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郵貯スタンプ・じい散歩

日毎に選んだ街を散歩しながら、郵便局の窓口で貯金をし、局名のスタンプを押してもらう。歩く街の感じた事を紹介。

「日本橋七福神巡り」

2016-01-31 21:38:28 | Weblog
 1月5日(火曜日)
 昨日、加代さんが「明日は福岡の時の女学校の同級生の知枝ちゃんと七福神巡りに行くから」というので、自分も何の用事もなかったので「俺も行って良い?」と。
 10時に地下鉄日比谷線「人形町」駅A2出口待ち合わせ(甘酒横丁入口)。友人の知枝子さん以外に年配者が何人も。”このグループ(NARP)は何だろう?”。幹事の方に挨拶し、食事代として3000円を払い、待つ事15分。
『日本橋七福神めぐり』参加者リスト(29名)と周辺地図を渡され、幹事の案内で出発。
《七福神への信仰は、室町時代より始まったといわれ、500年にわたって日本人に受け継がれ、年々盛んになっている。日本橋七福神は他所とは異なり、全て神社で構成され、しかも日本で一番参拝が短時間で出来るという特徴を持っています。日本橋通りや人形町通りは、江戸下町の伝統を持つ繁華街です。下町情緒に触れながら、参拝頂きますよう。》
 まず「玉ひで」前を通り、「谷崎潤一郎生誕の地」の前を通り『小網神社』(福禄寿)へ並んで参拝。少し戻って、「日本橋小学校」(西郷隆盛が明治政府の参議となった頃に居を構えた場所)を右折し、『茶ノ木神社』(布袋尊)。その後、人形町水天宮にいく予定だが、”ただ今改修工事中”のため『松島神社』(大黒神)から明治座の直ぐ脇に移転している『水天宮仮宮神社』(弁財天』へ行く。清澄通りから久松町の交差点を左折すると『笠間稲荷神社』(寿老神)。『末広神社』(毘沙門天)から、江戸時代の”富塚”が残る『椙森神社』(恵比寿神)で早くも2時間半で終了。
   加代さんと知枝さん       「小網神社」          「日本橋小学校」
  
         『茶ノ木神社』                  『松島神社』
 
        『水天宮仮宮神社』                『笠間稲荷神社』
 
         『末広神社』                   『椙森神社』
 
 「七福神巡り」が終わり、昼食場所が小伝馬町なので、「椙森神社」から小伝馬町の交差点を渡り、「小伝馬町公園」へ。ここは元「小伝馬町の牢獄」が有った処で、「吉田松陰終焉の地」の碑もある。
  小伝馬町交差点から        「吉田松陰終焉の地」の碑
 
 小伝馬町交差点を渡り戻って、”江戸で二番目に古い”すきやき”の名店「伊勢重」へ。地下の宴会場に導かれ、新年の”乾杯”から”すきやき丼”を頂いた。普段は予約も取れないぐらいの店だそうだ。
     ”すきやき”の「伊勢重」             まずはビールで乾杯!
 
         すきやき丼             高砂部屋の関取の手形(ご主人が)
 
 終了時間が早いので、”この辺りで飲むところがないか?”と皆で探し、森田氏が中華料理屋を探してきてくれ、飲みに。突然入った店だったが、ここの料理は、とても美味しかった。
                中華料理屋で3時前から飲みだす
 
 その後は、有志で森田さんの銀座の店”チーズ&ワインカフェ”へ行って飲む事になり、その後、”カラオケ同好会”で使っているカラオケ店で歌う事に。紅ちゃんが凄かった。
       カウンターで飲み直し         ”チーズ&ワインカフェ”「ブーケ」
 
               カラオケ店で好きに歌う”皆上手いよ
 
 今日、初めて知らずに参加させて頂いた組織でしたが、かなり気に入って、入会する事に。もう3日後(1月8日)に行われる”ぐるめ会”が行う銀座「懐食 みちば」への参加を申し込みました。新しい方たちとの出会いが楽しそう。

上海旅行四日目・(早朝のホテルへ左翼の両親が)

2016-01-31 18:22:28 | Weblog
 9月15日(火曜日)
 朝7時、東京の店で5年半アルバイトをしてくれている左 翼(サ イ)さんの両親が訪ねて来ました。左翼は上海出身で、我々が孫さんに誘われて上海に行く事になったので、東京から”おみやげ”を両親へ預かって来ていたのを取りに来てくれたのと、逆に、娘が欲しそうなものを我々に持って帰って欲しいという事で、引き受けて来ました。
 加代さんも、昨晩ゆっくりと休養が取れたので、食事前に、王さんに付き合ってもらってロビーで会う事に。上海旅行で始めての雨の中、お二人がホテルへ。ロビーのソファーで約1時間半話し込んだ。お母さんよりお父さんの方がよくしゃべり、王さんを間に話した。やはり娘の男性関係が心配の様だが、”日本で彼氏が出来た”とは聞いていたが、そんな話は出来ない。「大丈夫ですヨ」と答えるのが精一杯。左翼は中国に帰って来ると、我儘娘の典型的な姿を連想させられるが、18歳で日本に来て、従姉のお姉さんたちがアルバイトをしていた「半兵ヱ」に来て5年半。2年間の日本語学校から、産業能率大学に入学し、来春には卒業し、出来れば日本で就職し、何年かは日本生活を満喫したいらしいが、中国の”一人っ子政策”の中で、よく一人娘を外国に行かせられるものだと感心する。自分の一人娘だとしたら、絶対に手元に置いておくと思う。
       左 翼さんの両親               王さんを通訳に
 
         集合写真を                  雨の中をお帰りに
 
 来年の3月には両親伴に卒業式に出席する為に来日するので、その時の再開を訳して送り出しました。 
 左翼の両親が帰られてから、3人でホテル内のレストランへ行って食事。
        今朝もバイキング                王さんも一緒に
 
 10時に、始めての雨なので、ホテルでタクシーを呼んでもらい、二日目に行って、売店がお休みだった「上海郵政博物館」へ。30分で着。二階の売店で切手を。棚やウインドーを見て歩いていると、「中国古典文学名著・四大名著」という切手帳が目につき、よく読んだ「水滸伝」「三国志演義」「西遊記」と、知らないが有名な小説らしい「紅楼梦」の4冊がセットになったものがあり、聞いたら3,580元(日本円にして約7万)。それと「毛沢東誕生120周年記念」(198元)と年度別の切手を買おうと思ったら、2009年度版しかなかったので1冊(260元)購入。
  「四大名著」    「毛沢東誕生120周年記念」  「中国郵票2009年」
           
        「四大名著」中味

 いざ支払う段になって、4000元を超えていたので、現金の持ち合わせがなく、カードで買おうと思ったら、「ここでは中国のカード以外使えません」と言われてしまい、VISAも何も使えないので、”どうしよう”と思っていたら、王さんが「カード有りますヨ」と使わせてくれたので、現金は、まだホテルの金庫に有るので、カードを使わせて貰い、購入出来た。 
 この後は、小雨の中、昼間の外灘(バンド)を歩いてみる事に。そこで孫さんと落ち合う事になっている。 
 

上海旅行三日目・(孫さんの伯母さんの家族から食事の招待を)

2016-01-31 16:48:38 | Weblog
 9月14日(月曜日)
 4人で蘇州から戻り、疲れている加代さんをホテルの部屋で休ませ、地下鉄十号線で「老西門駅」へ。孫さんの伯母さんのご主人が駅まで迎えに来て頂き、一般の住宅街を歩き、庶民に人気の”上海料理店”「孔乙巳酒家」へ。
       「文昌物華門」を潜る              昔、開設された学問所
 
       人気の”上海料理店”              「孔乙巳酒家」店頭             
 
 孫さんと、伯母さん夫婦に従姉の劉さん夫婦にお子さんの5人に迎えられ、王さんと二人で、二階の丸テーブルに。伯母さんのご主人が前もって注文しておいてくれ、自分には特に”飲み比べ紹興酒”を用意して頂いていた。5年物・20年物(花殿王)、30年物(江南紅)、50年物(満江紅)、原菜(満堂紅)の5種類。50年物など飲んだ事もないので、よく分からなかったが、色から違うので、トロ~ンとした喉越しを楽しみながら、少しずつゆっくり賞味させて頂いた。
      伯母さんご夫婦とお孫さん       空港へ迎えに来てくれた従姉夫婦
 
  飲み比べ紹興酒5種     シシャモのから揚げ         名前分からず            
  
    雪菜蒸黄魚         名前分からず        孔乙巳の六大椀    肉料理なんだけど
   
 孫さんの伯母さんは、孫さんのお母さんのお姉さんで、孫さんの両親とは、3月に孫さんが日本大学の大学院を卒業する時に、卒業式出席のために来日した時に一緒に食事をしたり、卒業式にも一緒に参加させてもらった。
 両側に孫さんと王さんが居てくれているので、通訳に事欠かない状況だったので、お孫さんとも楽しく話せたし、楽しく、美味しい家族団欒を経験させて貰いました。
         ご馳走様でした            地下鉄で一緒に帰る
 
 お言葉に甘えてしまったが、本当に楽しい一時を過ごさせてもらいました。有難う御座いました。

上海旅行三日目・第三弾(蘇州から戻る)

2016-01-28 22:45:09 | Weblog
 9月14日(月曜日
 「寒山寺」を出て、次は又、「蘇州太湖真珠研究院」の見学だそうだが、研究院?という売店。ここも言っている事が分からず、案内者の人以外の売店の女性が、マイクを付けて怒鳴っている様にしか聞こえない状況が、歩いている間中で、耐えられない。サッサと出て、バスで待つ事に。
      「真珠の博物館」売店               このバスで観光を
 
       蘇州駅へ向かう道路                 蘇州駅正面
 
 蘇州駅に17時に戻り、同じ高速鉄道で帰ろうと思ったが、満席で乗れないことが分かり、”特急列車”で戻る事に。発車までに1時間位あり、待合室で待っていると、今では見たことのない”物乞い”の男の人が、狙った人の前で、片膝付いて、片手を差し出してジーっと待つ。耐えられなくなって席を立つか、”いくら”かを渡すか。”こっちには来るな!”と思っていたが、王さんの処に来て、王さんは硬貨を渡していた。
 ここに居た時に、東京の山口氏から電話が入り、元居酒屋村さ来の創業者の清宮氏が、
  「9日に心肺停止状態に陥り、一度覚醒したが、今日(14日)亡くなった」との連絡だった。
          蘇州駅構内                特急電車のホームで
 
          特急電車                   特急電車車内
 
 18時9分発の特急で、18時51分に上海紅橋駅着。蘇州旅行は終了。
 孫さんが、この後伯母さんの家族との食事会に招待をしてくれ、有り難く受ける事にしたが、加代さんは疲れてしまい、「部屋で休みたい」というので、加代さんをホテルの部屋まで送る。




上海旅行三日目・第二弾(船で周遊~「寒山寺」)

2016-01-28 20:42:17 | Weblog
 9月14日(月曜日)
 昼食後、バスで次へ移動するが、ガイドさんの話は全て中国語なので、何を言っているのか?全く分からないし、観光地を回っていても、日本語での表示がないし、同行の王さんや孫さんも分からない事ばかりなので、持参した”まっぷる”のガイドで少ない情報を見るだけ。
 「胥門」という場所に着き、蘇州は”運河と庭園が美しい水の都”と呼ばれており、”舟遊び”を経験する事に。
           「胥門」着               「胥門」から船で「胥江」を
 
           「千将橋」                 途中の船着き場
 
    五差路の「山塘橋」でUターン            行って、帰って30分
 
 小さな船で、行って、帰って30分。ゆったりした時間を楽しませて頂いた。先程の、「拙政園」の参道で買った果物の内、ゴーヤが育ちすぎて”破裂”した様な黄色くて、中が真っ赤な名前の分からない果物、食べてみたら、甘~くて、とっても美味しかった。
   

 またバスに戻り、次に向かったのは「絹の博物館」。行きたくもない場所に連れていかれるのも”ツアーの宿命”。
会社の案内係(売り子)も中国語でしゃべっているだけだし、同行者の後に付いて歩いただけだが、全く興味がない所を歩かされるだけで苦痛を感じるし、「案内者が、あまりに買ってくれないので、怒ってたヨ」と聞いた時には笑ってしまった。その次に向かったのが、日本の時から、”蘇州に行ったらここには行かなけりゃ”と思っていた『寒山寺』。
《黄色い壁が印象的な漢詩の舞台で、502~519年(天監年間)に建立された禅宗の古刹。唐代の僧・寒山が住んだことから「寒山寺」と呼ばれるようになった。漢詩『楓橋夜泊』の舞台。
        『月落烏啼霜満天、 江楓漁火対愁眠。 咕蘇城外寒山寺、 夜半鐘聲到客船』
 『月は沈み、カラスが鳴いて、夜空に霜気が満ちている、川辺の紅葉した楓樹そして漁船のいさり火が 
                                       旅愁で眠れない私の目に映る。』
        『寒山寺』へ着いた。              境内の「太湖石」
 
 期待していたが、「寒山禅房」という本堂的な房へ入ったら、展示物に”売店?”の様に値札が貼られており、”何だ!この寺は?”。一瞬でガッカリしてしまった。
         「寒山禅房」                 「五重塔」
 
           「法堂」             法堂の中は四面の仏像が
 
       屋根瓦には「西遊記」の              「寒山鐘苑」
 
           「裏門」

 それ程広くない寺内を、最初から”白けた”状態で見ていたので、全く感激も何もなく裏門から待ち合わせのバスに戻る。

上海旅行三日目・第一弾(中国の”新幹線”で蘇州へ)

2016-01-27 09:01:29 | Weblog
 9月14日(月曜日)
 今日は、栾可が仕事なので、王さんと、孫さんの4人で中国の”新幹線”に乗って”蘇州”まで行く事に。
朝6時半に起床し、7時過ぎに朝食。7時半に孫さんがホテルに迎えに来てくれ、8時半にロビーで王さんの従姉に紹介される。(上海で寿司屋をやりたいらしい)
 8時45分に「伊犁路駅」から地下鉄十号線で中国の”新幹線”出発駅の「紅橋火浦駅」へ15分強で。
高速鉄道に乗るにはパスポートの提示が必要で、切符を買ってからホームに行くまでに、希望者には高速鉄道の写真をバックに記念写真を撮ってくれ、10元払うと、キーホルダーと写真をプレゼントされた。
        「紅橋火浦駅」着                皆が”おのぼりさん”
 
       高速鉄道の写真の前で       改札を通るには必ず荷物チェックが
 
      ホームで高速鉄道の前で       高速鉄道車内(椅子が壊れたまま)
 
        検札                   蘇州駅着
 
 40分弱で”蘇州駅”に着いたが、初めて乗った高速鉄道の自分の席は、椅子が壊れており、ズレたままだった。乗っている間の景色に見所もなく過ぎてしまったのには、少しがっかり。検札の時にも外国人はパスポートの提示が必要。
 蘇州駅に着いて、”さて、どうしよう?”二人とも蘇州は初めてなので、全員が”おのぼりさん”。タクシーで目的地まで行って歩こうかと思っていたら、観光案内のおばさんが寄ってきて、「ツアーバスは如何ですか?」と。交渉は二人に任せ、一人180元(日本円にして3,600円で四人分)払い、「風光旅行社」のマイクロバスに乗り込み、ほかの観光客と一緒に”蘇州観光”に出発。
           蘇州駅               皆が”おのぼりさん”旅行業者と
 
 一番目の観光地は、奇石群が獅子の形に見える「獅子林」の前を通り越し、蘇州最大級の世界遺産の庭園美を誇る『拙政園』に。
《明代に中央政府の高官だった王献臣が失脚した後、大宏寺に造られた庭園。庭園名は、晋代の詩人・潘岳の詩「閑居賦」の一節にある「拙者之為政(愚か者が政治を司る)」に由来する。敷地面積は約5万㎡。池と建物の対比が美しく、四季折々の景観が楽しめる。》
         「拙政園」入口                    園内で
 
   園内から「北塔報恩寺」が見える               園内で
 
       「貴賓席」ですか?               園内の「荷風四面亭」       
 
           園内で                   出口で集合写真
 
       露店で売っていた果物           昼食は「金福興小 店」で
 
 次はどこへ?。
        

「上海旅行二日目・第六弾(夜の”バンド”《外灘》を歩く)

2016-01-26 22:20:51 | Weblog
 9月13日(日曜日)
 南京東路から、夜の『外灘(バンド)』へ。
《黄浦江西岸沿いに立ち並ぶ、租界時代の歴史建築物が象徴的な外灘は、まさに上海の顔ともいえる観光名所。》
 日本で読んでいた時代小説に、江戸時代末期に自由貿易を求めた物語に”租界”という言葉が何度も出、そこの描写もされていた。”バンド”とはそこの事なので、一寸は期待していたが、考えていた以上の驚き。黄浦江を挟んで浦東地区の高層建築の夜景も見事で、どっちを向いて歩いたら良いのか?。かなり広い「黄浦公園」の石畳をキョロキョロと前後左右を見ながら、5人で歩く。
 素晴らしい夜景なので、今年の年賀状に使わせてもらった。分かる範囲で建物を並べてみる。
外灘から対岸の浦東地区の高層ビルを      年賀状に使った写真
 
      二人で夜景に見とれる          来年結婚する?二人       
  
「ザ・ハウス・オブ・ルーズベルト」  中国彰晃銀行・揚子大楼   フェアモント・ピース・ホテル    上海市商工会
        
  上海浦東発展銀行        輸船招商総局        バンコク銀行上海分行    
  
元日清汽船・カフェ&バー  ウォルドルフ・アストリア上海  ICBC中国工商銀行
  
   外灘(バンド)の夜景をバックに          外灘(バンド)の賑わい
 
     そろそろ帰ろうか

 南京東路から外灘(バンド)の「黄浦公園」をゆっくり歩いたが、日曜日だったからか人出も多く、ビル一つづつライトアップされた、この様な景色は日本では見られないので、知らない間に時間が過ぎ、栾さん達と別れて、タクシーでホテルに戻る。

「錦戸部屋千秋楽祝勝会」へ。

2016-01-26 20:19:14 | Weblog
 1月24日(日曜日)
 今年になって、加代さんの紹介で一緒に行った「日本橋七福神巡り」(後日書きます)で知り合った『ナープ関東』というグループに入会。
《(NARP)というアメリカの組織の日本の団体で、社会に奉仕することを基本理念とし、会員相互の交流を通じてお互いの人生を豊かに広げる活動の機会を提供している。》
 そこで知り合った森田氏に誘われて、相撲部屋の打ち上げ式に参加させて貰える事になり、昼間から冨岡八幡宮の骨董市へ買い物(これも後日書きます)へ行ったその流れで、総武線錦糸町駅北口で待ち合わせ、会場の東武ホテルへ。
 「錦戸部屋」とは元関脇水戸泉関(高砂一門)の部屋で、”関取”と呼ばれる力士はまだ育っていないが、小錦の紹介でカナダ出身の有望力士(誉錦)も入門しています。相撲は何度か”桟敷”で見ましたが、この様な場に出席するのは初めての事で、名前の知られていない力士ばかりでも関係なく、興味を以って参加させて頂きました。
 東武ホテル(このホテルは、”東京スカイツリーを正面に見れる”のを売りに建てられた新しいホテルと聞いていた)4階「錦の間」。受付で、住所・氏名・電話を記入して半券と、カレンダーを渡され、会場に。グループ毎にテーブルが決められており、そのテーブルには適当に座る。
 定刻の18時。親方を先頭に、部屋の力士8名が拍手に迎えられて入場、舞台へ。代表代行(弟の元梅の里)からの挨拶が有り、後援会の方の挨拶の後、”九州場所の勝越し力士表彰”後に、先程終わった”今場所の勝越し力士表彰(極芯道5勝2敗・信州錦4床敗)”が続き、後援会の方々が舞台に上がり、”酒樽二つを使って”鏡開き”から”乾杯”。
   受付が終わってカレンダーを貰う       親方・力士・後援者で”鏡開き”
 
 出席者は、20テーブルで200人強。グループ毎に一つのテーブルを囲む事に。余興でプロの歌手が歌を披露したが、名前も知らないおじさん、おばさんで、失礼だが聞いてらんない”。お客さんの中には「久里千春」さんもおり、親方が各テーブルを回って挨拶をしながら希望者と写真撮影に。これだけでも大変な事だ。その後、勝越し力士と梅の里代表代行とで会場の両側から縁起物の”豆まき”が行われ、自分も5個拾ったが他の人にもゆづった。
    ナースの森田氏のグループ          久里 千春さん
 
       錦戸親方を囲んで            
 
    勝越し力士による”豆まき”          反対側では梅の里代表代行が
 
 抽選会に入り、テーブル毎の抽選があり、自分達のテーブル”O ”は、9番目に当たり、当たった景品を、テーブル単位で”阿弥陀くじ”の順番で選んでいく事に。力士達が”ちゃんこ”を配ってくれ、ホテルの料理とは別に頂く事に。すき焼きの様な味付けで、食べ易い。そのまま力士との撮影会になり、”頑張って!”と。
     テーブル毎の抽選の景品            錦戸部屋の”ちゃんこ”
 
力士が”ちゃんこ”を配って     カナダ出身の誉錦と       俺も入って
  
 その後、”勝越し力士”の歌が披露され、部屋付きの若い”呼び出し”・鶴太郎、”行事”・金太郎が本番さながらに。
次には、個人抽選会が行われ、”Oテーブル”からも半分の6人が当選し、加代さんは、「三戒堂」という絵師の書いた絵(拝まなくてもよい宗教画)が当たり、素直に喜んでいた。
 加代さんも当たった!!        前川会長にも当たった!!
 
 その直後に、錦戸親方のカラオケが披露されたが、先ほど歌っていたプロ歌手よりよっぽど上手い。
親方から、お礼の挨拶が有り、三本締めでお開きに。(弟子を探すのも大変な事で、こういう繋がりから少しでも情報を貰いたいとうい気持ちが凄く感じられた。)ほぼ3時間だが、アッという間の3時間だった。
      錦戸親方が歌を披露              三本締めでお開きに
 
 錦戸親方が、テーブルを回って来た時に、森田氏が交渉して、2月6日の土曜日に”朝稽古を見て、ちゃんこを食べに行きませんか”と提案があり、即刻、参加表明を(今度その時の事を書きます)。
 お開きになって、錦糸町まで歩き出すと直ぐに、東京スカイツリーが正面に見える。これを載せないわけにはいかないだろう。
   東京スカイツリー

 お休みなさい。


上海旅行二日目・第五弾(南京東路の「012上海菜」)

2016-01-23 14:08:06 | Weblog
 9月13日(日曜日)
 「上海動物園駅」から地下鉄十号線に乗り、「南京東路駅」で下車。上海で有名な”南京東路”を歩く。
      上海動物公園駅ホーム             南京東路駅へ向かう
 
 「南京東路駅」に着くと、外は真っ暗で、東路の照明が眩しい。
       南京東路の景観               路上を走る「観光車」
 
 広い通りを歩いていると、レールもないのに、連結バスの様な乗り物があっちこっちに。聞くと、5元で乗れる「観光車」との事。乗ってみたかったが我慢して食事に。モザイクビルに入る。
      モザイクビルのロビー        店頭からビルの吹き抜け部分を
 
 今晩は、”上海料理”の店。「012上海菜」という人気の店に。栾さんの彼が先に来てくれ、席を取っておいて、料理も二人で相談した料理を注文してくれていた。
      「012上海菜」店頭                 清潔な店内
 
      桂花蓮              三杯小排            糖 小排
   
     清渉太湖              蟹粉豆腐          箥夢油条海鮮巻
  
     紅焼肉       葱油開洋麺          煮玉子            酒 圓子      
   
         テーブル上                    皆で乾杯!!
 
 紹興酒を飲みながら、ゆっくり食事。来る前から食べてみたかった”紅焼肉”も期待通り美味しかった。
現地時間でまだ19時。南京東路から”バンド”へ行ってみる事に。ビルの照明に圧倒される。
 「南京東路」の大きなプレートの前で

     緑色の屋根のビル       江中飯店と東方明珠塔       対岸の東方明珠塔
  
 次回は、いよいよ、夜の”バンド”を見に。      

上海旅行二日目・第四弾(上海動物園へ)

2016-01-20 22:36:19 | Weblog
 9月13日(日曜日)
 ホテルの処を通っている、地下鉄十号線でも「上海動物園駅」があるが、加代の足のことを考えて、タクシーで約30分。「上海動物園」に着く。ここにはパンダも居る。上海にはもう一か所、空港の南にここの2倍はある「上海野生動物園(サファリアーク)」もあるが、時間がないので行ってられない。
        動物園に着いたヨ~。              入場券、買ったヨ~
  
 昨日見た、「上海旅行記念日」の関係で、12日~18日までが入場料が半額に。
       入り口前のモニュメント              入り口を入って
 
                「上海動物園」園内地図

 園内を頻繁に”園内バス”が走っており、”パンダ舎”まで、並んで”園内バスに乗ったが、歩いている人も多い中、ドケ・ドケ的に、クラクションを鳴らしっぱなしで走るので、タクシー同様、おっかなくて乗ってられない。
     園内バスから(すれ違う)         パンダ舎着。ここのパンダも寝てる
 
 上野動物園程でもないが、かなりの人が見に来てくれているのに、無視。どこのパンダも愛嬌がない。
   上のパンダは目を開けてはいたが      ライオンも動かず        トラも寝たまま
  
     ヒョウも動かず      マレーグマだけ二頭で   お客が投げたエサを
  
           園内で             動物園なのに何故かネコが
 
 キリン舎の周辺で、東京の地元の東久留米市の”市鳥”でもある、野生の”オナガ”を見たのにはビックリした。
最後に”サル山”的な場所があり、見慣れたニホンザルではなく、”ヒヒ”なのには「そうか、ここは中国だ!」とここのボスザル的なサルが一番面白かった。約3時間見学したが、他は見応えのある動物園ではなかった。もっと見せ方を考えたほうが良い。
  シロテナガザル        ボスザル?             外で記念写真を
  
         三輪タクシー                     警察車両
 
 この後、市の中心に戻って夕食を。地下鉄で行く事に。