このグループは、「モルモニズムを越えて生きていく意味や
目的を探し求める人々を支援する」ことを目標としている。
このグループの人々は末日聖徒イエスキリスト教会にはもは
や所属せず、他者が宣言する「真理」とされるものに左右さ
れないで生きていく。しかし、モルモンに敵対する立場は取
らず、「モルモニズムから得られた善い点」は認め、教会に
留まる家族や友人とは友好的な関係を続けようとする。
この10月初旬、教会の総大会にあわせてソルトレークシ
ティの通りに「あなただけなのではない」(You are not alone!)
という広告板を掲げている。それは、もし教会を離れた人が
いるならほかにもいますよ、という彼らの視点から見た励ま
しのメッセージであるが、同時に「過渡期 - - モルモン後の
人生をどう切り拓いていくべきか」というテーマで開かれる
別の「元モルモン団体」開催の集まり(10/12-14)にタイミ
ングを合せて支持の意を表すものでもあった。
註 「元モルモン団体」の英文名は Ex-Mormon Foundation
(教会に攻撃的姿勢)
「過渡期 - - モルモン後の人生をどう切り拓いていくべ
きか」の原題
“Transitions - - Unlocking the Secrets of a
Post-Mormon Life”
情報源 The Salt Lake Tribune Web Version, 10/05/2007
記者は Peggy Fletcher Stack (Harvey Fletcher の
孫くらいに当たる。H.F.はHenry Eyring 使徒の父
君と同世代で共に東部に住んだ。)
[コメント] モルモンを離れた人々は、教義や教会歴史の面で
批判的になり、失望から反感、敵意を抱くに至ることもあり、
精神的に立ち直るのに苦労し、新しい生活の指針を構築できな
い場合が見受けられる。(米国ユタ州では、周辺の住民が多数
モルモン教徒であって教会を去るということは、孤立した少数
派となり別の重い重荷を背負うことになる。)9月東京で開か
れたモルモニズム研究会のある参加者が語っていたことである
が、人は教会に留まるにしても去るにしてもこれまでに得たも
のより進歩していくのでなければ何の意味もないという指摘は
正鵠を得ている。
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あるブログで以下のようなやり取りを目にしました。
A氏:批判よりはむしろ、元モルモン会員の生活回復を
考えなければならないのではないでしょうか。
B氏:これまで観察してきて、その通りだと思います。
このB氏はモルモン会員なのですが・・・
モルモン会員が、反モルモン団体に「あなたがたは教会を攻撃すべきではなくむしろ教会を離れた人のケアを行うべきだ」と言うことが如何に的外れなのかということをご理解いただけていない気がします。
たとえて言いますと(たとえとして適切かどうか分かりませんが)、タバコの害を訴えている団体に「あなたがたはタバコ会社を攻撃するのではなく、依存症患者のケアをすべきである」とタバコ会社が言うようなものです。
あるいは産業廃棄物を撒き散らしている会社が、産廃反対の住民運動団体に「あなたがたは当社を攻撃するのではなく、廃棄物の処理を行うべきだ」と言ってるようなものです。
あるいは詐欺事件の被害者に「あなたがたは私を訴えるのではなく、自分自身のケアを行うべきだ」と、詐欺の主犯が言ってるようなものです。
先ほどのB氏は、モルモン教会側に非はかけらほども無い、とお考えなのだろうと思います。そうとしか思えません。
ですが、そもそも反モルモンという攻撃的な団体ができているのは何故なのでしょうか?それはモルモン教会が会員を幸福にできず、傷ついたまま去って行かせているからです。
それのみならず、教会を離れたものは来世で祝福を失うだの、永遠に家族として暮らせないなどのデタラメな教義を、あたかもキリスト教の真実であるかのように吹聴し、信じ込ませてきたからです。人を信じ込ませならがその結果について教会は何一つ責任を取っていないのです。
せっかく神の教会だと信じて入信した人たちが、傷ついて去っていくのを目にしながら、モルモン会員は何の改善も対策も行わいず、「教会を離れた人はモルモン教義を理解していたか誤解していたのだ」と半ば見下したような結論を下します。
あまつさえ、そうして離れていった人の面倒をみることまで反モルモン団体に押し付けようとしているのですか!? 教会を離れた人の面倒を見るのは、第一に彼らを信じ込ませたモルモン教会がすべきでしょう!と私は思っています。
モルモン教会がその信者に対して責任を持つような誠実さがあり、批判に真摯に耳を傾け、改善を積極的に行うようなまともな宗教団体であれば、はじめから反モルモンという組織は存在しなかった、と私は考えております。
少なくとも、モルモン脱会者が背負い込む苦労を脱会者団体に任せなければならないようになっている時点でモルモン教会は完全なダメ宗教なのです。そういう方々の苦労を分かち合うのは会員の義務であるべきです。とも、私は思います。
人があるシステムまたは組織に不満を抱くか被害を受けたと感じるとき、すっかり不信を抱くそのシステムか組織からケアや癒しを申し出られてもその人はもはや耳を傾けないのではないでしょうか。(病院であったもカルト集団であっても。癒しや回復は違う所が行う場合が多い)。
私はご存知のように教会を代表して語っているのではありません。しばしば周縁に立つ観察者の声を発しています。ポストモルモンの生活確立について発言をする人は教会を去った人の中にもいます。現にこの記事のユタグループがその例と言えます。
遠藤周作は西洋のキリスト教について自分に合わない服なのではないか、と違和感を持って悩みました。モルモン教会は啓示宗教の一つで、平会員が運営するユニークな宗教です。そのいずれの特徴も変わる(捨て去る)ことは恐らくないでしょう。それに合わない人もいるし、その服が合って気に入る人もいるというわけです。
不十分な答えと感じられるでしょうが、今回一度限りとさせていただきます。別途徐々に関連して記事に書いていきたいと考えています。
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