3月17日(日曜日)
3月初めに、お寺(新宿区原町・早稲田に近い「常立寺」)から『彼岸会』の案内が。特養に入る前から長男に変わってお寺の事を任されてはいたが、殆ど何も知らないし、宗教には殆ど興味もなかったので、”檀家”として”何をどうすれば?”も分からない。カミさんの骨を納めたので、この5年で60回位は伺っているが、何時もは自宅の方に声を掛けて、線香だけ頂いて墓参りするだけ、年に何回か法要の案内が来るが、春の『彼岸会』だけは出席して、秋には実家に来て頂く事になっている。年間の維持費を払い、卒塔婆を立てて帰る事にしている。
≪春分と秋分、日本で「春分の日」よ「秋分の日」を中心にした一週間は、「彼岸(ひがん)」と呼ばれており、この日は仏教各宗派とも「彼岸会(ひがんえ)」と称して御先祖の霊を慰め、成仏を祈る法要が営まれています。しかし、これは元々インドの仏教には無かった習慣で、どの様な経緯で行われる様になったのか、今となっては確かな事は分かりません。彼岸という言葉自体は、仏教に有ったもので、悟りを開いて仏陀となり、生死の苦しみ離れる事を川の向う岸に例えたものです。≫
松戸にもお寺を持つ住職が入り、副住職が脇に付き、住職から今日読む”お経”の内容説明が有り、読経が始まる。勧請(かんじょう)~開経偈(かいきょうげ)を読経し、太鼓を叩きながら皆で”お題目”を唱え(唱題)、順番に回向に入る。(副住職曰く、「今日読まれたお経は、最高のお経です」との事)
これから法要が始まる 勧請~開経偈 唱題 唱題の中の回向 彼岸会終了 住職からの説法 お釈迦様の涅槃図
勧 請(かんじょう) :神仏の来臨を請うこと。神仏の分霊を他の場所に移し祀ること(宇佐神宮から分霊されて石清水八幡宮へ祀ったことなど)。
開経偈(かいきょうげ):仏教各宗で法要や勤行などの際、経典を読む(読経)に入る前に、読まれる”偈”である。”偈(げ)”とは、経典中で、詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩を誉めたたえた言葉。
読 経(どきょう) :仏教徒が、経典を見ながら読唱すること。多くの僧侶が声を揃えて読経する場合は「諷経(ふうぎ)」と云い、「読誦(どじゅう)」ともいうが「誦経」とは経文を暗唱すること。
唱 題(しょうだい) :経の題目(日蓮宗で”南無妙法連華経”と唱えること。 南無:帰依するの意。
回 向(えこう) :自分の善行や功徳を他に回し向ける事をいい。これは、仏様にお供えをしたり、お経を唱えたりすることが、自分の悟りの一助にもなり、又、死者への追善供養にもなるという事を意味します。
住職の”説教”で、「お釈迦様の”涅槃図”」を基に話しが有り、お釈迦様が病に倒れ、母親が不老長寿の薬を携えて天界から降りてきて、薬を地上に投げる(投薬)が、”沙羅双樹”の木に引っ掛かってしまい、お釈迦様の手には届かなかったので亡くなってしまった。”人間は、どんなに偉い人でも死は確実にやってくる”親子の情を謳ったもの。
自分の置かれた立場を受納する。(有り難く思う事)
人間は、”こうでなければならない”と考えると、苦しくなる。
”こうなりたいな~” と考えると、苦しくない。
万能でない事を忘れがち(心が荒んでき、心の病となる)
住職の”説教”を聞き、何か自分の会社名に取り入れた「吾唯知足」の言葉を思い出した。卒塔婆を墓に供えて、寺を後にするが、早稲田駅までの通りに咲いていた花を撮ってみた。
常立寺墓地 ユキヤナギ 椿 椿 これも椿 椿の蕾 沈丁花 ハクモクレン
副住職にお聞きしたりして、少し調べて書いたつもりですが、間違ってはいないと思いますが、まだ序の口で、”ほんの少し分かった事が出来た”程度の事。何かの参考になれば・・・。
3月初めに、お寺(新宿区原町・早稲田に近い「常立寺」)から『彼岸会』の案内が。特養に入る前から長男に変わってお寺の事を任されてはいたが、殆ど何も知らないし、宗教には殆ど興味もなかったので、”檀家”として”何をどうすれば?”も分からない。カミさんの骨を納めたので、この5年で60回位は伺っているが、何時もは自宅の方に声を掛けて、線香だけ頂いて墓参りするだけ、年に何回か法要の案内が来るが、春の『彼岸会』だけは出席して、秋には実家に来て頂く事になっている。年間の維持費を払い、卒塔婆を立てて帰る事にしている。
≪春分と秋分、日本で「春分の日」よ「秋分の日」を中心にした一週間は、「彼岸(ひがん)」と呼ばれており、この日は仏教各宗派とも「彼岸会(ひがんえ)」と称して御先祖の霊を慰め、成仏を祈る法要が営まれています。しかし、これは元々インドの仏教には無かった習慣で、どの様な経緯で行われる様になったのか、今となっては確かな事は分かりません。彼岸という言葉自体は、仏教に有ったもので、悟りを開いて仏陀となり、生死の苦しみ離れる事を川の向う岸に例えたものです。≫
松戸にもお寺を持つ住職が入り、副住職が脇に付き、住職から今日読む”お経”の内容説明が有り、読経が始まる。勧請(かんじょう)~開経偈(かいきょうげ)を読経し、太鼓を叩きながら皆で”お題目”を唱え(唱題)、順番に回向に入る。(副住職曰く、「今日読まれたお経は、最高のお経です」との事)
これから法要が始まる 勧請~開経偈 唱題 唱題の中の回向 彼岸会終了 住職からの説法 お釈迦様の涅槃図
勧 請(かんじょう) :神仏の来臨を請うこと。神仏の分霊を他の場所に移し祀ること(宇佐神宮から分霊されて石清水八幡宮へ祀ったことなど)。
開経偈(かいきょうげ):仏教各宗で法要や勤行などの際、経典を読む(読経)に入る前に、読まれる”偈”である。”偈(げ)”とは、経典中で、詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩を誉めたたえた言葉。
読 経(どきょう) :仏教徒が、経典を見ながら読唱すること。多くの僧侶が声を揃えて読経する場合は「諷経(ふうぎ)」と云い、「読誦(どじゅう)」ともいうが「誦経」とは経文を暗唱すること。
唱 題(しょうだい) :経の題目(日蓮宗で”南無妙法連華経”と唱えること。 南無:帰依するの意。
回 向(えこう) :自分の善行や功徳を他に回し向ける事をいい。これは、仏様にお供えをしたり、お経を唱えたりすることが、自分の悟りの一助にもなり、又、死者への追善供養にもなるという事を意味します。
住職の”説教”で、「お釈迦様の”涅槃図”」を基に話しが有り、お釈迦様が病に倒れ、母親が不老長寿の薬を携えて天界から降りてきて、薬を地上に投げる(投薬)が、”沙羅双樹”の木に引っ掛かってしまい、お釈迦様の手には届かなかったので亡くなってしまった。”人間は、どんなに偉い人でも死は確実にやってくる”親子の情を謳ったもの。
自分の置かれた立場を受納する。(有り難く思う事)
人間は、”こうでなければならない”と考えると、苦しくなる。
”こうなりたいな~” と考えると、苦しくない。
万能でない事を忘れがち(心が荒んでき、心の病となる)
住職の”説教”を聞き、何か自分の会社名に取り入れた「吾唯知足」の言葉を思い出した。卒塔婆を墓に供えて、寺を後にするが、早稲田駅までの通りに咲いていた花を撮ってみた。
常立寺墓地 ユキヤナギ 椿 椿 これも椿 椿の蕾 沈丁花 ハクモクレン
副住職にお聞きしたりして、少し調べて書いたつもりですが、間違ってはいないと思いますが、まだ序の口で、”ほんの少し分かった事が出来た”程度の事。何かの参考になれば・・・。