沼隈郷土文化研究友の会

広島県東部に位置する沼隈町は古代より瀬戸内海の中央(ヘソ)に当たり、
その郷土からの情報発信です。

福山市文化財協会秋の研修旅行[湖北・若狭御仏の旅]

2010年11月22日 | 報告

福山市文化財協会では、平成22年度秋の研修旅行に
湖北・若狭(小浜市)を訪ねる旅行となり、御仏が
拝観出来ると聞き、参加を申し込みました。
旅行日程は、11月11日(木)~12日(金)の
二日間で実施されました。
申し込みは、キャンセルを待つ人も居たとのことで、
危うくセーフでした。


[一日目](11月11日(木)快晴)
朝6時50分の出発には、家を出る準備に少々しんどかったが、
何とか間に合い福山駅北口へ辿り着き、バスに乗車することが出来て、
ヤレヤレでした。
参加者は、40名の団体となり、途中吉備SA、三木SA
大津SAでトイレ休憩を挟んで無理なく12時までには、
滋賀県長浜市に到着し、昼食を兼ねた黒壁の街を散策しました。
道中のバスの中では、クイズあり、ジャンケンあり、その度に
何らかのプレゼントを用意されていて、大盛り上がりでした。
バスの中で眠る間もおしいくらいでした。
今回の旅行は、景色も宿の食べ物も大変満足するものでしたが、
御仏を中心に記してみます。


[渡岸寺 十一面観音菩薩立像](長浜市高月町渡岸寺)

今回の旅行の目的の一つで、この御仏を観たいが為に参加しました。
何十年か前に見た時の感動が、再び甦りました。
新たな収蔵庫で、柔らかな光の中に浮かび上がるように360度から
拝観出来るようになっていました。
この御仏の数奇な運命を振り返りながらの拝観は、
「何をその様に悩んでいるのか?」と問い返されている様に
語りかけて居られるようでした。
観る者の心までも見抜いておられる姿に只々感動を頂きました。
この時点で、今回の旅の全てが済んだ様な気持ちでした。


(渡岸寺 十一面観音菩薩立像)[絵葉書より]

[二日目](11月12日(金)朝の内雨、後快晴)


[羽賀寺十一面観音菩薩立像](小浜市羽賀)

山懐に抱かれた羽賀寺は、石段を登った所にあります。
内陣の中にあるお堂にすっーと立って我々を待って居られました。
口元の微笑みに朱色の紅が差し、白木なのに彩色が施され
当初は、色鮮やかであったことが推察されます。
見る角度により、童顔であったり、女性の姿であったり、
様々に変化されるお姿は、観る者の心を表しているようでした。


          (羽賀寺 参道口)


         (羽賀寺 本堂)


(羽賀寺 十一面観音菩薩立像) [わかさ小浜の文化財より]


[明通寺](小浜市門前)

明通寺に着く頃には、雨も上がり山門に続く石段には、雨で濡れて
スベリやすい状態になっていた。
明通寺は、棡山(ゆずりやま)明通寺と称して、現在本堂は、
桧皮葺の屋根の葺き替え工事中で覆い屋で包まれて建物全体
が見えず、本堂内は薄明かりの中での参拝となりました。
三重塔の工事は終わり、全体が見渡せて、本来の姿を現していました。
本堂内の御仏は、見た瞬間に巨大な像の迫力に只只圧倒されてしまい、
本尊薬師如来坐像の右脇には、降三世明王立像が四面八臂の巨像が
本尊薬師如来を守護している姿に圧倒されました。
また、左脇には、深沙大将立像が、右手に戟、左手に蛇を持つ異様な
姿と巨像に圧倒されました。
本尊薬師如来坐像は、中央厨子の中に座して居られ、柔和な表情で
参拝の人々を包み込む様でしばしの心の安らぎを受けました。
この三体の仏像は、明通寺創建当時のものと考えられていて、
しかしながら、三度の火災により、建物は当時の面影を残し
つつ、中世の面影を表していました。


       (棡山明通寺 鐘楼)



       (棡山明通寺 三重塔)


[神宮寺](小浜市神宮寺)

神宮寺に到着する頃には、秋晴れの快晴となり、一行の日頃の
行いが御仏に届いた様でした。
山門からは、歩いて本堂に辿りますが、途中には宿坊の跡が点在し
往時の姿を彷彿とさせてくれます。
残っている宿坊の門には、それぞれ注連縄が張られていて、
神宮寺の雰囲気を感じさせます。

本堂の正面にも注連縄が張られていて、内陣には正面に三間(ま)の
間仕切りがあり、左手には、十一面千手観音坐像(遠敷姫本地仏)
が居られ、正面の間には、前立薬師如来坐像(遠敷彦本地仏)、
右間には三幅の軸物が下がり神殿の間となっていました。
神仏混交の信仰形態が現在に続いている事を実感しました。
また、参拝は、拍手で行うことも知りました。

下陣内側の組出物には、獏と象の彫出組物があり、様々な発見を
すると同時に古代以前の信仰形態の姿に触れる事が出来ました。
更には、奈良東大寺の「お水取り」の行事と深く係わりのある、
「お水送り」の行事をここ、若狭神宮寺で執り行っている事を
知りました。
そう言えば、奈良東大寺二月堂で行われる「お水取り」の行事には
二月堂の観音様へお供えをする「水(香水)」を汲む井戸を
「若狭井」と呼んでいます。
また、この「お水取り」を始めたのは、実忠和尚と伝え、その師匠が
良弁であり、その弟子が実忠和尚で、良弁は若狭国出身と伝えていて
東大寺や大仏建立に関係し、それらの繋がりが想定出来る様でした。


           (若狭神宮寺 山門)


            (若狭神宮寺 本堂)


      (若狭神宮寺 内陣) [絵葉書より]


       (若狭神宮寺 閼伽井)


今回の旅で、まだまだ訪ねたところが沢山ありますが、この度は
ひとまずこれまでとします。
また機会があれば、載せたいと思います。(鳳来記)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿