若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

文字さえ書ければ、ポエット
感覚次第で、何でもアート
日日を豊かに遊び心

犬の虐待・A氏とのやり取り

2009-02-04 | Dogs
アカショウビン
先日、将棋棋士の加藤一二三氏の記事が新聞に出ました。将棋界では「神武以来の天才」として歴史に残る方ですが「常識人」たちからは奇行も話題になる棋士です。裁判に持ち込まれた争いの理由は氏が野良犬か野良猫をたくさん飼って臭いや鳴き声にご近所が迷惑しているというものです。加藤氏は敬虔なクリスチャンで、そういった背景から生き物を大切に扱っている行為とも推察できます。しかしながら日本だけではないでしょうが現代社会は人間共の身勝手な考えで臭いが嫌だとか鳴き声が煩いだとかの驚くべき理由で生き物が平気で虐待され、あるいは食用にされます。もちろん私の生もそれで持続されているわけです。しかし、その矛盾と非道と無残に憤りと怒りと絶望を感じずにはおられません。その人間といえば戦争の殺し合いで殺されれば犬に食べられる生き物でしかないわけです。その思い上がりと独善には、いつか天罰が下されることでしょうが、それに抗うのが人間でもあるわけです。実に人間とは厄介な存在です。

ワコウ
アカショウビンさん

加藤棋士が訴えられているコトの本質はナンなのか考えてみました。
これは加藤氏ご自身の天才肌の人格の問題では決してありません。
ともすれば、日本人的心性は、その問題に対してなんら関係のないその人物の人格や日常の行動を節操もなく意地汚く取り立てて問題にし、本来問題にすべきコトの本質を曖昧にし、見失いがちです。

ひとつは
人間と他の生き物との共生の問題です。
要するに、
「地球は、人間の為だけのものではない」
ということです。
ここ一世紀位の間に、人間の最悪の所業の戦争や近代化の開発で地球破壊が急速に進み、それによっての絶滅種や絶滅寸前種の問題は大きく取りだたされ、そのことに危惧を抱き心を痛める人間は多いのですが、直接利害関係の及ぶ身近な小動物(このケースのように)に対しては、思いのほか冷淡な反応を示す人間達が多くいるのには、唖然とせざるを得ません。

もうひとつは
同じ住宅内の1対9という圧倒的な関係で、極身近な隣人から猫のことで訴えられるという人間関係をギクシャクさせる温かさや、寛容さのないやり方に、日本的狭量さ「世間様の構造」があるように感じてやりきれなく思うのです。

野良猫に、餌を与えることがそんなに悪いことなのか?

餓えている野良猫に、そのまま野垂れ死にせよという方が正しいのか?

捕獲して保健所で殺処分をするのが正しいのか?

それ以前にそもそもは、猫を平気で捨てる非常な「人間の問題」があるのです。
ソコを見ない限り、この問題の本質は見えて来ないと思います。

そしてそういう風に人間によって不幸にされた猫達を、保護する行政のシェルター作りをしなければならないと考えるのが、まっとうな人間のやるべきことではないかと思います。

>現代社会は人間共の身勝手な考えで臭いが嫌だとか鳴き声が煩いだとかの驚くべき理由で生き物が平気で虐待され、あるいは食用にされます。もちろん私の生もそれで持続されているわけです。しかし、その矛盾と非道と無残に憤りと怒りと絶望を感じずにはおられません

同感です。
自戒も込めて、驕らずに小動物とのよりよき共生を模索していきたいと思っています。

ワコウ
もうひとつ書きたいことがあります。TVの「ぽちたま」でしたが、
確か瀬戸内海の広島近くの島で、たくさんの野良猫が、住民の手厚い保護で、彼らの生を延び延びと自由に謳歌しているのを見ました。
野良猫と住民との理想的な関係です。このような心洗われる美しい関係がまだ日本でもあることを嬉しく思いました。
島民の住宅の間の塀や、坂道や、海岸道理や、船着場を自由に歩き回り、人間を恐れず、道のま真ん中で、燦々と注ぐ太陽の日差しを浴びながら大の字になって昼寝を無心にむさぼる猫達がたくさんいる風景を見ました。小さな猟師町のようでしたから活きの良い魚の餌を貰っているのでしょう。彼らの健康のバロメーターであるいい毛艶と生き生きした目をしていました。
昨今の殺伐とした都会の人間関係では、育まれにくい他者に対する「愛」がソコには確かにあることを感じました。
自然と人間と猫達のたゆやかな時空でした。

わたくしの小さい頃は都会でも、昼日中放し飼いの犬や猫をよく見かけましたし、一緒に遊んでいましたし、自分の飼い猫や犬でなくともそれぞれに可愛がっていました。
たった50年やそこらで、日本人の「心根」が変わったようです。

加藤氏の隣人の一人の方でも、猫に対する「愛」があれば、対応も違っていたと思います。
みんなで餌をやって、糞の掃除をし、必要以上に増やさないように避妊手術をし、その町内を、猫と人間が共存する暖かな町作りを目指すモデルケースにするような発想は、どなたからも生まれなかったようですね。

臭いの、汚いの、煩いのと、非常に心の狭い、愛のない感覚に、こちらの心まで冷え冷えしてきます。
猫に変わって申します。本来猫は大変きれい好きな動物です。
また猫の夜の集いや、発情期の独特の夜鳴きは、かってはある意味での風物詩で、文学にもよく描写されているように、彼らの問題ではなくて、人間の心次第です。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿