郵貯スタンプ・じい散歩

日毎に選んだ街を散歩しながら、郵便局の窓口で貯金をし、局名のスタンプを押してもらう。歩く街の感じた事を紹介。

『忍野八海』第二弾

2014-02-10 22:36:27 | Weblog
 1月29日(水曜日)
 「恵林寺」を出、勝沼ICから中央高速に入り、大月JCTで河口湖方面に向かうと、トンネルを抜けた途端、リニアモーターカーの試験コースの”小形山架道橋”が現われ、動いては居なかったが、リニアモーターカーが見えたので、加代さんにシャッターを押してもらう。河口湖に近くなる毎に、正面に”富士山”が大きく見えてくる。
 河口湖ICで高速を降り、国道138号を走って、「忍野八海」への道を、一本手前を曲がってしまったが、そのまま表示どうりに走ったら、トンネルを抜けた途端に”忍野村”の表示と正面に何の障害物の無い”富士山”がドーンと。車を止めて写真を。
 リニアの小形山架道橋       もう直ぐ河口湖        トンネルを抜けた途端      
  
     一寸アップで            気分の良い景色の中でまず記念写真
  
     富士山のアップ      山肌の傷は登山道?      上は吹雪なのか?
     
 日頃、地元の黒目川沿いを歩いていても、冬の澄んだ空気の時期は見える富士山は、当然下の方は見えないので、本当に気持ちが良い。
忍野村に入ると、大きな駐車場に止め、歩いて「忍野八海」へ。
≪忍野八海:富士山からの伏流水に水源を発するといわれる八つの湧水池≫
 本当にきれいな水だ。何時見ても、引き込まれそうな感じになる。富士山が世界遺産になった事も有るのか、観光客には外国人(中華系)も多く、”ここ何処?”という感じもする。何回か来ている「忍野八海」、加代さんは何年か前に友達と来て、ここにも寄る予定で居たのが雨で寄らずに帰ったそうで、何とかここの水と、ここからの富士山を見せてやりたいと、今回の旅行の一番の目的地でした。今回は始めて「かやぶき茶屋」で手打ちそばを食べてみたが、とても美味しかった。
バックに富士山の景色が良い     気持ちが清々しい        「かやぶき茶屋」
  
    お土産屋前の池        池の黄色いマス       「かやぶき茶屋」前の池
  
 まだ午後2時10分過ぎ。忍野を満喫し、富士山の五合目まで車で行こうと思っていたら、駐車場にあるタクシー会社の人が「今日は、雪で一合目までしかいけませんよ」と教えてくれ、急遽変更して『北口本宮冨士浅間神社』へ行ってみる事にして、河口湖IC方面に戻り、途中にある浅間神社へ。
≪人皇十二代景行天皇四十年(110)日本武尊御東征の砌、箱根足柄より甲斐國酒折宮に向う途次、当地御通過、大塚丘にお立ちになられ、親しく富士山の神霊を御遥拝され、大鳥居を建てしめ、「不二の神山あ北方より登拝せよと」勅され、祠を建てて祀ったのが始まりとされている。延歴七年(788)甲斐守紀豊庭占し現在の位置に神殿を建て浅間の大神を奉り、大塚丘には日本武尊の神霊を祀った。享保十八年(1733)、江戸の富士講村上派を卒いる村上光清が、幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎、隨神門を造営した。≫
 両側の杉並木で、”昼なお暗い”という感じだったが、参道に掛かった時、丁度太陽が拝殿の上に掛かり、一層神秘的な雰囲気を醸している。河口湖には何度も来ているが、「北口本宮富士浅間神社」は始めてだ。
参道に陽が振りそそぐ     改修中の大鳥居           随神門                
   
        拝殿           拝殿の天狗と烏天狗          拝殿の奥
  
 お年寄りが殆どだが、観光客が結構多く、古い神社なので”樹齢千年”の大木なども多く、雰囲気を作っている。拝殿裏には”天下の名工”と云われた左甚五郎の恵毘寿像が置かれており、一周する。
     太郎杉           次郎杉           夫婦桧          七色もみじ
   
     東宮          恵毘寿社           西宮     「富士登山道 吉田口」 
   
    左に 御影神輿          諏訪神社          右に 神輿
   
 神社に来て約1時間。4時に近くなり、寒さを感じ出したので、帰宅する事に。談合坂で休憩し、帰宅後、息子の家族と一緒に食事に。  

石和温泉に泊まって『忍野八海』を見に

2014-02-09 22:37:00 | Weblog
 1月28日・29日(水)
 阪急交通社の「とっておき宿泊券」という謝恩企画を使ってみようと、始めて行ってみた。今までは一人だったので使えなかったが、今は二人で行けるので、この企画が使える様になった。
 28日は午前中ボランティアの”ダイニングカフェ”を1時で上がり、加代さんが乗ってきた車を運転して、中央高速を一宮御坂ICで下り石和温泉へ。ナビが付いていない車なので、加代さんにナビを頼んで走ると、インターを下りてからも分かり易かった。
 ホテルにチェックして、7階の温泉に入るも露天は風が強すぎて震えてしまった。食事は部屋食で、料理は全てが温かくはないが、種類も多く、これで充分だろう。二人して残さず完食。仲居さんは青森県出身のおばあさん(自分達より大分年上)で、接客業的ではないが、親しみを持てる方だった。
 朝は、起きて直ぐに風呂に行ったら、7時前で、日の出真近か。御坂山地の方から明るくなってくるのが分かるのと、少し右を見ると富士山の天辺だけが少し覗いている。風呂に入って、露天に出たら、今日はそれ程風が強くも無く、雪を被った”南アルプス”が陽を受けて光って見えた。
  御坂山地の向うが明るく     富士山の天辺が除く     南アルプスが陽を受けて   
  
 風呂を出て様子を見ていると7時26分に”日の出”の写真を捉えた。そのまま8階のレストランでバイキングを頂いたが、南アルプス(白根三山:農鳥岳・間ノ岳・北岳。鳳凰三山:薬師岳・観音岳・地蔵岳)に甲斐駒ケ岳の見える席に着きながら食べる朝食も良いものだ。
   7時26分に”日の出”     食堂からの南アルプス        甲斐駒ヶ岳
  
 ホテルを出る前に、小さな中庭の見事な緋鯉にエサを。
ホテルを出て、一番に向ったのが石和郵便局。自分としたことが通帳を忘れてきた事に気づいたが”後の祭り”風景印とフォルムカードだけで我慢し、加代さんが郵貯スタンプを。表に居た局の方に「恵林寺」への行き方をお聞きしたら、「真っ直ぐ行って、踏切を渡った先の信号を右に行けば良い」と教えてくれ、その通り国道140号線を走ると、ファミマの所を大曲に右折して少し走ったら『乾徳山 恵林寺』に。
 ここ3年で3回目(1回目は息子の家族と、二回目はおじさんの会で)の訪問になるが、加代さんを案内して歩く。
≪恵林寺は1330年夢窓国師によって開かれ、戦国時代・武田信玄が菩提寺として定めた臨済宗妙心寺派の古刹である。夢窓国師は伊勢の生まれで、甲斐へ移り住み、九歳で出家、二階堂道蘊に請われ、邸宅を禅院に改めたのが恵林寺の始まり、国師五十五歳の頃であった。又、有名な話として伝えられている事に、武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者達を引き渡すよう快川和尚に命じたが拒否され、怒った信長が三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶らを封じ込め火を放った。その時、快川和尚が詠んだ「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」という遺偈が”三門”に掛けられている。
    恵林寺「山門」          恵林寺「四脚門」       恵林寺「三門」
  
 「開山堂」の軒に風神雷神     武田信玄公の墓所       柳沢吉保夫妻の墓所
  
      雪の残る国指定名勝「恵林寺庭園」で休憩
  
 次回は、恵林寺を出て、勝沼ICから中央高速に入り、河口湖に向う。

「シモバシラ」第二弾(小金井公園)

2014-02-04 20:32:38 | Weblog

 1月12日(日曜日)

 昨年、初めて見た”シモバシラ”が少し納得いかず、加代さんと、家の孫二人を連れて朝から小金井公園へ。

「江戸東京たてもの館」へ入る時に、入口の女性が「今日は出てますヨ」と言ってくれたので、期待して現場へ。先日と違って今日は良い感じだった。

                                  シモバシラ

   

 前回とは全く違って、花の様だ。綺麗な”シモバシラ”を見れ、孫達にも見せられたので、今日は、二人とも凄く満足。

その後、西ゾーンへ行き、「八王子千人同心組頭の家」の炉端に上がり込んで、正座して、囲炉裏の火に手を当てている孫を見ていたら”何だ?こいつは?”という感じを。

     囲炉裏端に正座              手をかざして

 

 もう一度”シモバシラ”を見に寄って、東ゾーン”に入ると、「子宝湯」の前で「小金井囃子」の実演が行われており、見学していたら見た事も無い”獅子舞”を見させて貰った。こんな踊り方の獅子舞が有るなんて、面白かった。

      小金井囃子               白狐の舞               おかめの舞

  

                              獅子舞

   

 遊んでいたら、「店蔵型休憩棟」の1階で”紙芝居”が始まるというので、外で”水あめ”を二人に買って入ったが、舐めているうちに、飴が垂れて来て大変な事になってしまい、自分は”紙芝居”を見ている何処ろではなくなってしまった。

 ”水あめ”を舐めながら        紙芝居を

 

 ボランティアの方達にお詫びを言って出る。もう少し時間が有ると思っていたら、自分がボランティアをしている”ダイニングカフェ」の新年会の時間を2時間間違えており、担当から携帯に電話が入り「もうとっくに始まっているんだけど、何処にいます?」と。慌てて帰宅し、新年会に参加。年頭から、時間をとり違っていたのでは、先が思いやられる。