若生のり子=誰でもポエットでアーティスト

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無残な「死体」をそのありのまま見せるか、否か(戦争報道において)

2008-05-14 | 中東問題
一昨日、某大学の「映像ジャーナリストたちは戦争をどのようにに伝えたか」という講義に参加させていただきました。

「マスメディアとフリーランス」
講師は、フリービデオ・フォトジャーナリストの綿井健陽氏でした。

以下の二局で放映された映像の中で、イスラエル軍の砲撃で、食料のパン輸送車の民間の運転手が殺戮された映像がありました。首から上を砲弾で飛ばされた見るも怖い無残な血の滴る死体を救急部隊がその破壊された自動車から救出し、運ぶ映像のところで、この死体の首のところにモザイクを掛けるか否かという問題がありました。各局の内部で、喧々諤々の議論がなされ、結局は、テレビ朝日の「報道ステイション」はモザイクを掛け、NHK教育「ETV特集」はそのありのままを放映しました。
(ちなみにイギリスのBBC放送は、その角度と時間数は配慮するが、そのままをオンエアーするという立場をとっています。)
NHK教育「ETV特集」2006年12月30日(土)午後10時OA
「2006年夏 戦場からの報告~レバノン・パレスチナ~」(取材・撮影・出演)土井敏邦・古居みずえ・綿井健陽 
「報道ステーション」(テレビ朝日系列)8月30日(水)午後10時OA
「2006年夏 戦場からの報告~レバノン・パレスチナ~」

確かに、その映像は、たいへんショッキングでこれ以上のむごたらしさはないというものでした。(おかげでこの二晩、その映像が、脳裏、網膜にちらついて、夜が白むまで眠れませんでした。)
ですが、実写の報道を見せられる側として、そのことがどんなにひどくむごいものであっても、その現場で起こったそれが戦争という現実ならば、編集されてカットされたり、モザイクを掛けたりされるよりは、そのままを見せていただくことをわたくしは、望みます。
それが戦争というこの上ない非情な現場で命を掛けて仕事をするホットな映像ジャーナリストの真価だと思います。「百聞は一見に如かず」です。
映像は、端的にすべてを物語ります。それがどんなにか、血の気が引き、心が萎えることであっても、それが戦争という現実ならば、それから目をそらすべきではないと考えます。
何故ならば、戦争には、原因は、様々にあることでしょうが(経済利権の問題、人種の問題、宗教の問題、国境の問題、歴史的な問題等)それはともかく、われわれ自身が愚かに起こしたことは確かであり、20世紀から21世紀に掛けて止むことなく連続しているわれわれ人類の最大の危機の問題だからです。
世界中の人々が真摯にその現実に向き合い、「反戦」を訴えれば、そういう愚かな流れも止めることができる可能性があります。いやそれしか止める道はありません。諦めるのではなくて、すべてはわれわれのそういう認識と自覚に掛かっています。それこそ、諦念と無知は最大の罪です。

まずこういうフィルターの掛かっていない尊い真摯な戦争報道に目を耳を傾ける必要があります。(NHKに再放送を呼びかけてください。ワコウも初めてですが、一視聴者として働きかけるつもりです。)
まず何が起こっているかを知ること、そこからしか次の行動は生まれません。
生ぬるい、能天気な日常にどっぷり浸かっているわれわれ日本人に対してのある種の有難い厳しい警鐘です。

フリービデオ・フォトジャーナリストの綿井健陽氏の、戦争という現場で、命と精神を掛けての「報道魂」に敬意を表します。(昨今の日本のメディア、ジャーナリズムのていたらくぶりに、危機を感じている一国民として)

このシビアーな報告はまだ続きます。