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石浜みかる氏による栗林輝夫著「原子爆弾とキリスト教 -- 広島・
長崎は<しようがない>か?」の紹介記事に次のような記述があ
った。以下一部をそのまま引用させていただく。

- - - - - - - - - (引用開始)

 歴史的な事実が次々に明るみに出てくると、実は原爆投下発表の
日から、原爆を使用したことに抗議する声がアメリカでも、またア
メリカのキリスト教会でも沸き上がっていたのです。戦勝祝賀の世
論に押されながらも1946年3月に米国キリスト教連合協議会は次の
ような公式見解を出していました。

 「われわれはまずもって罪責告白から始めなければならない。わ
れわれアメリカキリスト教徒として、すでに実施された原爆の無思
慮な使用に対して、深い懺悔を表明する。われわれは、戦時中の道
徳原理がいかなるものであれ、ヒロシマ、ナガサキへの警告なしの
投下は、道徳的に弁解の余地のないことで一致した。」

 先に日本が始めた戦争であったとはいえ、キリスト教的な観点か
らは弁護できないと言うのです。署名者のなかには著名な神学者の
ニーバーも入っていました。(彼は開戦には賛成していました。)

 アメリカでこのような見直しが進めば、日本人が語り継いだ原爆
の記憶がアメリカでも、世界でも共有されていく希望が沸きます。
と同時に広島が軍都、長崎が軍需工場地域であったことや、あの戦
争のなかで日本人が何をしたかを忘れない人々がアジア各地にいる
ことを肝に銘じなければならないという思いが沸きました。

- - - - - - - - (引用終り)

[月刊] キリスト教書評誌「本のひろば」2008年8月号p. 5 より。
石浜みかる女史には若い頃神戸市のお宅に訪ねたことがあった。
また、彼女の作品「あの戦争のなかにぼくもいた」(1992)をモル
モンフォーラム誌9号(1992 / 秋季)で紹介させていただいたこと
もあった。


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