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江戸川大学(千葉県)現代社会学科の「環境国際協力」誌(2012年/9月) に、高山眞知子名誉教授が「ロムニーの先祖と塩湖府の岩倉使節団」と題してエッセーを投稿している。

10月22日現在、米国大統領選挙の行方は、オバマ大統領とロムニー元マサチューセッツ州知事の間で接戦が演じられていて、ロムニー元知事はやや分が悪い。しかし、ミット・ロムニーがアメリカ初のモルモン教徒の大統領になる可能性が残されている。

高山名誉教授は、1872年岩倉欧米使節団がサンフランシスコからワシントンDCに向かう途中、大雪で17日以上ソルトレークシティに滞在したことに触れ、その時、地元で歓待を受け「酒果を供され」(回覧実記)とあるのは、当時モルモン教会が一夫多妻制を連邦議会から非難され、ブリガム・ヤングを始め教会上層部が自宅軟禁されるなど憂き目にあっていて、代わりに東部から派遣された政府役人や非教徒の企業家たちが饗応したからであった、と説明している。

その暫く後、1885年にロムニーの祖先は多妻を実施していたためメキシコに亡命している。その後、教会は一夫多妻制を放棄するに至るが、ロムニー家は1911年メキシコに革命が起こって米国に戻り、ユタを経て1939年デトロイトに落ち着く。この頃一家の主人ガスケルは既に一夫一婦であり、メキシコ脱出時少年であったジョージがミットの父で、デトロイトで自動車製造に成功を収めた。ジョージ・ロムニーも州知事、大統領選候補にまでなったが、当選できなかった。

岩倉使節団を派遣した日本は結局アメリカではなく、ドイツを明治政府の手本とすることになるが、今やアメリカ憲法のもとで迫害を受けた非主流のモルモン教徒が大統領になるかもしれず、その大統領と対峙することになるかもしれない、と興味深い巡りあわせの可能性を指摘する。ロムニーが風見鶏的な側面があると評されるのは、顧客のニーズに敏感なビジネスマンの顔を持つからである、しかし、小数派宗教の熱心な信徒という保守的側面も持つと説明する。

全般的に言って、アメリカ社会のモルモン教アレルギーが薄れる一方、モルモン教会もアメリカ社会がかかえる社会問題に対応し、(女性聖職者、同性婚容認などの面で)変わっていくのではないか、と見る。ロムニーが敗れても、モルモン教系の大統領候補が受容されやすくなり、今回最下位であった元ユタ州知事ハンツマンが次回再浮上するだろう、と予測する。日本のモルモン教徒は約11万人、われわれ日本人もロムニーとモルモン教を知るべき時がきたようだ、と結んでいる。


記事の詳細: 高山眞知子(江戸川大学 名誉教授)「ロムニーの先祖と塩湖府の岩倉使節団」。江戸川大学 現代社会学科内 環境国際協力研究会 「環境国際協力」No. 6 2012.9

参考書籍
Kranish, Michael & Scott Helman, "The Real Romney," Harper Collins, 2012 (記事に記されていたもの)

Wendy Butler, "The Iwakura Mission and Its Stay in Salt Lake City," in Reid L. Neilson and Van C. Gessel ed., "Taking the Gospel to the Japanese, 1901-2001," Brigham Young University Press, 2006.

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