若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

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「見えない出口 バグダッド陥落から4年<上中下>」綿井健陽氏 からの抜粋

2008-05-17 | 中東問題
http://www1.odn.ne.jp/watai/kyodo-kaisen4nen.htm

<上>米軍への評価は複雑 重く長い戦火の日常
イスラム教シーア派が台頭する中、スンニ派のラード・アルバドゥリさん(51)も「家宅捜索や尋問を受ける時は米軍が一緒ならまだまし。イラク軍や警察だけだと理由もなく逮捕され、やがて殺される」と話す。
 「外国軍不要」を訴えたイラク軍兵士のハラフさんはこれに反論する。「普通の市民は実態を知らない。従軍取材の記者が一緒の時だけ米軍はあたかもイラク兵や市民に親切に接しているかのようにふるまう。それ以外の時はイラク人の悪口ばかり。最も危険な場所にはいつもイラク兵だけを行かせる」
 二月中旬から米軍とイラク軍は武装組織掃討作戦を展開、両軍兵士が行動をともにする機会が多くなっているが、ハラフさんは「米軍はイラク人を守るために駐留しているわけではない」と言い切った。
 バグダッドの市民の間には相反する思いが深く渦巻いている。「米軍が駐留を続けることによる治安か、イラク軍や警察だけによって守られる治安か」。そのどちらにも大きな不安が伴う中で、この四年間いかなる措置をとっても実際の治安は悪化する一方だった。米軍の進退はイラク人にとっても「去るも地獄、残るも地獄」の選択となっているように見える。

<中>学校から帰れる「喜び」 子どもも望む治安、電気 
「欲しいものは平和とパソコン。インターネットをやってみたい。毎日たくさんの人が殺されているから、学校が終わって無事に家に帰るとほっとする。親が外で遊ばせてくれないので、友だちの家でコンピューターゲームをする。将来は医者になってイラクの人たちを救いたい。今、医者が狙われてイラクからどんどん脱出しているから」。十五歳のハイダル君はそう話す。
 悲しい記憶を抱える少女にも会った。十五歳の中学三年生レアンさんだった。
「今年一月、学校の裏で自動車が爆発して、一番の友だちが死んだ。同じクラスで、姉妹のようにいつも一緒だった。亡くなる三日前に彼女の誕生日を一緒に祝った写真を今も毎日見ている」
 学校から家に無事帰れれば「それだけでうれしい」という彼女が今欲しいものは治安。そして「夜、勉強するための電気」だった。
 将来の夢をたずねるとけなげに言った。「イラク政府の中で働きたい。この国を立て直すことができるのは女性だと思う」

<下>遺体が「証言」する惨劇 「安全なのは墓地だけ」
フセイン政権時代、墓地には一日二十体ほどの遺体が埋葬されたが、ほとんどは事故か病気による死だった。だが、政権崩壊後は銃や爆弾の犠牲者が激増。宗派対立が激化した過去一年あまりでは多いときで一日百体近くの遺体が運ばれるという。
「爆弾テロに巻き込まれた遺体の多くはバラバラになっている。遺族がビニール袋に入れて持って来て白い布で覆い、土の中に埋める。最近はドリルや電気ショックを使った拷問のあとがある遺体も目立つ。遺族も正視できない遺体も多い」
 今年一月下旬、イラク軍と米軍がナジャフ近郊へ大規模な攻撃を仕掛けた。イラク治安当局は「武装勢力二百五十人を殺害」と発表したが、彼はその攻撃に巻き込まれた四十人以上の子どもや赤ん坊を墓地に埋葬したという。「いつも武装組織による爆弾テロばかりをメディアは伝えるけど、墓地に運ばれる遺体には、遺族の証言などから米軍に殺されたケースも依然として多い。イラク南部から運ばれる遺体も多く、英軍に殺された遺体もかなりあるはずだ」
アリさんはフセイン政権崩壊後の四年間を振り返って言った。「イラク人が得たものは銃声、爆音、そして多くの人々の死だけだった。もしかすると、死者が眠る墓地だけがイラクでは安全な場所かもしれない」