沼隈郷土文化研究友の会

広島県東部に位置する沼隈町は古代より瀬戸内海の中央(ヘソ)に当たり、
その郷土からの情報発信です。

「沼隈八社巡り」について

2008年05月08日 | 地域関連
先般、尾道の人からの問い合わせがあり、

「沼隈八社巡りなるものがあったが、そのことについて調べて欲しい」

との依頼があり、お受けして調べてみた。

<調査の経緯>

1.『沼隈郡誌』に記載がないか調査。

2.『備後叢書』の中の「福山志料」に記載が無いか調査。

3.「民俗資料」関係の調査。

4.そのほか、地域に関する諸々資料の調査。

等を調べた結果、何れの資料にも記載が無いことが、判明しました。

途方に暮れてしまい、調べる打つ手が無くなってしまい、

たまたま本会の会費徴集に回っていた会員宅にお邪魔した際に、

この話をお尋ねしたところ、以下の様な話を伺うことができました。

以下、概要を記載致します。

「沼隈八社巡り(別称:ヤハチマン)」について

私が、昭和15年8月(20歳の頃に)武運長久を祈り、沼隈郡内に存在する、

八幡神社に御参りした。

参拝順序は、別段定めが無く、自分の都合の良い順序で回った。

本人が参拝しても良く、本人が出征していて居ない場合には、

家族の者が、参拝しても良かった。

八幡神社に御参りするので、御札などを頂くのではないので、

結果的には、手元には何も残らないことになる。

ただ、このことは、沼隈だけのことかも知れない。

私の場合には、先輩格の方が居られて、その人の先導で

何人かが一緒に回った。とにかく暑かった記憶がある。

その順序は、片山⇒常石⇒草深⇒能登原⇒鞆(祇園社)

⇒田尻⇒水呑⇒熊野へと回った。

水呑から熊野への道は、山を抜けていく道で、時間的には、

早く着いた事を、覚えている。

他の沼隈郡内では、どの様に回ったのかは、解らない。

この行事は、第二次世界大戦の時のみかも知れない。

日清・日露戦争では、聞いていなかった。

ただ、回る神社は、「八幡神社」でなければならなかった。

この6ヶ月後には、入隊して軍役に就いた。

                     以上が概略です。

    (聞き手:鳳来  平成20年5月6日)

○沼隈郡内の八幡神社については、『沼隈郡誌』 

 「沼隈郡内における八幡神社」P487~  名著出版 を参照

○「八幡信仰」については、『国史大辞典』第11巻P611 吉川弘文館

 を参照してください。

(注意事項として)

八幡神社と銘打っていても、武運長久を祈る場合には、お祭りしている

神様が決まっているので注意が必要とのことでした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿