西洋文化を超越しようとした劉暁波*
自分自身の「狭隘な民族主義(中国のナショナリズム)の立場と西洋文化に盲目的に媚びる浅薄な知識」を痛切に認識し、「真の『西洋化』は中国文化に対してだけではなく、西洋文化自体への批判的な省察である」と語った。
また西洋文明の限界について、「西洋文明は現段階において中国を改造するために役立つだけであり、未来において人類を救済することまではできない」と指摘した。全面的な西洋化を目指すように見えることがあっても、西洋の無批判な賞賛であってはならないことを示している。
[オスロのノーベル平和センター前で。Newsweek 日本版]
「徹底的な思想」(劉暁波の主たる特徴)
少年期から青年期にかけて青少年に対する共産党の強引な思想教育を経験し、イデオロギーの長期的かつ系統的な束縛を受けず、むしろ早くから権威に挑戦する心性を形成した。’70年代初め内モンゴルに下放させられ、辺境の自然や住民の生活に接した。そのこともあって彼はロマンティックで奔放な精神を、思想や創作に注入するようになった。それはロマンティックで奔放な自由を探求することにつながり、「徹底的な思想」を紡ぎだし発表することになる。
「自由」の円熟した認識
「自由は、普遍的価値の核心である。言論、出版、信仰、集会、結社、移動、ストライキ、デモ行進などの権利は、いずれも自由の具体的な表明である。自由が盛んでなければ、現代文明には値しない。」(08憲章第二節)
*劉暁波(Liu Xiao Bo、リウ シャオ ポー)は2010年獄中でノーベル平和賞を受賞した。1955年生まれ、2017年没。
参照:
余傑著、劉燕子編、劉燕子・横澤泰夫訳「劉暁波伝」集広舎、2018年。p. 9, 501。
当ブログ記事: 2014.6.4 「天安門事件を記念する詩二篇」
2012.6.4「天安門事件から08憲章へ」2009年を読んで
日本では安逸をむさぼっているが、知るべき隣国の現状が描かれている。