21日衛星放送で札幌神殿の奉献式に大阪から参加することができた。私にとって信仰について熟慮・内省するよい瞑想のひと時であった。

[ Russel M. Nelson 十二使徒会長. 91歳。元心臓外科医]
ラッセル・M・ネルソン使徒は奉献の祈りに先立って話の中で神殿の歴史をモーセの契約のはこに始まり、ソロモン、ゼルバベル、ヘロデの神殿に至る流れを俯瞰された。そして、昔エルサレムを訪れられた時、嘆きの壁の左奥の部屋でラビたちが祈っている所を訪ねたときのエピソードを紹介された。ユダヤ教徒はその場所に将来神殿が建てられると信じているが、次の神殿ができればそれは何のために使われるのか、という質問にイスラエルの考古学者イガエル・ヤディンが、「わからない。モルモン教徒に聞けばわかるのではないか」と答えたという。ネルソン長老は「そう、私たちは知っています」と続けられたのが、興味ある逸話であった。(ヤディンは1970年代にBYUとユタ大学で講演をしていて、lds教会について多少知っていたと思われる)。
ネルソン長老は、末日聖徒の間に語り継がれてきた伝承(「高価な真珠」の記載を含む)に基づいて、カートランド、ノーブー、ユタ州の神殿と時代の推移に伴って儀式が追加され変遷してきたことを振り返り、神殿の意義を概観された。私は教会の今の姿、現在果たしている機能に注目すべきであると示唆されたものと受けとめた。神殿は教会員の信仰を表わす象徴であるとも話されたが、確かにその側面があることを認識したひと時であった。
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中継視聴者に制限を加えたことや、何処のユニットでも見られるようにしなかったことには、疑問を呈しますが、内容は良かった思います。
特に、基礎の石にモルタルを塗る儀式は終始和やかで好感が持てました。
使っていた道具が、左官用じゃなくて、ケーキ用だったのは、ちょっと残念ですが。
それと、あの塗った後は、左官屋さんが整えるのでしょうか?
館内での聖歌隊や、出席者が平服だったのも、ちょっと意外でしたが、個人的にはその方が良かったと思います。
全体的に、堅苦しくなく、神聖さも失われず、地元の方の喜びが感じられて、好感が持てました。
どうして、一般の人も見られるようにしなかったのかが疑問ですけどね。
ところで先日4DXって映画館へ行ってきました。すごいんですよ、あれ。スクリーンの映像に合わせて椅子がガンガン揺れたり、フラッシュが光ったり、風が吹いてきたり・・・未体験の方にはぜひ一度行って見られることをお勧めします。
でね、思ったんですけど、エンダウメントも4DXみたいなもんじゃないですか。場面に合わせて立ったり座ったり、握手(?)したり、部屋が明るくなったり、着替えたり、もうね体感型のアトラクションですわ。
JSが伝えたのはエンターテイメントだったというご意見があったので、ああ、じゃエンダウメントはアトラクションだなと得心した次第でございます。
四国の鳴門に大塚美術館ってのが有りまして、そこに昔のキリスト教教会の礼拝堂がそっくりそのまま作られています。
礼拝堂の両脇には、イエスの誕生から復活まで壁画で書かれていまして、それを見た時に、「礼拝堂って言うのは、聖書を勉強する場所だったんだ!」って思いました。
モルモンのエンダウメントも初期は人間が俳優に成って演じていたとの事ですから、モルモンの教義を勉強する場所だったのでしょう。
>皆さん!エンダウメントの最中に寝てるんちゃいますのん?
との事ですが、授業中に生徒が眠るのはごく当たり前の光景化と思いますが・・・?
寝てる人を起こしてはいけないので、ささやくように話しなさいって言われるでしょ?
私の近所にあるカトリック教会もそんな感じでしたよ。聖書の場面を表した小さい絵画を何枚も礼拝堂の中を取り囲むように壁に飾ってました。
プロテスタント教会はそうした飾りはあまりありませんね。説教台の後ろに十字架があるくらいでシンプルなんですが、それでも何か”いい感じ”のする作りになってます。
モルモン教会は・・・何にもありませんね。殺風景なもんです。思うに設計者の力量不足なんじゃないですかね。もしくは教会本部が予算を出してくれないからなのか・・・。
>モルモンの教義を勉強する場所だったのでしょう。
でもねぇ・・・モルモン教義なんて十年ちょっとでコロッと変わるじゃないですか。いや、変わるどころか言ってることが正反対になるんですよ。学ぶ場所は立派でも学ぶ内容に価値が無いのではどうしようもないかも???
だからー壁画は書けないんでしょうね。
ビデオなら作り替えが早い?
アメリカの少年たちはなぜか秘密結社が大好きで、宗教に関係なく彼ら独自の社交界に正式入会する場合、秘密めいた儀式があるけれども、モルモンの場合それとのミックスではないだろうか?ということ。
ジョセフスミスのユーモアだ。
聖典は、よう読まなアカンで、あんさん。
イエスは新約聖書の中で、聖なるものを犬にやってはならないという説教によって、秘密の保持の必要性を説いています。
モルモン書が禁じているのは、強盗団が回復したような悪の秘密結社のことであり、これらは狭義の秘密結社(その団体の存在や目的を秘密にした社交界・組織)に属しています。
強盗団の団員はこのような秘密結社に属しており、日本政府はこの種の秘密結社の活動を許しておりません。
モルモンの場合は入会したら、酒タバコを断るようになるので秘密結社ではいられないので、儀式がどんな風変わりな形式だろうと、口外できないことがあろうと、このような秘密結社ではないのです。
エンターテイメントをネタにして悪かったね、申し訳なかったです。もう構わないでね。
そのセリフはこっちが言いたいね。 ここはアンタの私物ではないのです。
本当にもううんざりなんだけど、聞く気がないならお前こそ二度と他人ネタにからんでくるなよ。
彼らが神殿を願うのは、昔と同じ儀式をするためであるので、答えはそれに尽きると思います。
ただ、祭司の系統しか儀式を行うことができませんので、アロンの系統、レビ族であるという証明が出来なければ神殿があってもなにも行うことができないという意味かもしれません。
一つ思うのは、モルモンの神殿での儀式はユダヤ民族が神殿で行っていた儀式と関連性が無いので、ユダヤのことを知り尽くしたヤディンの真意を知りたいところです。
現地ではともかく、放送をみることもダメというのは少し疑問に感じます。
意図はわかりますが、大切なものを見失っているようにも感じます。
ルカ18:15~
15イエスにさわっていただくために,人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが,弟子たちはそれを見て,彼らをたしなめた。
16するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた,「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい,止めてはならない。神の国はこのような者の国である。
そもそも継続的にネット上でモルモンの教義がコロコロ変わってるという揶揄が継続しているようですが、時の指導者がひとつの見解や方針を述べれば、ダボハゼのごとく次々と宗派や宗教の教義になっていく、あるいはそう信じなければ背教だという考え方の方が不健康なんじゃないでしょうか?
時代に即して教会の運営方針が転換されて、最初から不適切な説明に過ぎなかったものが、あれは不適切な発言だったと認めることは、教会の教義が180度ひっくり返るのとは本来別物ではないでしょうか。
たとえば私は詳しくは知らないことなのですけど、カトリックさんはどうなんでしょうか。 大昔は別として教皇様があるコメントを出されたり執筆されたら、直ちに信者さんは次々と教義を付け加えるというスタンスなのだろうか。
そのビショップは、「それは知恵の言葉に反しますね、悔い改めるまで推薦状は渡せません。」と言って推薦状を渡さなかった。
この場合ですね、ビショップの見解によって、その会員の救いの道が閉ざされるんです。
教会が公式な教義を明確に示さないと言う事は、この様な事態が起きうると言う事なんですよね。
ここはあなたのブログじゃないでしょ?NJさんに敬意を表して私はあなたとのやり取りを避けてるので、いい加減大人になってもうやめて下さいね
いったいに何があったのか詳しいことは誰も口にしませんでしたが、彼の気持ちを考えるとやるせなくなりますね
一方でタバコをやめられない父親を娘の神殿結婚に参入させてあげたと言う話も耳にするワケで・・・モルモン教会のこのいい加減さはどうにかならんのかなと思います
イガエル・ヤディンの発言「モルモンに聞けばわかる」は、外交辞令的な響きがする、あるいは会話上のウィットによるものではないかと受けとめています。(実際の発言の背景が示されていないので、何とも言えません。)また、ユダヤ教徒にとって次の神殿は昔のように動物を犠牲にするわけではないでしょうから、学者の彼にとっては「わからない」というのも、あながち本当のところかもしれません。
今回衛星放送で一斉に全国会員に奉献式参加を求めたことに対して、私はこんな思いでいます。それは、通常の礼拝に代えたことは、普通に出席したかもしれない人々を1回でも遠ざけたのは一種のリスクではなかったか、ということ。そして、もう一つの見方は会員に神殿の方を向かわせる(信仰の献身を強化させる=commit させる)効果を求めたのだろうか、という観察です。それは地域会長Whitingから出たものか、それとも最近教会の複数の地域で神殿奉献に際して同様に行われているのだろうか、という疑問もあります。
なお、神殿で行われるエンダウメントについてヒュー・ニブレーは、古代の神殿(イスラエル以外)で行われていた祭儀劇 ritual drama に通じるものと見ています。また、ついでですが、札幌神殿は星の栄えの部屋、月の栄えの部屋があって、儀式の途中部屋を移動する方式になっているのではないかという印象を受けています。(これは要確認ですが)。
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十二使徒だったヒュー・ニブレーの曽祖父アレクサンダー・二ブローは当初ユダヤ教のラビの教育を受けたのですがジョセフ・スミスjrの最初の示現の話を聞き後に加入します。で、その事を日記に書き留めておりヒュー・ニブレーがその箇所を発見し大管長に報告します。すると日記の提出を求められ本人ですら閲覧できなくなってしまった。十二使徒ですら、です。その事をタナー夫妻宛の手紙でボヤいている
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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14153209034
ヒュー・ニブレーってモルモン幹部なのに反モルモンの旗手だったタナー夫妻と交流あるんですね。ちょうど安倍首相を気に入らない元自民党幹部が共産党の『しんぶん赤旗』に寄稿したようなものかなぁ。
それとニブレーについて興味深いのは、彼の死後、娘のベックが幼い頃に父から性的虐待を受けていたと暴露本を出版して話題になったことですかね。これについてはWikipedia(英語版)に詳しいです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Nibley#cite_ref-14
この件は彼女の兄弟達は否定しているんですがね、まぁ実の娘がこんな暴露本を書くに至った何かは、ニブレー家にあったのでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AE%BF%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
上記サイトより
神殿の丘の上にはイスラム教の聖地である岩のドームがあり、もし実際に神殿を建築しようとするとこれが破壊される事になることから、実現の見通しは立っていない[2]。また研究所では、神殿再建の日に備えて、祭司服や神具、あるいは古いレシピで作られたパンやオリーブ油の研究や製作も行なっているとされる[3]。
同じユダヤの人でも、見識に相違があるのでしょうが、旧約聖書には、神殿の儀式の詳細が書いてありますので、ユダヤ教の人が、神殿の、儀式を行う事は、そんなに難しい事では無いと思います。
モンソン氏を筆頭に、モルモンの指導者の話には「ほんまかいな?」と首をかしげる逸話が数多くありますので、この話(ユダヤ人は神殿の儀式について知らないと言う)も、何処まで信じていいのか???
H.ニブレーが言う祭儀劇ritual drama は、エジプトメンフィスの宗教、バビロニアの新年祭、ローマ、ギリシャの祝祭、ラスシャムラの神殿、ケルトの神話に出てくると記されています。(モルモン百科事典、[英文]1992年)。
ただ、BYUのエジプト考古学者Wilfred C. Griggs 教授を研究室に訪ねた時、ニブレーはいろいろな事を神殿と結び付ける傾向がある、と批判的でした。ですから参考までにということです。
ジョン・ドゥさん、
H.ニブレーは著名な学者でしたが、ほとんど教会の何の役職にもついたこともない人で、モルモン幹部ではありませんでした。(忙しいでしょうけれども厳密に!)
彼の娘虐待云々については、結論が出ていないのと、キュリー夫人に夫死後弟子の男性研究者同僚と性的問題があっても、それを取り上げて夫人の業績を否定することがないのと同様、高所大所から見るべきではないかと思っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E
我が国にて申しまつれば侍言葉を復活せしむるものにてござ候。感服仕り候えば、神殿儀式の復活も猶太人なれば成し遂げ能わざること無かりし候。
ううん侍言葉は止めたほうがいいかな、私の先祖は農民なので(笑)
僕ら夫婦は、神殿推薦状の更新を怠っているけど、そりゃあないんじゃないの?
と思いました。
集会がないのならわざわざ教会に行かなかったのに
そのくせ、パーティー関係のお知らせは、メールで入って来るんだけど!
札幌伝道部は自然の厳しさもあって試練を乗り越えた宣教師に特別なオーラを感じていました。
東京、福岡、札幌とくれば次はやはり関西にと予想します。
ローマ神殿、パリ神殿が発表されたのですから次は世界一の観光としとなった京都に!と予想します。
神殿と古代の儀式についてはNJさんのモルモンフォーラムの記事を載せています。
http://www.geocities.jp/waters_of_mormon/forum/MF21-1.html
さて、エンダウメントは旧新約時代の神殿にはなかったのではないか、キリスト教にとっては全く新しいものなのではないか、と感じられる人にとって、興味 深い考え方があるので紹介したい。それは、マーガレット・トスカノ、ポール・トスカノ夫妻の次のような見方である。
「福音の儀式の中にはキリスト教の聖式として取り入れられる前に、一般社会に存在したもの が多い。・・例えば誓約の食物としてパンを割いて葡萄酒を飲む ことは、キリストが聖餐として制定される前から知られていた。足を洗うことはキリストが聖式としての意義を付与するずっと前から一般的な旅人をもてなす定 めであった。パプテスマも一般に知られていた慣例が取り上げられて、イエス・キリストの福音の中で新しい意味を付与されたのであった。俗なるものを聖に、 古きを新たにすることは、義認、清め、復活、栄光の授与などキリスト教の約束の中核をなす概念である。従ってキリストが平凡な行為や出来事を取り上げて、 それに新しい意味や霊性を付与し、教会の聖式とされても驚くには当たらない。このようにしてエンダウメントが制定されるに至ったとわれわれは信じる。
月一出席会員さん、お気の毒でしたね。
何時頃から今回の計画が出来ていたのか知りませんが、発表が有ったのは、そんなに前じゃなかったです。
監督会が、その日だけの限定推薦状の面接を始めたのも、1か月前ぐらいからだったと思います。
安息日なんですから、聖餐の儀式ぐらいすればいいんですけどね。
最近、「聖餐会を霊的に・・」と盛んに言っている割に、指導者は聖餐をないがしろにしてますね。
>H.ニブレーが言う祭儀劇ritual drama は、エジプトメンフィスの宗教、バビロニアの新年祭、ローマ、ギリシャの祝祭、ラスシャムラの神殿、ケルトの神話に出てくる
ご教授ありがとうございます。少なくともニブレーが想定する祭儀劇は、堅苦しいもの一辺倒なものばかりではなく、神聖な目的を持ちながら、バビロニアの新年祭、ローマ、ギリシャの祝祭のような大衆が楽しめる要素が確認できました。
また堅苦しいので有名なユダヤ教では祭儀劇はなさそうですが、それでも仮庵祭については(終了後のご馳走があるので)一般信者にとっても待ち遠しいものと聞きます。
ユダヤの仮庵祭がエンターテイメントだとまでは言いませんがこうして見ると、ケースバイケースなのは当然ですが、神聖な儀式と大衆的な楽しみが共存することは可能であり、不謹慎な事でも好ましくない事でもないなという結論に至った次第です。
NJさん、オムナイさん
ありがとうございます。リンクのような論文があることを知りませんでした。
カーとランドで行われた儀式の当初の目的は、洗いと油注ぎの儀式(王に選ばれたときの儀式)と洗足の儀式および聖餐式と伝統的ないわゆる聖書的なものばかりであったことを確認できました。
エンダウメントの初期が幹部を対象とした祈りと誓約と教義の伝授の会であって、JS家の近所の店舗(閉店後の酒場かな?)で行われていたが、ノーブー神殿が完成したときに、JSやブリガムヤングらによって改良されて一般信者向けの現在に近いような一連の(ライブ版の)儀式に発展していったようですね。
知識伝授の儀式に映画を採用したのは、合理的でモルモンらしい選択だったと思います。 一般に俗と認められるものを聖に結び付けられる権威が、預言者、聖見者の神権の権能のひとつと信じています。
論文中の「フリーメイソンとの類似をどう受けとめるか」については、私の思いはNO3の、「借用しているが啓示によって改訂・補充。」説に心地よく当てはまると思います。
その他の方々へ
たとえばですが、私がNO3説を選んだからと言って、あるいは(現在の)エンダウメントには大衆的要素があるよと言ったからと言って、消去論法的推測によって、私が1説や2説を完全否定してるとか、エンダウメントには大衆的要素が微塵もないという考え方を、必然的に非難したり否定しているわけではないことをまずご理解ください。 反射的反論は必要ありません。
またからかったり、言葉尻の揚げ足取りはご遠慮願います。
転じて、相手の失言を取り上げて、話を進める事の意味に成っている。
つまり、揚げ足を取られるって言うのは、格闘家で言えば3流で、レスリングでも柔道でも一流選手は、足を取られるような上げ方はしない。
揚げ足を取られないためには、単なる思い付きで何も考えずにペラペラしゃべるんじゃあなくて、言葉にする前に、じっくりと考えて、根拠を示し、理路整然とした話をすればいい。
そして、Cutting Tongue John さんに『警告黄牌(yellow card)』!8月一杯コメントを控えてください。もし、もっと居心地がよく、発言効果のあるサイトを見つけられたら、そこを主戦場としてください。管理者からのyellow card です。
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