛隊にとって)同胞・同国民への敵対行為は、本来の任務ではない」と言いながらもつぎのように論じています。

 「しかし最近における戦争の様相は、イデオロギー対立と密接な連絡をもちつつ、同民族相剋、同国民の心理的混迷の様相の激化傾向を深めつつあり、国内治安に対する軍の役割が重要化しつつある。」「いかに同胞といえども不法者等は容赦しない行動をとるためには、隊員一人一人余程の信念と自信を堅持してかからねばならない。まして親戚、知人を含む同胞を対象として不安や動揺を生じない隊員を育てあげることは、各級指揮官の切実な問題として銘記してかからねばならない。」

 この文面から判断するかぎりでは、軍隊は過去において非戦闘員を守らなかっただけでなく未来においても守護の対象にはしていない、と言えるのではないでしょうか。