コメント
 
 
 
旧約聖書の愛は? ()
2015-02-23 10:49:28
愛は、新約聖書だけに出てくる言葉ではないですね。
旧約聖書にも沢山「愛」と言う言葉が出てきます。

例えば、

レビ記の19章18節には「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言われていますし、同じ章の33節34節では、寄留の他国人も自分たちと同じように愛することを命じています。

申命記7章8節には「主の無償の愛」が書かれ、ホセアは、11章で「神が愛のひもで導いた」と言っています。

少し愛の形は違いますが、雅歌には男女の愛を思わせる「愛」の言葉が沢山出てきます。2章の「シャロンのばら、谷間のゆり・・」はそのまま口説き文句に使えそうな言葉が並んでいます。

出来れば、新約だけではなく、旧約にもさかのぼって「愛」と言う言葉の変遷も考察願います。
 
 
 
宿題提出 (NJ)
2015-02-25 22:49:39
簡単ですが、旧約聖書において、愛を表す言葉がどのようになっていたか、本文に[付記]として加えました。
 
 
 
神の愛~人の愛 (トマ2)
2015-03-15 16:44:23
愛と言っても「ピン」と来にくいのが現代人です。

神 の 愛・・・アガペー
親子の愛・・・ストルゲー
友  情・・・フィリア
男女の愛・・・エロス

上の4つの愛は異質です。変形などしていません!
 
 
 
イエス様の慈しみ (黄昏のマリア)
2015-03-17 11:56:11
日本人にとって、神の愛を意味する一番しっくりくる言葉は「いつくしみ」ではないかと思っています。または、慈悲。言葉って難しい。何かで、昔、聖書が言う「愛」を日本語に訳す時にそれに相当する言葉がなくて困ったという話を聞きました。GODにあたる言葉もなくて、初期イエズス会は「大日さま」と訳していたのだとか。私の知人にベトナムの方がいるのですが、彼女が母国語にはない言葉があるので日本語は難しいと話していたのを印象深く覚えています。
ところで、イエス様がペテロにむかって3度「あなたは私を愛しますか?」とお尋ねになるところがありますね。
日本語では3度ともに「愛しますか?」ですが、原典では少し違うようなのです。2度目までは、「アガペー」が使われています。そして記憶に間違いがなければそれに対してペテロは「フィリア」で答えた。3度目に「愛するか」と尋ねる時には、イエスは「フィリア」を使われた。なぜ「アガペー」ではないのか。ペテロはなぜ「アガペー」で答えなかったのか。
たしか曽野綾子さんの著作に載っていたかと・・・ギリシャ語の聖書を勉強されたそうで。記憶が古くて自信もないのに公の場でこんなことを書くのはどうかなと思うのですが、もし違っていたら、NJさん、フォローお願いできますか。
イエス様はペテロの心にある迷いを試されたのではないかと思います。曽野さんは、イエス様が「フィリア」を使われたのは、ペテロに対する思いやりだったと述べていますが、わたしもそこにイエス様のペテロに対する愛を感じます。だから、そのあとのペテロが形成されていったと。
わたしはどうかな。まだまだ、イエス様にむかって「アガペー」で答えられないです。
言葉の異質性というより、その気持ちがどのように変化していくのか、この4つの言葉から考えてみることができるのではと思いました。



 
 
 
アガペー=高次元の愛 - >愛 (NJ)
2015-03-17 19:05:28
コメントの投稿有難うございます。イエスがペテロに三度「わたしを愛するか」と尋ねられた場面はヨハネ21:17- に出ています。黄昏のマリアさんの記述の通りです。三度目にイエスが「フィレオ」(フィリアの動詞形)という言葉に変えて問われます。それについて、ベン・ウィザリントンという人は、イエスが優しく、気さくに親しい間柄をペテロに感じさせる言い方をされた、と言っています。

しかし、二つの語の間に違いはない、と言う人もいます。(”Restoration of Peter” From Wikipedia, the free encyclopedia)そう言えば、本当はイエスもペテロもギリシャ語ではなくアラム語で話していたはずですね。
 
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