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中村哲医師の講演(ペシャワール会)

2008-06-06 | 中東問題
先日、現代史研究会共催の中村哲医師の講演がありました。
皆さんはご存知でいらっしゃるとは思いますが、1984以来パキスタン、アフガンの辺境の山岳部で、献身的に「医療事業」や「水利事業」や「農業計画」や「緑の大地計画」など多義に渡り現地の復興支援に率先して活動をなさっていらっしゃいます文字通りスゴイ方です。わたくしは、氏のお話を聞くのは初めてでした。
素朴で暖かいお人柄を彷彿とさせるとつとつとしたお話し振りは会場の心をひとつにしました。

以下は4月の会報より抜粋しました。

既存の用水路も改修、本用水路は砂漠へ到達
ー地域復興の要、マドラサ建設に協力

<誤解される「マドラサ」>
  さて、どうしても付け加えなくてはならないのが、「マドラサ」の建設で、現在シェイワ郡に用水路と並行して作られています。マドラサについては、少し説明が要ります。通常、「イスラム神学校」と訳され、「タリバーンの温床」として理解され、外国軍は支援どころか空爆の対象としたほどです。一昨年、国境付近で「80名のタリバーンを殺した」と米軍の発表がありました。何のことはない。死んだのは、全て年端もゆかぬ子供たちでした。住民たちの憤激に、後に「誤爆だ」とされましたが、日本では報道で取り上げられませんでした。
実態は、西側筋の伝えるものとかなり異なります。マドラサは、地域共同体の中心と言えるもので、これなしにイスラム社会は成り立ちません。イスラム僧を育成するだけでなく、図書館や寮を備え、恵まれない孤児や貧困家庭の子供に教育の機会を与えます。アフガニスタンがこれほどひどい状態なのに、いわゆる「ストリート・チルドレン」が少ない理由の1つがマドラサでしょう。

また、マドラサはモスクを併設し、「ジュンマ・プレイヤー(金曜礼拝)」に、地域全体の家長らが集まります。地域にとって大切な知らせや協議、敵との和解などは、ここで行われます。何も「テロリストの温床」ではなく、政治性がある訳ではありません。ここで学ぶ学童を「タリブ」と呼び、複数形が「タリバーン(神学生)」です。コーランの学習だけでなく、地理や数学などの一般教科も教えます。つまり、地域の文化センターであり、恵まれぬ子供たちの福祉機関であり、人々が協力する場所であり、地域を束ねる要なのです。運営は地域あげて行い、時々アフガン政府からの援助があるといいます。

その重要性がどれほど人々にとって大きいか、改めて認識を新たにしました。昨年、用水路の第一期工事13キロが開通したとき、近くに14000平方メートルの大きな空き地がありました。マドラサの建設予定地だそうです。村人に尋ねると、「作りたいが、この貧困な状態で誰もできない。国際支援団体は、マドラサとモスクの建設だけは援助項目から外している」との話でした。州の教育大臣は、「マドラサなくして地域の安定はない。共同体に不可欠の要素なのに、政治勢力の『タリバーン』という名前だけが誤解を与え、誰も協力したがらない」と溜息をつきました。

<「これで自由になった!」>

 幸い、当方は水路工事の真っ最中、資機材は豊富にあったので、「誰も怖がって作らないなら、当方が建設だけ、ついでにしましょう」と申し出ました。ジャララバードの町には、物乞いをする子供が増え、1000名以上の孤児たちが居ると言います。その子たちを吸収できる福祉機能に注目したからです。

ところが驚きました。住民たちも地方政府も、沙漠化した土地に水が注がれた時以上に、喜んだのです。着工式には近隣の村長たちが顔をそろえ、中には「これで自由になった!」と叫ぶ長老たちもいました。はて、「自由とデモクラシー」の「自由」とは何だろうと、考えさせられました。彼らには宗教心の篤さと共に、伝統や文化に対する強い誇りがあります。それが否定されるような動きに、抑圧感を覚えていたのでしょう。

図らずも、サウジアラビアを除けば、外国人によるマドラサの建設支援は初めてだそうで、大きな朗報としてアフガン東部一帯で話題となりました。「マドラサは公徳心を教える。これでぐれた若者やならず者が減る」という人もいました。「やはり、日本だけは分かってくれる。兵隊も送らない」と、日本国に対する大きな賞賛、悪い気はしませんでした。眉をひそめた西側の国際団体もあったでしょうが、アフガン人の殆どが狂喜したのです

「人はパンのみに生きるに非ず」。単なる理想や教説ではありません。かつて謙虚に天命に帰した日本人のはしくれとして、人間の事実を知ったのは幸いでした。

講演の中で印象に残った言葉
「誰もが押し寄せるところなら誰かが行く、誰も行かない所でこそ、我々は必要とされる」
「欧米流に金や武力で何でもできると思うのは間違いだ」
「病気を治すには、病気を予防するには100の診療所より1本の用水路」
「現地にいると金があれば何でもできるという迷信、武力さえあれば何でもできるという妄想から逃れることができる」
「何事も自然でできることは自然で対応する」
「お金を使わないからこそ逆に現地に合った方法を見つけることができる。」
「現地では、現地の価値観、物差しで、何事も図る、計る、測る、量る、諮るべし」
「伝えられているような、男尊女卑では決してなくて、庶民的日常では、肝っ玉母さんがたくさんいて、煮え切らない亭主の尻を叱咤激励してそれぞれの家庭の大黒柱である。」

すべての資金は、会費と寄付で賄われていて、政府からの援助や企業からの税金控除の対象になる寄付などではないそうです。ココにも氏のポリシーが感じられて「なるほど、スゴイ人は、どこまでも神経が行き届いていてスゴイ」の一言でした。

お手伝いさせていただいた側として、一言申し上げたいことがあります。
朝日、讀売、毎日、東京の各新聞社に開催告知記事掲載を二ヶ月前に依頼したのですが、一紙も載せてくれませんでした。週間金曜日だけが掲載してくれました。
またぞろ日本のマスコミ、メディアの嘆かわしい偏狭とボケボケぶりに、「クソッ」と腹が立ちました。(またまたお品がなくて恐縮です)

にもかかわらず、200数十人の方にご来場いただきました。
そして沢山のペシャワール会へのご寄付を頂戴し、うれしい限りでした。

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